6/19.20 弥平四郎より本山.御西

2:55起きる。

3:17家を出発。

4:40駐車場。69.1km

地元の夫婦と出発前にいろいろと話す。

5:30重いザックによろけながら歩き出す。林道を少し戻り高度をさげ、祓川を丸太2本の橋で左岸に渉るのだが、朝露にぬれていておっかなびっくり慎重に渉った。

5:41祓川山荘前通過。ブナ林の緩やかな道。頭の上は明るい曇天。

ノウゴウイチゴ(能郷苺、岐阜県能郷白山に由来、高山の実としては第1級のおやつ)7:08
ガクウラジロヨウラク
7:20松平峠。駐車場で一緒だったご夫婦と話す。昨夜水割り3杯たしなんだという旦那さんの方のみ羽虫がまとわりついていた。酒を2升かついで鏡山でふらふらんなってもおりていった新潟の役人の話しを聞く。県外の人といっても隣県の人だが、やっぱり新潟県人=飲んべえというイメージなのかなと思う。350のビールがあれば十分な私は安上がりだ。

8:06ホーホケキョ、ケキョケキョケキョ。まねをして口笛を吹くが「ホー」は出るがケキョがでない。

8:50疣岩、上ノ越分岐の標柱。獅子沼へよってみる。干上がった湿地にカエルの卵があった。

ツマトリソウ(ノウゴウイチゴ同様花弁が7は珍しい)9:04
ハイマツの実って初めて見る 9:09
県境に出て本山から大日の稜線を臨む9:10
9:35 イワイチョウ岩銀杏、葉の形がイチョウに似ているらしい
疣岩から高度をさげ、たいらな道を進むと前方左に何かの建物が見えてきた。プレハブが2棟あり通過する。

9:50三国小屋で現場の人たちとしばらく話し、チョコをいただく。本山小屋管理人の小椋さんと後でわかる。

10:00三国小屋建設現場よりこれから辿る道
アップダウンの激しい道。背後のピークに見えていたパーティーに追い付かれ、初めは「どちらから、、、」などと気取った話しをていたが、たがいに新発田と安田とわかると、肩の力の抜けた会話ができた。

10:52七森標柱。

白根葵 11:17
11:22 1日でこれだけ雪が減る
チングルマ&イワカガミ 11:34
12:39 道迷いし、大日杉からの道で左から本来歩くべきみちが合わさる。[切合わせ]。

どうして間違ったか自分なりに考えると、腹が減っていて一刻も早く切合の小屋で何か食べたかった。小屋が見え雪が残っていたので最短ルートで近づこうと地図も出さずに進んだのが敗因のようだ。正規のルートに乗る前に弁当を開け食べたら落ち着いた。

小屋を過ぎ、今度は水が底をついてしまう。切合せ(小屋ではなく)でホースから勢いよく水が出ていたのにその時点で、水の量を確認しなかったのがおバカである。ザックをデポし、水場にもどる。冷たい水がシャーッっとホースから勢い解き放たれていた。戻って少し腹に入れる。

草履塚への登りは雪渓の上を行く。若い男2人組がおりてきてアイゼンを外すところだった。「アイゼン、いりますかねー。」「いや、いるでしょう。」「どちらから?」「東京です。」「今日はどちらまで?」「もうこのままおりちゃいます。」「今なら陽がながいですからね。」「そう、6月の特権てやつです。」彼らにわかれを告げ4本爪アイゼンを装着しゆっくりと登る。

草履塚。このコース最大の突起で塚などという丘ではない。往時は剣神社とと草履小屋があって、湿地を踏んだ泥草履を捨て、足を清めて新しい草履ばきになって、飯豊山神社の清浄な花崗岩砂礫の境内へ向かう関門であった。以上越後の山旅より。

2:40 深山薄雪草、本山、御西間でもっとかたちの良いのがあったが撮ってない
2:43 黄花ノ駒ノ爪
2:53 オヤマノエンドウ
2:55 姥権現、女人禁制をやぶり、ここまで登りついに石にさせられた伝説のヒロイン。ちなみに婦人登頂第1号の記録は大正4年8月30日だそうだ。

3:02 クロユリだと思ったらミヤマハンショウズル
3:09 御秘所、北東の谷底を見下ろす
前方は最後の難関、御前坂が待ち受けている。標高差200mを赤ペンキで書かれた○印に導かれ上がって行く。顔をあげても上はガスっている。

3:46 一王子、石がたくさん積んである。斜度も緩んで今夜の宿はすぐそこだ。

3:47 アオノツガザクラ
3:55 本山小屋。鐘をならす。残念ながらまわりはガスにつつまれてしまっていた。とりあえず水の補給ということで、少し頂上方面に進み南側に残る雪渓の末端にあると、さっき下山する人に教えてもらったのでそこまでくみにいく。

小屋は午前中に会った新発田の4人パーティー、そしてメールで今晩ここにいるとわかっていた「みーさん」とおつれ様。みんな2階ですでに寛いでいた。荷物を1階になげ、階段を登ると左の角っこに新発田組になんでこんなに遅いのかと問われる。無理もない種蒔手前で追い抜いたのが午前中でそれから今まで会わなかったのだから。ミスコースしたことを説明していると、背後から「ハタノさ〜ん♪」と呼ばれ手で挨拶。冷たく冷えたSuperDryを差し出され、遠慮のかけらも見せずにゴチになる。あと、湯がいた、安田で言う「じんだげ」(ねまがりだけ)、ゆきざさのトッピングつきラーメン、ピリ辛みそ汁、きのこカレー、あげにんんくなどをいただき充実した食生活を送ることができた。みーさん、ありがとうございました。

7時過ぎ、日の入りと共にみんなシュラフに潜り込む。体は疲れているのだが、なぜか頭は冴えていた。なかなか寝付けなかったが、寝なきゃとは思わず、こうやって横になっているだけでもけっこう体は休まるもんだなぁなどと思っているうちに知らず知らずに寝ていたようである。


20(日)

4時頃、御西への一歩を踏み出す。小屋の中はおおばらにしたまま。雨具とパンをサブザックに入れいざ。

2年前の夏に本山までは歩いたけどその先は未知の世界だ。風がうなりをあげている。駒形山、玄山道標柱などを通りすぎもくもくと歩く。5時半頃御西小屋に着く。磐梯山がそのとがった頭を雲から出していた。ほんの少し梅花皮小屋方向へ歩いてみた。ひとしきりここからの景色をデジカメに納めたあと、そそくさと戻ることにする。

5:28 御西小屋より大日岳
5:28 梅花皮小屋方面 
6:35
6:37
6:38 桧山沢方向
7:01 本山小屋に戻る
7:04 小屋に戻るとみんな出かけた後だった。寝袋のところにアーモンドチョコとせんべいが置いてあった。せんべいの袋を見ると新潟の米菓のものではない。みーさんからだ。とてもおいしかった。朝飯というか残飯整理をしていると切合からピストンしてきた人もたどりつきはじめた。

8:50 本山小屋発 ピラミダルな磐梯山と重なりあう山並み
本山小屋を背にして歩き出す。一王子をすぎ御前坂、足元に注意し進む。

9:28 御秘所。登る時はそれほどでもなかったが、降りる時はビビった。修験道時代時代の道は今よりはるかに険悪な所に道がつけられ、そこを通過した者のみ一人前の成人として認められる...なんかバンジージャンプも元はそういう意味合いだったような。そんな時代に生まれなくて良かったと思う。

9:34 姥権現付近から大日岳
9:40 御秘所を振り返る
9:46 草履塚。途中から雪渓におりて快適にくだっていく。空は薄曇り、雪渓からの照り返しで顔が灼けてしまうけど、日焼け止めクリームザックから出すのがめんどくさいのでそのまま歩き続けてしまう。ここで(クリームを)塗るか塗らないかでもう少し年をとった時に違いが出るのかもしれない。

9:51 ミヤマキンポウゲ
10:06切合小屋。花を撮影していた人に飯豊にクロユリはないかと尋ねるとないらしいと言っていた。近くでは月山にあるらしい。

水場で冷たい水を補給して、きのう本来通るべき道を下って行った。道はえぐれていて頭上は木がおおいかぶさりトンネルのようだった。

10:46 種蒔標柱。11:05 七森標柱

11:10〜11:50つぶれたパンを食べ休憩
空は晴れているのに雨がぽつらぽつらあたってきた。三国岳から疣岩山の稜線はまだ遠い。たっぷり休んで、あまり軽くなっていないザックをうんせとかついで再び歩き出す。ピークを2つ越して三国小屋建設現場。昼休み時なので誰もいない。

1:06獅子沼分岐。1:38上ノ越と松平峠が分かれる疣岩分岐。疲労もここへきてピークをむかえようとしていた。ガレた滑りやすい感じ路面で気を使う。

2:13 松平峠。まだまだ気が抜けない。少し進んだところでザックを下ろし休む。ガレガレの道より木の根がはり巡らされている道の方が斜度はあっても好きだ。

3:35 祓川山荘前通過。祓川で顔を洗う。とても気持ちがいい。

3:55 駐車場。4:15駐車場発。5:42 無事帰宅。残る飯豊主稜線の未踏区間は御西小屋梅花皮小屋間、地神北峰頼母木小屋間だ。でもいついけるかわからない。一泊装備オンベ松尾根を行く自信は今のところないけどとても興味はある。その次はダイグラか。夢はひろがる。

6/26記