TITLE:言葉の自動車強盗、リチャード・ヘル。 |
CBGBは行きました。 僕が言った時は、STATUS QUOのライヴを演っていました。 そのライヴは観ずに、隣りのCB's 313GALLERYに入りました。 こちらは細長い店内に絵画が飾られ、昼間はアート・ギャラリーとして 機能している店でした。弾き語り調の青年がドラムを従えガンバって演奏 していましたが、お客さんはまばらでガラガラでした。 うっかりビールを持ったまま店を出ようとしたら、「Excuse me! Sir!」と 店員の兄さんに声をかけられましたが、その手はしっかりと僕のビール瓶を 掴んでいました。NYでは、外でアルコールを飲んではいけないから。 CBGBは想像していたよりも小さくて、想像していた通り小汚くイイ雰囲気でした。 現在は、「the Bowery Residents' Committeeによる賃貸料の大幅な値上げのため、 賃貸契約が切れる2005年8月31日に閉店しなければいけない状況」にあるそうです。 以下は、抜粋です。 〜“SAVE CBGB”(CBGBを救え!)に賛同される人は ブルームバーグNY市長宛に下記内容を問う手紙を送ってください。 市や州、および連邦政府から年に2300万ドルもの資金を供給されている 非営利団体(the Bowery Residents' Committee)は、 CBGBが月に4万ドルから5万ドルもの家賃を支払うことができない という理由だけでCBGBを閉店させていいのだろうか? 宛先: Mayer Michael R. Bloomberg City Hall New York, NY 10007 Tel: 311 or 211-New-York Fax: 212-788-2460 映画館の劇場内にも署名ブースが設けられるそうです。 あの文章は、NYパンク・ロッカーに捧げたものです(笑)。彼らだけに。 自分などは到底及びません。生活の中で、ホントウの時間を過ごしている割合が 彼らとは違い過ぎる。割いているエネルギーも。けど人には人のやり方があるでしょう。 ---------------------------------------------------------------------------- 何度も言いますが、僕も「STAND BY ME」は大好きです。 旅が始まる時、メンバーはみんないろんな方向を向いていて、旅がなかなか はかどらない。けれど、道程を重ねて行くうちに、だんだんとお互いの中で 気持ちが重なり合うようになり、旅はひとつの方向性を目指して進んで行く。 旅の目的が達成され、一人また一人とそれぞれの家の前で仲間と別れて行き、 最後には、みんなそれぞれの描く元の世界の中に戻って行く。それで結局。 それらの時間は、もう二度と戻らない。このような友情も二度と再現されない。 しかし思い出されるたびに、その感情風景は永遠に主人公と共にある。 「大切なことほど他人には伝えにくい。言葉にすると色あせる。」 このスティーヴン・キングの言葉は、一番言い得て妙であるかもしれませんね。[2005/07/05 16:06:25]
ぎーひっひ!! むっちダヨ!!むっちダヨ!! なんだか久しぶりに帰ってきたよ!! 「BLANK GENERATION RICHARD HELL & THE VOIDOIDS」 が作られたのが1979年… むっちの生まれる前の年ダネ。 とっても昔ダネ。 この映画は存続の危機に立たされている CBGBをサポートする映画。 CBGBとは、Ramones、Sex pistols、Patti Smithらがライブ活動を 行なってきたNYパンクの聖地ともいえるライブハウス…とあるけど、 宮ちゃんはNYでここは訪れたのカナ? このライブハウス…なんだか気になりマス。 そして宮ちゃんの文にある 「ヒョロヒョロとガリガリな風貌と、タフな精神的推進力。 何かどうしようもなく純粋なモノを追い求めるが故の大胆不敵な拒絶。 渇望。行為。」 …これって、あんたそのものダヨ。 純粋なモノを追い求めるって言葉で思い出したのが最近読み終えた、 「STAND BY ME」。 これが思っていた以上に響いてびっくりしたよ。 映画は見たけど原作は読んでない…なんて人、多いんじゃない? 映画に二時間では描ききれなかった心理描写が、 余すとこなく描かれています。 「俺のそばに、いてくれよな。ゴーディ。」 この台詞に鳥肌が立ったのは僕だけではないはず。 ぎーヒッヒ。[2005/07/05 11:42:40]
今年の夏公開で、観ておきたいと思う映画としてもうひとつ。 「BLANK GENERATION RICHARD HELL & THE VOIDOIDS」がある。 この映画は、70年代後半のNYアンダー・グラウンド・シーンの状況を、 当事者たちの荒い息使いを肌で感じるほどの近さから捉えた映画として、 伝説的な扱いを受けているそうだ。映画館の紹介だと、日本初上陸だと言う。 僕は後にパンクスのファッション・スタイルとして語られた、釘鋲入りの破れ服や、 過激に刈り上げたり、鋭く突き立てた髪型等にはついぞ、ピンと来ることはなかった。 が、フランスの詩人、ヴェルレーヌから名を採ったテレヴィジョンの トム・ヴァーライン。ランボーの詩によって創作に芽生えた、パティ・スミス。 といった人々には、なんとも言えない妖しい匂いを伴う親近感を感じた。 彼らのその一見、ヒョロヒョロとガリガリな風貌と、タフな精神的推進力。 何かどうしようもなく純粋なモノを追い求めるが故の大胆不敵な拒絶。渇望。行為。 それで結局。気がつくと。傍らいつも仁王立ちして眼光鋭いこの男はいったい誰? という事になって。彼、リチャード・ヘルの事を考えてみるのだけど…。?。 あまり彼の事を知らない事もあってか、妙に気になる。僕の想像では、話しかけたら たぶんきっと。シカトぶっこかれるか、蹴られるかどちらにしてもかなりヤなヤツ。 それで、ああこんなヤツにも心を開ける幾人かの友達がいて、そんな友達の前では 彼は一体どんな風に振る舞うのだろう等と、僕はいろいろ考えてしまうのだ。勝手に。 実際彼らの音楽は、爆音のクモの巣に激情の雫が滴り、真夜中の対向車線から 猛スピードでやってくる得体の知れない猛獣のようで、その癖ヘッドライトの 光は鋭く、僕らの視界を瞬時に奪い去り、視力が戻った時にはもう既に時遅し。 彼らは僕らの視界からは消え去り、持ち物はすべて奪い盗られ、その場に立ち尽くし、 素っ裸にされた自分たちには、たいしたモノも残っていないと茫然自失となる。 感情を逆撫でするような高笑いを聴きながらも、またその猛獣の正体がどんなものかと 知りたくなって、彼らのレコードに耳を傾けるハメになる。どんな秘密があるのかと。 しかしまた、あの憎きヘッドライトの閃光にやられて、身ぐるみ剥がされてしまう…。 リチャード・ヘル。本人によると彼もまた、ファースト・ラヴは「書くこと」 であったらしい。「詩のオーディエンスは限られていて文化から隔絶されていく ような気持ちになった」と、73年ミュージシャンに転向。後の動向は周知の通り。 パンク・スター。NYパンクは激昂した詩人の叫びじゃなかったか。そんな気がする。 弦楽器を携え、鼓を連打し、真情を吐き散らした路上の詩人たち。彼らの表現の的は、 社会や階級よりも、むしろ人間個人に向けられた。今では音楽表現から足を洗い (追記、完全にヤメたわけではないらしい。)、 俳優業からも身を引いたヘルは、自身の原点であった「書くこと」に帰って来ている。 結局、生きるか死ぬかのロックンロール人生の中で(文字通り)、なおも生を選び 取っている彼は、誰にも負けないほどのオプティミストに思える。そんな彼は今も昔も 相変わらずに、変わり続けることをキープし続ける現代の言葉の人なんじゃないか と僕は思うのだけれど。この映画、マスコミの煽りを差し引いてもやはり観てみたい。 RICHARD HELL/GO NOW/35 今なら宗教がどこから生まれたかが分かる。恐怖と自己嫌悪だ。 そうあるべきだという理想に沿って物事を操ろうとすれば、それが使命感でも、 意欲でも病んでくる。その行き着く先は、消耗と傷ついた自分の姿で、 しかも何も変わらない。そもそも生きることそのものが病なんだ。無性の伝染病。 詩人のリルケはこう言った 人生を賭けるに値する闘いは唯一、 決して人が勝利できないもの、つまり天使との闘いである、と。 それは、変わるのは自分自身でしかないということだ。 そして自分が変わったときに、世界は変わるのだ。[2005/07/05 03:24:00]