先日は、竹橋の東京国立近代美術館で、
「ゴッホ展-孤高の画家の原風景」を観に行きました。
僕は常日頃、ゴッホのことを考えることは限りなくゼロに近いです。が、
この日だけは、彼のことを考えました。
フィンセント・ファン・ゴッホ。近代芸術が社会的評価を得る為の苦闘の中で、
斃れた殉教者。という一般認識。僕にとっての彼のイメージも
それとそんなに変わりのあるものではありませんでした。
気が狂って耳の一部を削ぎ落とした人。太陽のような黄金の向日葵を描いた人。
そして自ら命を絶った人。社会的孤立。不遇。貧困。狂気。自殺。
古くから言われる芸術家の苦悩、「メランコリー(憂鬱)」と共に生きた人。
それは我々の想像を絶する、気分という言葉ではすくいきれない、絶大な感情。
非凡であるが故に、自分の限界をも痛烈に認識してしまうというパラドックス。
そのような地平から残された絵画や発言は、どこまでもソリッドで清冽。
凡人の自分のような者が触れても、その切れ味を肌で感じることが出来た。
彼は27歳にして、ようやく天職としての画家を志した。
彼は、自分が正式な絵の教育を受けていないことを、終生気に留めていたという。
彼の残した油彩模写は、その苦闘の産物でもあった。
「夢想に耽っていると、ある欲求が湧いて来る。とても遠いところからやって来る
のだが。それは自分を変えたいという欲求、そして僕の絵は、たとえ田舎のひまわり
には感謝の気持ちが象徴されているとしても、何を描こうと苦悩の叫びでしかないが、
その事実を自己弁護してみたいという欲求なのだ。」
「印象派が色彩に関して発見したことは、これからますます発展してゆくだろう。
だが、多くの連中が忘れているひとつの絆がある。
つまり印象派を過去に結びつける何かだ。
僕は印象派と他の画家たちとのあいだに厳密な区別など絶対にない
と信じていることを全力で示そうと思う。
ミレー、ドラクロワ、メッソニエのように凌駕することのできない画家たちが
今世紀に存在したことを、僕はとても嬉しく思う。」
彼は、芸術家のユートピアをつくることを夢見て、南仏アルルに
「黄色い家」を借りる。ひとりで住むには大きすぎるその家に
友人たちを招き入れるべく、孤独に黙々と改装を進めるいじらしい
彼の姿は、必要な経費の工面を弟に依頼する書簡の中に窺うことができるそうだ。
自力でやること。力を合わせること。彼はこんな真っ正直なことを、
何処までも誠実にやり続けただけだったんだと思う。
孤高なんて簡単に使う言葉じゃないなあとも思った。
[2005/05/09 01:38:04]