TITLE:冬の言葉 


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NAME: miyata   
うん。そんな気がするんだよ。

だからよくさ、あの人は現実離れしちゃってるとかさ、
あっちの世界の人だからとかさ、みんな平気で使うけどさ。

じゃあ、おまえさんのいる現実離れしてない世界って、
こっちの世界ってなんなんだよ。ほれ言ってみろって言いたくなるよね。
別に精神世界の話でもなんでもないよ。一番現実的な話だと思う。

ソローの「森の生活」でこんな箇所があって。
〜多くの人々は、静かな絶望の生活を送っている。一般的に言ってあきらめとは、
絶望の確認にほかならない。絶望の都市を出て、絶望の田舎へ行き、ミンクや
マスクラットの勇敢さに見習って自らを慰めるしかない。
我々の競技や遊びの根底にもある絶望が無意識にひそんでいるのだ。

それと、よしもとよしともが作品の中でズバッと言ってた言葉、
「君の世界は正常に機能しているか?」っていうのは正にその通りだと思う。

自分の心に風穴開けるには、俺はやっぱなんか作ってくしかないんだよな!

『道路はなんで硬いのかなあ?』って言葉さ、
昨日寝る前になって急に思い出しちゃったよ。
改めて思い起こしてみると、けっこうインパクトあるよね。
小さい子は小さい子なりに、自分と自分を取り巻く世界の事を
全身で考えてるんだね。俺たちだって、何か…!出来るはずだよね!
[2005/01/31 00:27:28]

NAME: むっち53   
そうだね。
作品は、自分の感じた(あるいは伝えたい)現実を
異世界の住人(これも現実世界の自分の分身)に
演じてもらっているだけなのかも。

だから、どんなに突拍子もない世界でも、音楽でも、とてつもなくリアルに
感じる時がある。
多少のディフォルメがあったとしても。

それは、どんなものでも現実が作品を生むし、逆に作品が現実を生む事もある
ってことにも繋がるのかな?
[2005/01/30 10:59:53]

NAME: miyata   
自分が知識があるようには到底思えないな。
ホントに知識がある人だったら、こんなダラダラ駄文垂れ流さないんじゃないかな。
いつも上澄みだけすくったような文章になっちゃって恥ずかしいくらいだ。
アレとかコレとか、ソレもいいよね!とかさ…。言ってて白々しいじゃん。
だから書く時は、多少なりとも腹に一物据えて書くようにはしてるつもりなんだけど。

でもね。アレのここは好きじゃないとか、コレのここはちょっと…とか。
そういうの聞いたり、見たりするのは僕はそんなに好きじゃない。面白くない。
アレのここが好きとか、コレのここはいい…とか。
そういう発想を見たり、聞いたりする方が発見も多くあるし、楽しい。
どっちも非常に大切なんだろうけど。流されてじゃなくて、能動的に探っていって
やっとコレのここが好きだとか言えるんだと思う。自分はそういうことに自分の
エネルギーを使いたいんだよね。だから結果的に僕は、コレいいとかそういう事しか
言わないように感じるかもしれないけど、「どうでもいい」ものが星の数ほど
腐るほどある中で、「今、自分はこれがいい、ここがいいと思った」って
言っているつもりなんだよな。これはホント、誰がそうしてるからとか、
何かの影響でとかいう話でなく、僕の中での揺るがないもの(と、思っている)。
第一こういう風にしかやれない。それ以外の事はあまり考えてないし、
たいした意見もない。ただ、ハッとするものに出会いたいだけなんだろうな。
それで、そういう感じを受ける人には何故かシンパシーを感じてしまう。
そのために行われた人の必要性にかられた思考の整理、過程や結果に、
「おおっ!」とか、「わあっ!」とか感じてるのかもしれない。

「育って来た環境が違うから、好き嫌いは否めない」
って歌があったけど。それはその通りだと思うし。
でも自分が成長してかないと、新しいモノって取り込めないよなあってよく思うよ。
自分を曲げないで、好きなモノ増やして行きたいって気持ちは凄くあるなあ。

子供の話だけど。俺は絶対的に、自分はもう子供ではないんだってのはあるけどね。
いくら童心に返ろうとも、自分の童心と子供の童心とには越えられないカベがある。
でも逆に言えば、自分の童心は今子供である人には持ち得ない何かではあるだろうし。
「なんで…なんだ?」っていう問いはいっつもあるなあ。
なんで、いっつも時間に追われてるんだろう?とか(笑)。

今日、たまたま元ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンがサイン会で
店に来てたんだけど。ステージの袖から、5分くらいマジマジと彼を見てしまった。
ある意味、ジョン・レノンやディラン級の人だと思うんだ。
で、この人はいったい何なんだろう?って。昔読んだ彼の伝記とかもうほとんど
忘れちゃったけど。彼が自分のすぐ傍を通って行ったのを見ただけで、
なんかショックだった。部屋着みたいなカッコウでさ。傍らの自分等みんなに
興味を示しながらヴァンの助手席に乗ってったよ。一挙一投足、
ちょっと常人のそれと違かった。どういう世界を持った人なんだろう?
なんで、彼はブライアン・ウィルソンなんだろうなあ…?

最近は音楽でも、本でも。
作品の世界と現実の世界に、あまり違いを感じなくなって来てるなあ。
どんなものでも現実が作品を生むし、逆に作品が現実を生む事もあるよね。
聴覚、味覚、視覚、触覚、嗅覚ってみんな繋がってるよね。
[2005/01/30 01:36:29]

NAME: むっち52   
指輪物語は、流行ってしまったのが裏目にでて、まだ読んでない…。
ゲド戦記、ナルニア国物語と並んで、いずれ読みたい本NO.1だよ。
あ、あとトム=ソーヤーも。

「人間とは何か」…興味深いね。
どの作品も臭いを感じるんだけど、それが関係しているのかな?
人間くさーい、泥くさーい臭い。
それをかいだ瞬間、僕はその世界の住民になっていて…
でも、いつかは現実に引き戻される。

『道路はなんで硬いのかなあ?』って台詞は
昨日、仕事帰り小さい男の子が呟いていたのを偶然耳にした言葉。
妙に、引っ掛かってねえ。
僕も一緒になって、考えてしまったのです。
『道路はなんで硬いのかなあ?』
身近にある、子供世界の遠さを改めて感じてしまったひとときでした。

しかし、宮ちゃんの知識の幅は広いなあ。
ほんと、毎回驚かされます。
[2005/01/29 12:30:09]

NAME: miyata   
ちょいとおめえさん。51かぶっちまってるぞー。
いちお、ツッコんどくね…。こないだは新曲の感想ありがとう。
文学少女?そんな風情は微塵もないよ〜。

「ハックルベリーフィンの冒険」は俺も持ってるけど、
前に一回、読むのストップしちゃってそのまんまだ。
でも作者のマーク・トウェインは批評家に対する一種の反抗から、
この本を書いたんだってね。「大人に 大人にのみ 読まれるものだ」
と考えていたらしいよ。ヘミングウェイは「アメリカ近代文学の散文のスタイルは、
ハックルベリー・フィンという一冊の書に源を発した」とまで言っているそうです。
それから60年代のビートのルーツとしても、ホイットマン、ソローとともに、
自然児ハックルベリー・フィンは大きな位置を占めているみたいだ。
権威(飲んだくれの父親)から、ドロップ・アウト(黒人トムとの脱出行)すること
に端を発する旅物語ってところが、「路上」とも似てるのかもしれない。
彼は後年にも、「人間とは何か」とか興味深い著作を残してるから、
いつかはハマってみたいとは思ってるんだけど…。

でも難しい話抜きに、冒険モノは楽しいよね。
旅モノだと、J・R・R・トールキンの「指輪物語」も大好きだね。
今、なんか流行っちゃったけど。昔、誰も話題にしてない頃に全部読んだんだけど。
文章を想像しながら読むと凄くおもしろいんだよ。訳文へんてこりんだけど。
あの本もトールキンが「大人のための幻想小説」として書いたものなんだよね。
彼はもともと言語学者で、古ヨーロッパ言語を研究しているうちに、
暖炉で子供に話して聞かせるために「ホビットの冒険」(確か岩波少年文庫?)
っていう本を書き上げたのが発端らしい。
至弱(ホビット)が権威(魔王)に立ち向かうっていう構図。
こちらも、60年代以降の若者文化の中でも支持があったらしい。

漫画は、最近読んだのは井上雄彦の「リアル」4巻。
車椅子バスケに賭ける若者の話。
野宮の「俺は一体何やってんだ」ってセリフは響くね〜(笑)。
藤子不二雄は20代になってから読んでないかも。

それにしても、読みたいモノは増えるのに、なんで時間は増えないのかね〜。
で…、最後の道路はなんで硬いのかなあってのは何だい??
あんたのあんよが柔らかいからじゃないの(笑)?
[2005/01/29 01:33:07]

NAME: むっち51   
文学少女だったのかもね。
なんだか、宮ちゃんとかぶるよ。

今、「ハックルベリーフィンの冒険」「ぺギースーの冒険」を読んでます。
なんだか冒険ばっか…しかも児童文学…
漫画は藤子不二雄「笑うせえるすまん」「魔太郎が来る!」。

どれも、おすすめです。

ところで、道路はなんで硬いのかなあ?
[2005/01/28 21:20:14]

NAME: miyata   
暮れに部屋を整理していた際、
クローゼットの奥から、母親が若い頃に買った詩の全集がざっくり出土した。
年月日から推定すると、どうやら今の自分と同じ歳の頃に読んでいたものらしい。
石川啄木とか、室生犀星とか、宮沢賢治とか…。意外だ〜。

ふとさっき手にとった、高村光太郎の詩が季節に合って良かったので載せてみます。

「冬の言葉/高村光太郎」

冬が又来て天と地とを清楚にする。
冬が洗ひ出すのは万物の木地。

天はやつぱり高く遠く
樹木は思ひきつて潔らかだ。

虫は生殖を終へて平気で死に、 
霜がおりれば草が枯れる。

この世の少しばかりの擬勢とおめかしとを
冬はいきなり蹂躙する。

冬は凩(こがらし)の喇叭を吹いて宣言する、
人間手製の価値を捨てよと。

君等のいぢらしい誇をすてよ、
君等が唯君等たる仕事に猛進せよと。

冬が又来て天と地とを清楚にする。
冬が求めるのは万物の木地。

冬は鉄碪(かなしき)を打って又叫ぶ、
一生を棒にふつて人生に関与せよと。

「怒」

怒とは何。
怒とは存在の調革(しらべかは)。
人そのものに何の怒。
因果の狂ひ、人間の非力さに腹が立つ。
非力の者のけなげさを誰が知る。
被ひかぶさる理不尽の力に腹が立つのだ。
腹が立つのを恐れない。
怒は無明のうらうへ。
力の変圧。
雲の密集に孕む熱雷。
怒は人間を浄める。
怒は人類の向きを匡(ただ)す。
腹が立つのを恐れない。

「詩人」

いくら目隠をされても己は向く方を向く
いくら廻されても針は天極をさす。

「或る墓碑名」

一生を棒に振りし男此処に眠る。
彼は無価値に生きたり。
彼は唯人生に偏満する不可見の理方に貫かれて動きたり。
彼は常に自己の形骸を放下せり。
彼は詩を作りたれど詩歌の城を認めず、
彼の造形美術は木材と岩石との構造にまで還元せり。
彼は人間の卑小性を怒り、その根元を価値観に帰せり。
かるが故に彼は無価値に生きたり。
一生を棒に振りし男此処に眠る。

「一人づつが」

一人づつが眼をあかないで、何の全体。
おれは下からゆく。

「激動するもの」

さういう言葉で言へないものがあるのだ
さういう考方に乗らないものがあるのだ

さういう色で出せないものがあるのだ
さういう見方で描けないものがあるのだ

さういう道とはまるで違った道があるのだ
さういう図形にまるで嵌らない図形があるのだ

さういうものがこの空間に充満するのだ
さういうものが微塵の中にも激動するのだ

さういうものだけがいやでも己を動かすのだ
さういうものだけがこの水引草に紅い点々をうつのだ
[2005/01/27 23:51:21]

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