TITLE:それの何処が可笑しいの? |
なんか涼しくなってきたね〜。バッチいよいよ納品だね!愉しみだね。 アレン・ギンズバーグはケルアックやバロウズたちにも増して 一番、現実に対して現実的なアクションを起こした人だと思います。 彼は自分個人の問題(頭がおかしくなってしまった母親のことや、 自身の同性愛的気質など。)と自分の国で起っている問題とを、 同等に捉えて表現を模索していったところに、僕は惹き付けられるものがある。 そしてウォルト・ホイットマンは、彼に大きな影響を与えた詩人の一人。 日本では明治25年、夏目漱石によって紹介されているそうですが、 僕はケルアックらのビート・ジェネレーション、ヘミングウェイら ロスト・ジェネレーションとさかのぼって、彼に辿り着きました。 「森の生活」を書いたソロー、「ハックルベリーフィンの冒険」などでお馴染み、 マーク・トウェインと並んで、アメリカ現代文学の源泉とも言われています。 ビートの魅力について。以下の文が言い得て妙です。(長いけど。) 絶望のうちに出発したビートの洞察力は、 衝撃的な経験をかいくぐるうちに高められ やがてアメリカ人の生活における最大の危険を認識するに至った。 この探求を動機づけたエネルギーを最も的確に表しているイメージ のひとつに、裸ということがある。それが美的に表現されたのは、 作家は自己の想像力の本源的な衝動にのっぴきならず己を賭けるべきだ というジャック・ケルアックの考えや、「カディッシュ」のような詩 におけるギンズバーグの仮借ない自己暴露や、「裸のランチ」で バロウズが、自分の麻薬中毒症の悪魔的様相を隠すまいとした そうした拒否においてであった。だがビート達にとって裸とは、 単なる美的基準としてあったのではなく、公私両面における象徴的な 身構えとなったのであり、芸術と行動を切り離し難く結びつけるに至った のである。だから、アレン・ギンズバーグは、詩の朗読会で衣服を 脱ぎ捨て、ケルアックは、裸で洞窟暮らしをした中世チベットの 学僧ミラレバのようになりたい、と書いたことがあったのだ。 そして、最終的な声明としてニール・キャサディが選んだ途は、 メキシコで鉄道線路の傍らに横たわっている自分の裸の死体を 発見してもらうことにほかならなかった。肉体を剥き出しにし、 魂をさらけ出すことをこのように強調したのは、ビート達が感じとった 裏切りに対する直感的反動であった。その裏切りとは、大衆が自力で 自分の途を決定するというアメリカ的思想の堕落変質を容認したこと である。裸とは、再生のしるしであり、自己同一性のしるしなのだった。 〜ジョン・タイデル/ビート世代の人生と文学・巻頭〜 こないだ、たけしのテレビタックル見てたんだけど、 日本の政治ってほんとひどいもんだね。頑張ってる人もいるのだろうけど。 ★さて。で、やっぱり楽しいのは音楽の話! STEPHEN DUFFY & THE LILAC TIMEの新作、国内盤が出ましたね! 素晴らしい作品に仕上がってました! 少なくとも、ネオ・アコースティックに思い入れのある方は是非! 今までで一番好きかもしれないな。 〜アレン・ギンズバーグ 君はどうにか世界を変えた STEPHEN DUFFY & THE LILAC TIME/SO FAR AWAY〜 www.thelilactime.com[2004/08/27 15:43:51]
うんうん、これぞ宮田節。 これを、待ってたんですよ。むっちは。 アレン・ギンズバーグの言葉は日の出づる国、旧大日本帝国にも感じますな。[2004/08/26 23:26:55]
さて。今晩は何の脈絡もなく スティ−ヴ・アールというシンガー・ソングライターに ついて書いてみようと思います。 何でかって言ったら、たまたまこの間職場で拾った STEVE EARLEのJUST AN AMERICAN BOYと言うサンプルDVDを見たから。 彼は最近、「タリバン兵になったアメリカ人」にまつわる曲を書いて 良識あるアメリカ人達からめったくそに非難されたそうです。 現代という時間の概念ほど、客観視することの難しい時代はないのでしょうが、 彼のやった事は、今を生きる我々にいろいろな事柄を考えさせるなと思う。 時々人とも話す事があるが、物事は様々な角度、立場から検証されるべきもので、 そう言ったプロセスは自動車工場の作業工程のようにオートマティックに 処理されるべきではないことは誰もが知っている。わけだが、実際はどうだ? アメリカは現代のローマとも言われるが、その原動力ともなった理想を忘れて ほしくはないな。と、スティーヴ・アールの歌を知って、自分の脳みそなりに考えた。 故アレン・ギンズバーグは、「かつて、ウォルト・ホイットマンが 歌い上げたような、粗野で美しいアメリカは失われた。」と語っていたが、 「粗野で、美しい」という言葉。僕はずっと頭から離れないでいる。 妙に惹かれる言葉だ。ロックンロールのような言葉だな。 キリスト教とイスラム教の聖地が、ショッピング・モールよりも小さい土地に ダブって存在しているという事実。(アールの曲にエルサレムと言う曲がある。) なんだか意味があるような気もして来る。だからこそ、意味がある ような気もして来る。〜こういう話ってつまらない話なのかなあ? アズテック・カメラのナイフという曲に、世界を大きく引き裂くナイフが登場する。 この事を最近は依然にも増して、思い起こしてしまう。 ナイフは僕の正体を見破り 君の企みを知っている ナイフは分割と呼ばれ 僕が眠っている時にさやから抜かれる それは絶望的にひどくねじれていて まるで軽視にすり減らされたようだが それでも空を大きく引き裂き たちまち雨を降らすことができる スティーヴ・アールについて書こうと思ってたのに、 アズテック・カメラに来てしまった。でもいいや。 最近、ニック・ロウの(WHAT'S SO FUNNY 'BOUT)PEACE,LOVE & UNDERSTANDINGを 勝手に日本語にして歌ってみたりしてみた。 何でかって、スティーヴ・アールがDVDのラストで歌ってたから。 ただの真似っこです。[2004/08/26 03:09:42]