TITLE:翻訳喪失 |
ああ、僕も見ました。 これらもろもろの事はどうやら、CIAによる奨励があったとの事だ。 大統領直属の中央情報機関である彼らが、クチを割らせるために。 こういったふざけた事は、何も今に始まったわけでもなく。 どうやら、僕らが生まれるずっと前から行われていた事らしい。 かつては彼らの天敵であった、共産主義者たちに対して。 則ち、世に言う「アカ狩り」。 60年代後半まで吹き荒れた恐怖政治。 ドストエフスキーやトルストイの本さえ、みんな捨てなきゃいけなかった。 世間的には、かのウォーターゲート事件によって、専制政治は阻止された。 という事になってはいるが。(その頃の表現者たちが、どれだけ命をはっていた事か。) 今のアメリカの政治は、その頃と比べてみても 相当、ヤバいところまで行っているように思う。 まあ、僕らの政府が言える事といえば、 せいぜいいつもの、「やむを得ない。」か「誠に遺憾。」ぐらいなもんだろう。 20世紀のあらゆる狂気を切り抜けた作家、故ウィリアム・バロウズ氏は 「政治について」こんな事を言っています。 〜私たちは自由を奪われている連中の手で支配されている。 「何とかしてあげたいのはやまやまだが、 私の一存ではどうすることもできない。」という具合に。 …彼の時空を超えた鋭い洞察力には、ただただ敬服するばかりです。 今の時代は、何者をも頼りする事は出来ないのだとも言える。 たとえとてつもなく酷い事が行われたとしても、 誰一人として裁かれる奴が見つからなかったりもするのだから。 まるで何事もなかったのかのように。その暴力は巧みに隠ぺいされて行く。 何も政治に限らず、僕らの身近な生活においても こういった不穏な影が纏わリついているように僕は思えてならない。 狂ってしまうにも、正気を保つにも。 結局は、自分達しだいだということなのかもしれないですな〜。[2004/05/09 21:44:41]
ミッシェルいいねえ…共感できるなあ。 そういえば、新聞に『犬のまね』という写真が新たに公開されたとあった。[2004/05/09 14:22:07]
今日は、とっても天気が良かった。 久々に休日を休日として過ごしたような気がする。 昼前に起きて、街へ出て、1駅分歩いて、人に会って、 ご飯食べて、絵を見て、家具を見て、服を見て、コーヒー飲んで、 本を見て、映画観て、ご飯食べて、また1駅分歩いて帰った。 観た映画というのは、「ロスト・イン・トランスレーション」。 観て良かったと思う。友愛。心の繋がり。 パンフレットに載っていたミシェル・トゥルニエという作家の言葉。 〜愛情と友情の重大な違いは、敬意なき友情は存在しないことだ。 愛は大食らいで糞までも食べてしまうが、 友情とは軽蔑によって打ち砕かれてしまう。 そして、安野モヨコという漫画家の言葉。 〜シャーロットがみんなで話しているのに自分だけ違うところを見てたり、 自分だけ周りについていけなくて疎外感を感じている。それって無性に共感します。 そんな中で唯一自分と同じ境遇のボブに出会って惹かれていく。 結局、一番強く感じたのは言葉がわからないことより、 ボブとシャーロットがそれぞれ妻と夫とわかりあえていないということ。 言葉は通じ合っているのにわかりあえていない。そこが悲しい。 コミュニケートできないことよりお互い繋がっていないということの方が ずっと悲しいことだなって思いました。 …ヤバいなあ…! こういった事って。僕は常日頃感じます。 それにこの映画で描かれている事は決してファンタジーなんかではなく。 現実でも十分に起こりうるということは、僕は確信を持って言える。 だからどうしても。自分の場合はこうやって何か文を書いたり、 歌を作ってしまったりするんだろうな。 そうでもしなきゃ、とても自分の気持ちを補えません。 ボブとシャーロットが偶然、 「魂の模索、本当の自分探し」という本を読んでいたというエピソードも。 何だかとても他人事には思えない。 思っていた以上に。 今の自分の気持ちとシンクロしてしまった映画でした。 〜昨日、大阪に単身赴任しているレーベルの名付け親から、 「最近、新曲の便りがねえぞ!」というお叱りのメールを貰った。 …しょうがねえな。そろそろやるかあ(笑)![2004/05/08 01:03:16]