*ドイツ珍遊記・その2〜11月29日ハンブルク&ブレーメン*
朝6時起床。ケータイの日本時間は14時。テレビをつけると、ドイツ版ズームイン朝!だ。
朝食は7時から。簡素なドイツ式バイキング。僕らが席に着くや否や「モルゲン!」と大声で挨拶する
女将さん?のような威勢のいいおばあさんが登場。「コーヒーか紅茶か」を聞きに来たのだ。
(このおばあさんは、最終日の朝食まで毎朝登場。のちに我々によって「モルゲンばあさん」と
名付けられる事になる。)日本の白飯に相当するのは、ブレートヒェン(ゼンメル)
と呼ばれる手のひらサイズの固めの丸パン。このパンにナイフで輪切りに切れ目を入れて、
間にハムやチーズを挟んで食べるものらしい。でも僕がそれを知ったのは旅の中盤。列車でガイドブックを
読み直していた時の事だ。知ってか知らずか、武藤くんはこのワザを初日から会得していたが、
僕は最終日の朝食まで、外国人らしくちぎったりかじったりしながら食べた。
初日から、全メニューを制覇しようとしてた僕に、武藤くん一言。「明日も同じの出るよ。」
窓から朝のハノーヴァーの通りを見ると、まだ日は昇っていなくて、辺りは真っ暗だ。もぐもぐしている間に、
ようやく白みがかって来て、結局朝日が見えて来たのは9時前頃だった。8時半出立。一路北へ。
ドイツ第二の都市、港町ハンブルクを目指す。ハノーヴァーで切符を買うのと、乗り継ぎ時間の件で、
武藤くん奮闘。(HANNOVER Hbf → BUREBURG → HAMBURG Hbf)所要時間約1時間半。
(ドイツの鉄道は改札がなく、直接ホームに行き列車に乗ることが出来る。そのかわり、車掌が車両を巡回して
切符を確認して回る。車掌さんは大変だが、乗車客にとっては楽だなと思った。)
北へ向かうと、黒い木立の中に雪が多く残るようになって来た。晴れてはいたが、日の光は弱々しい。
僕は出発した日に地元で見た半熟卵のような日本の朝日を思い出していた。水平線から日が昇る国の。
途中、間違えてHH-HAMBURGという小さな駅で降りてしまう。(新宿における、西新宿のような駅。)
HAMBURG中央駅到着。終着駅に相応しい、鉄筋製で重厚な大きいドームを持つホーム。
世間的にはハンブルクと言うとブンデスリーガ、ハンブルガーSVの高原選手という
ことになるらしいけれど、僕にとってハンブルクと言うと、小さい時いとこのいる叔父さん一家が
西ドイツ時代、この街に転勤して行った時のことを思い出す。お下がりにレゴ・ブロックが大量に送られてきたものだ。
時計台を持つ古い小さな駅舎を背に、駅前大路を港の倉庫街方面へと歩く。クリスマス市はこの街でも。
通りでは、素朴な楽器演奏者、歌うたいが目立つ。クラシックを演奏する者、クリスマス曲を演奏する者、
フォーク・ソングを歌う者…。ギター弾き、アコーディオン弾き、ヴァイオリン弾き、ウッド・ベース弾き…。
この旅の間中、街中で音楽が聞こえて来たら必ず足を向けるようにした。音楽へ向かう靴を履いて行ったから。
「DON'T FORGET TOUCH ME」と歌っているフォーキーな二人組の歌い手が印象的だった。とその後、
間髪を入れずに、右斜め前方、僕らを追い抜いて行くギター・ケースをぶら下げた二人組が。すぐ後をついて
行くと、一件のレストランに入って行ってしまった。彼等は入ってすぐ楽器を取り出して店の入り口の中で
歌い始めた。店に入ってすぐその場で楽器を出して歌い出す、というその一連のリズミカルなやり方。その
時間の短さが、この街の人と演奏家との距離の短さでもあるような気がした。心が躍った。ドイツの
ストリート・ミュージシャンは、年配の演奏者が過半数を占めていた。その中で若者も交じっていたりとか。
街中の風景にスッと溶け込んでいる感じが良かった。騒音のように感じることは不思議と一度もなかった。
聖ニコライ教会廃墟。天空を突く荘厳な教会の廃墟。地震の多い日本であれば、こんな建築物をほおっては
おかないだろう。巨石の冷たさと黒々しさがどこまでも重い。戦争を生き抜いた建造物の多くは、
空襲によるものか真っ黒く煤けていた。天空を舞い降りて来た天使の像が爆撃の火焔に包まれたその日。
世界はまさに聖書の予言の日であったに違いない。ナチス・ドイツ第三帝国はドイツ暗黒時代のひとつだ。
それにしても寒い。途中トイレを借りたり、カイロを取り出したりしつつ。倉庫街が見えて来た。
そのまま通りを真っすぐ行くと、港のビュー・ポイントなのだったが、武藤くんのストップ・コール。
時間の都合上右に折れる。FISCHMARKT(魚市場)へ。エルベ川沿いは川岸というよりは海岸。
大陸の大河は海のようだ。この港から、ヨーロッパ各国、かつての新天地アメリカ、ニューヨーク等への
出航船が出ていたらしい。とにかく寒い。川沿いの1595年に建てられたアーレンズブルク城から地下鉄へ。
レーパーバーン駅下車。駅を出てすぐ、その街のやさぐれ具合に、NYのバワリー周辺を思い出す。
レーパーバーンは「世界で最も罪深い1マイル」と呼ばれるザンクト・パウリ歓楽街の中心部。
夜になると如何わしいネオンのギラつくナイト・クラブや、セックス・ショップが目を覚まし、人々の欲望に
火をつけるのだという。僕らの目的を誤解されると行けないのでここで明らかにすると、このレーパーバーン
には、無名時代のビートルズがデビューを飾った、「カイザー・ケラー」という老舗のライヴ・ハウス
があるのだ。通りに潜入する前に、ここでちょっと妖しいレストラン「JOKER」で昼飯。またしても
店のおねえさんに「トイレどこ?」が伝わらない。(NYグリニッジ・ヴィレッジの時と同じパターンだ。)
そう言えば、ここのトイレの男性用便器の座高が道中一番高かった。今になって思い出した。
僕はピザ、武藤くんはフィッシュ&チップス。ここで僕は二度目、武藤くんは初のドイツ麦酒。
店内演奏はSADE。港町で聴くSADEは心地よく響いた。店を見渡すとみんな店のねえさんと顔見知りみたいだ。
この東洋人2人は場所柄、怪しく映ったかも知れない。勘定の時、「カイザー・ケラーどこ?」と、
ドイツ語に挑戦するが、撃沈。名詞だけは伝わり、「すぐむこう。」とそっけなく。ゴハンは美味しかった。
レーパーバーンの通りは、昼間はみんなどの店も閉まっていて、ゴーストタウンのようだった。
エロティックな店が軒を連ねていて、大胆な写真が軒先にたくさん貼られていたが、日本のそれと違い、
どこか野性的な、動物的な匂いがした。下卑た感じがあまりしないのは、性に対する意識の違いなのか。
ゲイ・ショップが堂々と何件もあった。店から出てくる兄貴と目が合った。前を向いた。
カイザー・ケラーを見つけた。普通だった。もちろん閉まっていた。裏の通りのギター・ショップで弦を買う。
(ここで買ったマーチンの弦を9日のライヴ当日に使ったのだけど、本番で切れないはずの弦が切れた。)
ギター、ベース、ドラムスでそれぞれ小さな個室になっている小さな楽器屋さんだった。
店の奥で楽器屋の職人さんがストラトキャスターを修理していた。武藤くんが何か話しかけていた。
「Oh,,,it's cool!」と彼が言った。なるほど、そのタイミングで言うのか。と僕は内心ここでも
彼から英会話のタイミングを学んでいたのだった。そしてその頃僕は、JOKERのおねえさんは僕らをゲイの
カップルだと思ったんじゃないかと言う疑念に行き着いていた。YAMAHAやTAKAMINEのギターがあった。
ちょっと早送り。ハンブルクに戻り、一時間。ブレーメンに到着。この街はグリム兄弟の足跡を辿る
フランクフルト近郊ハーナウから、南北に連なるメルヘン街道北の終着駅。(ちなみにこのメルヘン街道
というのは、ドイツ観光局がプロモーションしている観光ルートのひとつで、お仕着せルートに過ぎない。)
ブレーメンの音楽隊は、年寄りのロバ、イヌ、ネコ、ニワトリ。年をとり、ご主人様から役立たずの烙印を
押された1頭、2匹、1羽は、音楽隊を夢みてこの街を目指す。結局、道中のどろぼう一味のアジトから
ドロボウたちを追い出して、みんなその家で仲良く暮らしてしまうのだけど。音楽隊の像はさりげなく街に
立っていた。街の中心、市庁舎と聖ペトリ大聖堂は、やはりクリスマス市で大賑わい。ここの屋台で、
ちょっとふわふわしてる呑気な兄さんから、銅の手彫りのギターやネコのハンコを買う。
最後に、シュノーア地区。15〜16世紀に建てられた小さな家が、狭い通りの両側に軒を連ねている地域。
アンティーク・ショップや工芸品の店がたくさんあり、店に入ると、おばさんが「グーテン・ターク!」
といつも挨拶してくれる。(ドイツのお店は、いらっしゃいませがなくて、おはようとか、こんばんはが
最初に言われる言葉なのがいいなあと思った。お客様は神様です。なんてアホな考えはなくて、店の人は
いつでも客と対等の立場にいる。だから、客側の我々も人として接してもらえているような気持ちになる。)
迷路のような石畳の路地は、人がほとんど通らず、レストランやバーの軒先だけが仄かに灯を灯していた。
ここの路地が出来た頃、日本は室町戦国期。さっきの聖ペトリ大聖堂は着工が平安京よりも古い。
なんかわけがわかんなくなってきつつ腹が減って。夕飯。キャッツ・ベリーのロゴそっくりの看板の
お店に入る。食べたのは…、どっちかが魚料理。白身魚。やっと分かって来たメニューの読み方。
Fischgerichteが魚料理で、Fleischgerichteが肉料理。…視覚的にどちらも同じに見えた。
テーブルは、地面より少し低く窪んだ所に、ビニールの屋根をかけて、ストーブを焚いていた外のテラス。
お店の人は、陽気で気さく。僕らはまた違う味のビールを試した。目に見える世界の全てが調和していた。
僕らはそんな夢の異次元で酔っぱらい、浮き世のことを忘れ始めていた…が、やはり東洋のお猿であった。
次回は、3日目(クヴェートリンブルク)に着きます(のはず…)。
※道中の写真の一部を、Contactページ(上記URL)に掲載しました。
[2005/12/17 23:09:23]