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NAME: miyata
おー。やっと喋りましたね。
なんだ、そういう話かあ。
まあ僕は、今も昔もムリですね。
別にやろうとも思わないけど(笑)。
僕は肖像画家じゃないんで、詳しくは分かりませんが。
人によりけり。時と場合によりけり。でしょうな。
絵にしろ、写真にしろ。被写体を網膜に映すのは表現者であって、
映ったものをどう写すか、描くかは、表現者の一存ではないでしょうか。
かと言って。その作品を網膜に映すのは、
また別の鑑賞者であるわけですから。どう感じるか、
どう観るかは鑑賞者の手に委ねられるでしょうし。
どんなに当の表現者が作品に説明をつけても。
鑑賞者がどう感じるかは、当の表現者にも鑑賞者にも予測がつかないでしょうし。
その前に、表現者が表現する行為そのものが、必然性と偶然性を伴うことでしょうし。
そしてその感じ方は、どんな条件下であろうとも、各々の自由であるべきで、
強制されるべきものでもないのでしょう。まあ一般論ですが。
そこがまた、表現の面白いところでもあるのだと僕は思います。
独自の世界の眼が見たものを、また他の独自の世界の眼が見ることによって、
初めて作品は、作品として各々の世界の中で現出するようにも思います。
まあ、僕が今なんとなく思ったことです。
別に正しいとか、正しくないとか、そんなことを主張するつもりは
毛頭ありません。だいたい僕の場合は、好きか嫌いかって話になりますけどね。
そんな感じです。
[2005/06/17 00:36:02]
NAME: かっ
オリジナルだよ。短かめでなんですが。
昔はパンツ一枚でゴミ捨てに行ってました。 夜中ですけど。
今は無理だなぁと思ってしまって。腑甲斐なく。
タイトルは日本語だと肖像画画家。
肖像画を描く人は被写体に対して何か思い描く事はあるのなかなぁ?
その人を描きたいから描くんじゃなく、頼まれて描く場合は
どうなんだろう?シャッターを押すのとは違うでしょう。
一応、タイトルと短文は繋がってます。
そんな感じです。
[2005/06/16 22:41:22]
NAME: miyata
かっさん、こんばんは。
ここ最近、お会いしてませんが。お元気ですか?
書き込みは引用なのでしょうか?オリジナル?
どちらにせよ、あなたの今の心情であり、真情なのか?
今、羅針盤の「たからもの」という歌を聴いています。
僕は、この歌が大好きです。
羅針盤/たからもの
大切なことから はずれてゆく
願いが かなえられた 日が薄れてゆく
ほんの かたちだけを 残して
でも今 かなうものは きっと今の気分
ほんの 少しのことだけれど
あたりまえに 生きているものには
あざやかな 意味がある
長い間 問いかけたことには
あやしげな 意味もない
他には 何もかも忘れても ただひとつだけの
たからものがあれば
願いが かなうまでの 火を絶やさないで
じっと ひとつところを 照らす
ひとりが かなえるには きっと大きすぎて
みんな 言葉を失くしてゆく
大切なことから はじめたのに
互いの眼の前の 窓を閉め
鏡に向かい合っている
願いが かなえられた 日が忘れられる
ほんの かたちだけを 残して
でも今 かなうものは きっと今の気分
ほんの 少しのことだけれど
思いをかなえるなら きっと かなうならば
こんな 素直な気持ちの中
願いが かなえられた 日が薄れてゆく
ほんの かたちだけを 残して
[2005/06/16 01:42:26]
NAME: かっ
いつの間にやら僕は腑抜けになった。
憧れを抱いては、そこには辿り着けない。
僕は昔、自由だった!
[2005/06/16 00:55:48]
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