書き込み欄へ
ヘルプ
NAME: miyata
鋭い意見だね。アートとしていかに開示するかという点において、
いささか直裁的なアプローチのブースも多々見受けられた。
それは各々の作品提出者側のトリエンナーレに対する、解釈の違いでもあると思う。
それを全面的に否定することは僕は避けたいし、そこに優劣を求めるものでもないとは思う。
得てして鑑賞者というのは、自分の求める理想とは違う。といった形で、
不満を表明することになるが、こういった場のように、相手側の意見が求められない場において、
一方的な価値判断を下すことは、正確を期すならば僕には出来ない。が。
僕も君とほぼ同意見を持っていることは確かである。
アートに対して僕は、例えば「洋式便器」を「泉」と再定義したマルセル・デュシャンのように、
モノの意味を再転換するエネルギーの触れ幅の大きさ、深さに期待を負う気持ちが大きい。
そういう切り口から言わせてみれば、もう一工夫ほしいかなというのはあったね。
東南アジアの民族衣装や、老人たちへのインタビューのブースなどは。
ただ、提示した当人たちがどういう解釈でいるのか、十分にこちらが承知できていないところで、
強く発言することは出来ないが。ちょっと万博みたいなのと勘違いしてたのか?な?
「初源的な感動」。まさにしかり。アートの源はいのちであり、こんこんと湧き出る泉。
全てを焼き尽くし、全てを無に還す。一方、全ての始まりとなる太陽のような存在。
毒であり薬。歌もまたしかり。感情の爆発。ソウルの泉。他は全てが添え物であり、飾りにすぎない。
飽くまでも第一の存在は、明暗を雌雄同体的に併せ持つ、感情の塊の揮発体。僕の思いにおいては。
アプローチや、技術面にこだわるのは当然の帰結と言えど、所詮は二義的なモノではないのか?
囚われ過ぎたくはないものだ。そんなことに。矛盾は生命体の存在そのもの。
我々は生きながらえながら、日々死んで行き、また甦る。細胞の基本活動。
「僕はゆるやかに死んで行く。ひどく穏やかに死んで行く。言葉などもう無いだろう。」
僕の独り言はこれからも延々続くので、ここでひとまず筆を置く。
[2005/11/23 01:52:39]
NAME: むっち87
URL
小沢剛とウィスット・ポンニミット…
なんか、引っ掛かるんですよね。
http://www.mori.art.museum/contents/ozawa/
以下抜粋
******************************************
「どうしたら二つの矛盾する時間をそのままに捉え、生命の充実を取り戻すことができ
るか。問題は組織化された社会の、組織された時間の中に、この初源的な感動の持続を
いかに盛り込み、生かすかということだ。」(岡本太郎「神秘日本」)
数年前のことだが、小沢剛の講演が横浜であり、聴きに行った。「なすび画廊」
「地蔵イング JIZOING」「相談芸術」という小沢の一連のプロジェクトのスライドを
ユーモアを交えながら講演したその最後に、聴衆からの質問の時間があり、
その中に「今、一番興味のあることは何ですか?」という極めてナイーブな質問があった。
小沢も極めて素直に「山窩(サンカ)です。」と答えていた。しかし、それを聞いてシーンとして
しまった会場の一体何人が、この言葉の意味するところを即座に理解しただろうか。
*********************************************
たしかに、『社会的メッセージ性の強い、考えさせられる作品』も多かったように
感じたが、すこし今になって考えてみると直接的すぎたようにも思えます。
僕の個人的な意見ですが、アート作品は説教であってはいけないと思うんです。
メッセージだけ伝えたければ選挙運動さながらに説教でもすればいい。
そこをあえて、アート作品という形をとるのなら別の切り口で攻めてきてほしい。
一見、関係無さそうで皮肉たっぷりな…それこそ小沢剛や草間弥生のような。
ウィスット・ポンニミットもそうだよね。
明らかに、かわいいタイの漫画家だけで終わっていない。
次回はごった返したトリエンナーレに行ってみたいと思います。
その後に、改めて感想を。
[2005/11/22 12:24:18]
NAME: miyata
URL
なるほど。友部正人さんのレコ発は、
このBank ART Lifeの関連プログラムの一環でもあったんだよね。
「もてなしのあるくつろげる空間」というのは、思い返してみても納得だね。
今回の友部さんのライヴは、歌い手は常に。被鑑賞者(観られる立場の者)としての、
つまるところ歌をパフォーマンスする、(演奏、演技、口語としての人騒がせな。)という
本来のピュアな歌い手が心得るべき、大事な大事な根幹の要素に強く訴えかけたライヴだったと思います。
デザインの世界ではよく、「シンプル・イズ・ベスト」という言葉が用いられるけど、
これは全ての表現、僕のやっていることに関連づけると、歌を歌うってことにも密接な関係があると思った。
何を削って、何を残すのかは、そのパフォーマーの審美的感覚に依るのではあろうけど。
こう言ったことは、音楽の趣味や嗜好に直接訴えかける問題だと思います。
小沢剛さんのホテル・ニューパルコは面白かったね。しかも友部さんのライヴの小休憩に、
瓶ビール片手によじ登るというシチュエーションも奇妙で面白い体験だった(笑)。
我々、あまりにも高いところまで登ったものだから、下で談笑してる他のお客さんから
存在に気づかれていないってとこもまさに秘密基地だったね。
小学生の時、甘い木の実のなる木によじ登って遊んでいたのを思い出したよ。
奈良美智は現物を確認するという目的を超えるものではなかったけれど、やはり良かったな。
作品スペースに再現してあった仕事場机に散らばったキャラクター・グッズや、そこで流れていた
ストーンズのファースト(最高にご機嫌なレコード!)にも反応してしまったなあ…。
いろんな意味でスマートで、トンガッた感性の持ち主の方だと思いますね。
トリエンナーレ全体としては、アート・スクールの延長線上としての「まあこんな感じ」
といった感じのモノもあれば、社会的メッセージ性の強い、考えさせられる作品もあり、
全体で大きくまとまっているという感じは曖昧かとも思いましたが、楽しかったですね。
幅広い年齢層、人種(国や肌の色という意味でなく、属している社会や環境と言う意味で。)
を意識している点が総合的であったなあとは思います。あとは、もっと逆に人いきれがする
混み合った日に行ってもかえって面白いかもね。ごった煮的で。イベント系は休みだったしねー。
カリスマ性のある、著名なアーティストがしっかり磁場で固めるという選択も
あったのでしょうが、こういう閑静なノリも僕は嫌いじゃないなあ。
のんびりしてて良かったよね。(平日に行ったからカナ?)
でもタイのスペースはオモロかったね。ウィスット・ポンニミット、オモシロい!
MACのi-Tunesがタイ語表記だったのを見ただけでも小さな衝撃だったなあ〜。
旧郵船倉庫跡地の外庭でレッスンしてたのが「炎のメリーゴーランド」だったんだね。
どんな踊りだったのか気になるなあ…。
★最後になりますが。バラ肉高菜刀削麺は非常にデリシャスでした。
[2005/11/21 01:52:35]
NAME: むっち86
URL
自分のHPの開設に手一杯で、遅くなりました。
行って参りました、横浜トリエンナーレ2005!
そしてBank ART Life〜24時間のホスピタリー〜
ホスピタリーつまりは、もてなしのあるくつろげる空間。
全館を24時間、昼は「展覧会」夜は「くつろげる空間」として解放するという
アート、プロジェクトです。
やっぱ、このくらいやらないとね。
秘密基地を連想させる作品に寝泊まりできる…う〜ん素晴らしい。
小沢剛のホテル・ニュ−パルコが印象に残りました。
本展会場は「アートサーカス」という花々しいタイトルのわりには
けっこう地味な印象。
クリエイティブユニット『graf』が活躍してましたね。
奈良美智なんかと組んだりしてて。
『graf』とは
スペースデザイン、家具、照明、グラフィック、プロダクトデザイン、アートから食に
至るまで「暮らしのための構造」を考えてものづくりをするクリエイティブユニット。
モダンデザインを主流としつつ、既存のものにとらわれない自由なデザイン展開で、商
品販売はもちろん店舗空間やアートディレクションなど多方面に亙り活動中。大阪を拠
点にロンドンにもオフィスを持つ。
************************************************************************
なんだか、まだ感想がまとまりません…。
全体的に、タイのアーティストが元気な印象を受けました。
いかがでしょう?
はい、あとは宜しく。
[2005/11/20 17:37:32]
このテーマについての発言をどうぞ。
※半角カナは使用しないようにしてください。文字化けします。
記事一覧に戻る