TITLE:歌うたいとともに横浜を練り歩いた夜。 


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NAME: miyata    URL
16日は、いよいよやっとの事で横浜トリエンナーレに。
そして夜は、友部正人さんのニュー・アルバム「SPEAK JAPANESE AMERICAN」
の発売記念コンサートを観ました。

トリエンナーレの感想は、15項目下の「トリエンナーレ・レポート」に
後日、更新したいと思います。まだ頭の中ではいろいろな作品が飛び跳ねて暴れているみたいです。
久方ぶりに、専門の時の映像の教員の方と会って話せたのも良かった。

今夜は、友部正人さんのライヴのお話を…。
今回のライヴは、今月9日に発売になったニュー・アルバムのレコ発。
前作のレコ発は吉祥寺スター・パインズ・カフェでしたが、今回の会場は
横浜の「Bank ART 1929」と、同じく近所の「BankART Studio NYK」の二カ所に跨いで行われました。
トリエンナーレ鑑賞後、中華街夕飯経由で会場に向かったのですが、
これがトリエンナーレに勝るとも劣らない、一風も二風も変わったスゴく面白いレコ発でした。

最初の会場「Bank ART 1929」は、旧第一銀行の内装をアレンジした、アート・スペース。
一階の応接間風な映像インスタレーション・スペースに我々お客は一旦集合。友部さんは本番前から
僕らの前を行ったり来たり。集合がかかり、上へと階段を上がると、フロア手前に噴水と木造日本家屋が
丸ごと展示してありました。奥の木造家屋は左右対称に、掘りごたつの穴を備えた6畳間が配置され、
その中央にある、縁側風の板間をステージとして設定してありました。大多数のお客は噴水の円形のふち
に腰掛けステージを見る格好でしたが、前面片側の6畳間は友部さんがハーモニカを置くのに使い、
もう一方の6畳間は空いていたので、僕ら含め5人ほど靴を脱ぎ、そのちゃぶ台(?)に。
結果、ライヴ・ハウスでステージの袖にあたる角度から間近で観ることが
出来ました。僕は友部さんから、1メートルちょっとの真横から、家でテレビを見るような感じで観ました。

ステージに向かい合って観るいつものライヴと違い、真横で観る友部さんのライヴは
いつもとは違った表情で、かなり面白かったです。初期の曲や、前作からの曲も多く演奏されていました。
ステージの縁側から首をひねって真ん前で観ている人もあり、友部さんも、「こっちに上がって
のんびり観てもいいですよ。」というようなことを言われていました。

その後、休憩。お客総勢、マイクの置いてあるステージ中央に踏み込むかたちで奥の階段を出口まで。
建物の外で、我々お客は一旦待機。するとまもなく友部さんはギターをかつぎ、ハーモニカを
つけて演奏しながら建物から登場。ここから5、6分近くの「BankART Studio NYK」まで、
歌い歩く友部さんを先頭に、みんなで横浜の夜道を練り歩きました。僕は嬉しさのあまり、
「おまえは付き人か?」もしくは「あんたは舎弟か?」ってぐらいすぐそばにひっついて(笑)、
友部さんの行進について行きました。もうほんとうに、肩をトントンと叩けるぐらい近くで斜め後ろから
友部さんの歌を聴くのはとても愉快痛快でした。前から通り過ぎるサラリーマンの人たちも「おおっ!?」
と道を開け、赤信号を待ち、信号が青に変わって横断歩道を渡る時も、狭い道でギターの先が生け垣に
ひっかかりそうになっても(笑)、声を張り上げた友部さんの歌はビクともしませんでした。

そのまま1曲を歌い続けたまま、次なる会場「BankART Studio NYK」(旧郵船倉庫跡地)へ。
そこは港の海岸べりで、他のパフォーミング・アート集団の踊り子たちが、
黒いドレスに金髪のカツラと黒いストッキングのようなものを顔に巻いてダンスの練習をしていました。
そんな光景を見下ろしつつ、階段を登り建物内部へ。そこをさらにかなり狭く暗い雑居ビルの階段を、
まるでサザエさんの終わりの歌のようにみんな一列に並んで3階へ。
そこはほんの少しの間接照明だけの、露出したコンクリートのただっ広い大きな部屋。
辿り着いて、間髪入れずに突き上げるような演奏で「SPEAK JAPANESE AMERICAN」。
それは、トリエンナーレのうたい文句の如く、まさに「日常からの跳躍」。
天井にはアート作品としてのブリキのバケツが、ロープに釣らされ揺れていました。
何がなんだか分からない摩訶不思議な空間で、友部さんの歌う姿だけが
間接照明の中、ボーッと浮かび上がっていました。

第二部はその後、ちゃんとした小ステージにて演奏。いつもにも増して情熱的な友部さんの歌は、
今夜に限ってバック・バンドは全然必要がないかのようで、一人で歌うことでしか感じることの出来ない
ダイナミックな唄うたいの気迫を感じ、それが僕にはとてもカッコ良かったです。

終演後のサインを頂く際に、「地下鉄の音楽を歌わせて頂いてます。」とお伝えしたら、
「ありがとう。どんどんやって下さい。」と言ってもらえたのが嬉しかったです。

これ以上詳しく書くと、とても長くなってしまいそうですが、思い返してみても。
あの風を切って颯爽と歌い歩く友部さんの背中と、寒風にさらわれていく友部さんの
張り上げられた歌声とハーモニカ。僕は忘れられそうにありません。最高でした。
[2005/11/17 02:43:57]

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