今夜、カーター・ファミリーのことを気にかけている人が、
いったい世界中にどれだけいるのか分かりませんが。彼等の話です。
カーター・ファミリーが解散したのは1943年のこと。
アメリカではペンタゴンが完成し、日本では学生が戦争に行くようになった年です。
さかのぼって。テネシー州で彼等が最初の録音を行ったのは、1927年。
世界大恐慌の約2年前。彼等のキャリアは苦しい時代と共にスタートしたそうです。
カーター・ファミリーは、メンバーに女性を含んでいたという点、黒人ミュージシャンと
交流があったという二つの点で、アメリカ音楽史上、先駆者的存在であったそうです。
不況時代の不安と危機意識に苛まれる人々を、彼等は音楽の力で励まし続けました。
彼等の再評価の機運は、52年に世に出た、今で言うところのマルチメディア・アーティスト、
ハリー・スミスが編纂した「Anthology of American Folk Music」を起爆剤とした、
向こう10年間のアーバン・フォーク・リバイバリストたちのルーツ・ミュージック再訪にあったと言います。
(ハリー・スミスは優れた映画製作者、画家であるだけでなく,タロットと 「あや取り」のエキスパートで,
音楽学の世界的研究者でもあった。彼は先住民族セミノール族の映画やカイオワ族のメスカルの儀式のレコード
を出したりしていた。彼はノース・キャロライナの山々,ボルネオの民族,その他の様々な地方
の様々な音楽のつながりを作ろうとしていたのだった。音楽を探ることで、核心にたどり着こうとした。)
ともかくも、彼等が発明した、カーター・ファミリー・ピッキングはギターの教則本には必ず出てくるし、
最近はアイダ(IDA) のエリザベス・ミッチェルが「YOU ARE MY FLOWER」の瑞々しい(まさに
今日生まれたかのような!)カヴァーを残したりと、彼等の歌った当時のアメリカ南部の風景が
ほとんど残っていないのとは対照的に。歌の中の心情は「今」を生きる自分の心に驚くほど親近感を伴って
迫って来ます。彼等のトリビュート・アルバムを聞いて。そして、歌詞を見て。
そんな気がしました。
彼等の歌は民衆の歌だと言われる。現在の我々に、民衆という言葉は少し堅苦しくもあるが、
仮にポピュラーという言葉を使ってみるなら。今僕らの周りに溢れるポピュラーと言われる音楽に
比べ、彼等の歌は取り上げられる題材がとても豊かで、ヴァラエティーに富んでいるように思う。
一聴、陽気で軽快な演奏なのに、歌詞をみるとビックリしてしまう。
今僕らが歌を作るのに、一見誰がなんの検閲を設けているわけでもないのに、
みんな似たり寄ったりな歌ばかりになってしまうのは、どうしてなのだろう?
僕らみんな、飼い馴らされた野良犬のような歌を聴いて、何も考えられなくなってしまうのかな?
THE CARTER FAMILY/機関車143号(ENGINE ONE-FORTY-THREE)
最速機関車“FFV”がやって来た
C&O社のその列車は、定刻に遅れること20分
セビール駅に滑り込んできました。ポーター達には
定刻どおり走らせるよう、厳命が下っていました
ジョージの母親は心配し、息子に駆け寄り
忠告しました“息子よ、気をつけて運転をおし
遅れた時間を取り戻すために、
大勢の人が命を落としているからね
落ち着いて運転すれば、汽車は遅れないはず”
ところが、機関車は加速し、ついに岩に激突したのです
列車は転覆し、ジョージは胸を強打しました
炎の燃えさかるかまどの扉に頭をもたれながら、
彼は健気に言いました
“C&O鉄道の機関士として死ぬのは嬉しい”
医者はジョージに言いました“息子よ、声を出さないで
神のご慈悲があるならば、命は救われるかもしれない”
ジョージは応えました“いいえ、私は死んで行きます
自分の愛する機関車143号の上で死にたいのです”
医者はジョージに言いました
“あなたの命はもう終わりです”
こうしてジョージは鉄道事故で命を落とし、
一人淋しく墓に眠りました
顔は血で覆われ、瞳は二度と開く事はありませんでした
哀れなジョージが最期に残した言葉、
それは賛美歌でした
“神様、わたしをあなたの御許に近づけてください”
THE CARTER FAMILY/僕のために咲く花(YOU ARE MY FLOWER)
草は深緑に染まり、空は青々と澄みわたる
日は高く登り、鳥がさえずる
あなたは僕の花
山の頂きでひっそり咲いている
あなたは僕の花
僕だけのために咲いている
空気は澄み、太陽の光が自由にとびかう
まるで自然は二人だけのもの
さあ、明るく笑って 人生は捨てたものじゃないさ
涙をぬぐって、楽しく生きていこう
夏が過ぎ、雪が降る季節には
皆にこの歌をうたって聞かせてください
[2005/11/14 02:36:44]