TITLE:2日目、馬鹿騒ぎの街の地下で響き渡る真摯な歌。 


書き込み欄へ  ヘルプ
NAME: miyata   
どんどん記憶が薄れて行きそうなので、また書いてみます。
ただの観光日記ですよ。

2日目は天気予報通り晴れたので、9時前に出て自由の女神に行く事にする。
泊まった所はミッドタウンの西側だったので、49th St.を東に向かって
真直ぐ行くとロッカフェラー・センターという金持ちの建てたビルの谷間に出る。
前日は大統領の日=国民の祝日だったので(全然街は祝ってなかったけど。)
人も閑散としていたけれど、今日の街はみんな出勤姿で、慌ただしく地下鉄の入り口に
吸い込まれてく。その時間帯はコーヒーとドーナツを売る出店がその辺りに出ていて、
僕も並んで「コーヒー!」と英語っぽく言うと瞬時に日本人とバレて、
出店のおじさんに「ありがと!こんにちは!さようなら!」と一度に言われる。
「…どうも。」と返す。地下鉄はダウンタウン行きに乗って、終点はSOUTH FERRY。

出口を出てみんなと同じ方向に歩いてみる。スタテン島行フェリー乗り場で船を待つ。
が、僕が行きたいのはリバティ島だった。ので、巻き戻ってバッテリー・パークへ。
フェリーは白人とアジア系がほとんど。カモメがナイスなアングルでたくさん飛んでい
た。遠のくマンハッタン島は、文字通り世界の出島に見えた。自由の女神は思っていた
より小さく、緑がかっていた。テロのせいで今は台座までしか登れない。少し並んで
危険物探知機を通り、女性の軍人による女神像の説明を受ける。「他に質問は!?」と
僕らを眺め廻す様は、まさに軍人だった。自分の国にはもういない人種。
その後、間違ってエリス島まで行き、(かつての移民局があった所、現在のアメリカ国
民40%の祖先はこの小島から入国したらしい。)元へ戻る。

そのまま北上し、ウォール街へ。グラウンド・ゼロへ向かう。ウォール街は
コンクリートの塊だった。ビルと通りの間には土も木もなかった。どこからともなく、
サックスの音が聞こえて来た。黒人のプレイヤーが通りの角で吹いていたのだ。
音は跳ね返って通り中に響き渡っていた。NY証券取引所は何故かギリシャ神殿風建築。
中には資本主義の神様がいるらしいのだ。彼がラッパを一吹きすれば、世界中のニュー
スで御触れが響き渡るぞー。第1回連邦議会が開かれた、なんとかホールを通り過ぎる。
ワシントンさんが立っていた。NYはアメリカ最初の首都でもあったらしい。

グラウンド・ゼロに辿り着く。鉄柵越しに崩れ残ったワールド・トレード・センター
の鉄骨で作られた十字架のモニュメントが見えた。鉄柵には惨事の白黒写真と、犠牲者
の名前が掲示されていた。犠牲者は約3000人。3分の1の人々の遺体が収容され、
残りの3分の2の人々のかわりに、1万数千の遺体の一部が収容されたという事だ。
僕には何も言う資格はないけれど、これを引き起こした人間は絶対的な悪だと思う。
たとえ、アメリカが標榜するグローバリズムとか言うものに(金持ちをさらに太らせ、
貧乏人をさらに搾取する構造そのものに)根本的な欠陥があるのだとしても。
その周辺にはパトカーが20台くらい常駐していて、観光客が警官と写真を撮っていた。
腰にぶら下げたゴツい拳銃は、西部劇のように必要とあらばいつでもブッ放せそうだった。
向い側には、NY最古のトリニティ教会が建っていた。中では説教を待つ人たちが
まばらに腰掛け、うずくまっていた。ウォークマンの電源を切った。
両手を握りしめて頭の上に置く人もいた。僕などがいる場所ではないと思い、早々に立ち去る。

ブルックリン・ブリッジを渡るが、空腹に耐え切れず折り返す。見えて来たブルックリンの
街並に、店が全然見えなかったから。Canal St.を真直ぐ行くとCHINA TOWNに入った。
西洋と東洋のごった煮のような光景に目を奪われる。こんなエネルギッシュな街並は
初めて見た。NYの歩行者は信号を必ず無視する。待たなければならない時は車道まで出て
(可能なら車道の真ん中まで)通る車のギリギリの所でかわして渡る。
道路は自動車と歩行者の自己主張のせめぎ合いの場だ。信号を無視し、
なおかつクラクションを鳴らす車に逆ギレして中指を立てる白人の兄貴がいた。
CHINA TOWNは人と車ではち切れんばかりだった。 中華料理屋で麺とチャーハンを食べる。
一品3ドルで安かった。店員が大声で中国語?の歌を歌っていた。黒人の赤ちゃん連れ親子が、
慣れた感じで料理を注文していた。僕は無口な中国人に成り済ました。何処か安心した。

ミッド・タウンに戻り、エンパイア・ステート・ビルに登る。素晴らしい夜景だった。
ホントウに光の蜂の巣だった。野外展望台の柵の上に座った。今度はいつ来れるかも分からない
と思うと、いつまでも眺めていたかった。タイムズ・スクエアに一応立ち寄る。
映画タクシー・ドライバーに映っていた、性産業の看板だらけのタイムズ・スクエア
はもう遠い過去の話。MTVのスタジオ前にはティーン・エイジャーたちが歓声を上げていた。
HIP HOPの50CENTが出て来る所を待ち伏せしているらしい。NYでも一番下らない所だ。
そこから地下鉄に潜ると、凄くいい歌が聞こえて来た。黒人の女の子がエレキ1つで
歌っていた。声はスザンヌ・ヴェガのように透き通っていて、クリアトーンのギターも
それに近い感じ。足元には自主制作のCD-R。$10と書いてある。また100ドル札
しかなくて、キヨスクでチョコ・バーを買って崩そうとしたが断られる。
仕方なく地上に出て、掃除機を引きずった清掃のコにATMを教えてもらい、
ようやくギター・ケースに$10入れてCD-Rを買う。
帰って来てから聞いたら、あの場でやっていた曲が入っていた。
何度聞いても凄くいい。録音は拙かったけど、問題は心に響くかだ。

"Look at the world today
it's full of miseries
blindness, madness, heading for destruction 
but the day will come when this madness will end
and with this hope in our hearts 
we'll love till our new world begins"      -Shangrila 

馬鹿騒ぎの真下で、こんなに真直ぐな真摯な歌が歌われていた。
この時ほど、NYを感じた事はなかった。

夜はイースト・ヴィレッジに戻り、バワリー・ポエトリー・クラブに入ってみた。
ここはポエトリー・リーディング・スポットで、お客さんにパフォーマンスを
評価してもらうポエトリー・スラムがよく行われている場所。
その夜はたまたま THE ART STARS SOUNDSという謎の団体のコンピレーションCD
のレコ発だったようで、勝手に潜り込む。入ったら、「Hi!」とコンピCDをくれる。
出演者はちょっとエキセントリックなブライト・アイズみたいなやつとか、
脚本作家兼コメディアンの女流弾き語りのコとか…。謎だった…!
あとクラシックでラップするスーツ姿の白人の青年とか。杖ついてグラス片手に
ジムジャームッシュとウォーホル・ネタで笑わせるお爺さんとか。
アメリカ国旗のパンツをはいた、ムチムチのお笑いギャルコンビとか…。
もう一回書くけど、謎だった…!!本場のポエトリー・リーディングはこうなのかな?(いや、違うよね…。)
しかし、音源の方はしっかりしたもので、センスのよいインディーロック&ポップな
音作りでまた謎だった…。みんなあの晩は悪酔いしてたのか…?
収録メンバーに、KIMYA DAWSON(ADAM GREENとモルディ・ピーチズを組んでて、
最近、Kレーベルに移籍した…)があった。全然気づかなかったけど…、いたのか…?
彼らの、自然に楽しんでエキセントリックなことをやってしまえる感じがいいなと思った。
[2005/03/04 03:01:42]

このテーマについての発言をどうぞ。
氏名
E-mail URL


半角カナは使用しないようにしてください。文字化けします。
記事一覧に戻る