うーん。最近、「おいらは謎のさすらいレポーター」なお題が多くなっている今日この頃。
ライヴは?イベントは?って言われるんですが。まあちとまだ待って下さいな。新録も録っています。
まあちとまだ待って下さいな(笑)。B型なので、一度にたくさんの事はデキマセン(笑)。いやはや。
さてさて。こないだは、渋谷の街でボブに会ったというお話です。
そうそう、「ボブ・ディランの頭のなか」という映画をやっと観たのだよ。ヘイ、ボーイズ。
映画の舞台は、前革命勢力と革新勢力、現政府勢力が互いに終わりのない内戦を繰り広げる近未来のアメリカ。
市民同士の争いと混乱の渦巻く、国境の名もない街。爆発、戦争、都市の大惨事、神の教えを説く声の中、
ディランの「マイ・バック・ページ」が流れる。が、しかし歌われる言語は日本語…。民族間の障壁は
崩壊して、いくつもの言語による会話、いくつもの肌の人々が通行している街の通り。バーで流れるのは
ロス・ロボスが2カ国語で歌う、「こんな夜に」。世界各国のディランのカバー曲で彩られた、国籍文化
不特定の混沌とした近未来の娑婆へ突如、釈放されたミュージシャン、ジャック・フェイト(ディラン)。
かつてのマネージャーの多額の借金返済のために企画された、いんちきチャリティー・コンサート。
設定何もかも滅茶苦茶。「ジャック・フェイト!?みんなもう彼の事なんか忘れてる!」
「予算がなかったんだから仕方がない!」「彼にキック・アウト・ザ・ジャムズと監獄ロックを歌わせよう!」
こんなやりとりに、出て来た時から終止、うんざり気味のジャック(ディラン)。借金返済に追われるマネージャーと、
ジャックのアルバムは初期の1枚しか持っていないという彼のビジネス・パートナー。
あっちがダメな時はこっちへ行くさすらいの放浪者。自分の生まれ故郷を全滅させた孤独な兵士。
死の床にある大統領とその愛人。政権を掌握し、南部に大量の軍隊を送る次期大統領。
ジャックの熱狂的ファンである元ローディー。ムカつく馬鹿げた質問ばかりするベテラン音楽ジャーナリスト、
信心深く天然で臆病なその恋人。人生を達観した動物世話係。ジャックの大ファンで、
自分の娘にジャックの歌を全部暗記させた母親と、「時代は変わる」を諳んじて
アカペラで歌うその母親の小さな娘。等々。
シュールなディランの歌世界の登場人物さながらの人々が、自分のやりたい放題に映画の話の筋を
引っ掻き回す。「僕はもう、答えを探す事をやめてしまった。」というジャック(ディラン)の
セリフに象徴されるこの映画は、歴史と人間の高潔性、キリスト教や政治、金銭、愛やら友情やらを
巻き込んでは、笑い茸と混ぜてごった煮。ストーリーは混迷を極め、その意味を特定する努力を
観る者に放棄させてしまうほど。あらまあ。
けれど、この映画の世界は、僕らが普段生活しているこちらの現実の世界とあまり変わりがないようだ。
「世の中すべてがステージだ。」と若い頃の消え去った過去を語る芸人のセリフの通り、世の中は
いつでもすでにステージで、こちらの準備が始まる前にでも幕は上がってしまうし、幕が上がる前に
自分から出て行ってしまう事もあるようで、人は時間をなんとかつぶそうとするが、気づくと時間は
すでに足りなくなっているというような、ディランの実人生が経験によって学んだ人生哲学を随所に
感じられる不思議な映画でした。「厳密でないから、自由に解釈できる」彼の歌そっくりの映画でした。
この映画のもうひとつの見所は、最近のディランのバンド演奏がバッチシ観れるところです。
今のディランはこんな感じで歌うのか。やっぱり歌詞を忘れてメンバーに助けを求めたりするところは
相変わらずで微笑ましくもありました。やっぱし、若い頃から変わってないのだね。この人は。
テキトーなトコと、バッチシキメるトコのコントラストがやはり妙にツボでした。
正直、一回観ただけではかなり「???」なので、またそのうちレンタルが出たら借りて観てみたいです。
[2005/08/21 03:46:23]