TITLE:What does your soul look like ?
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NAME: miyata
むっちらしい、真直ぐで屈託のない引用ですね。
「進む」という事に関して。
僕はやはり、ジャック・ケルアック「路上」のこの一節を押します。
本当に前を向いて歩けるようになるには、ありのままの現実を
そのまま受け止められなければ成し得ないのだと。
僕にとって、彼から学んだことは本当にデカいです。
アメリカに太陽が沈む時、
僕は古い壊れた河の桟橋に腰をおろし、
遠くニュー・ジャージーを覆う長い長い空を見つめ、
大平洋沿岸まで1つの信じ難い巨大な膨らみとなってうねっている
あの生々しい大陸を感じ、そして通っている全ての道や、
その広大な国の中で夢見ている人々を感じる。
子供達を泣かせておくあのアイオワでは、今頃子供達が泣いているに違いない。
それに今晩は星が出ていることだろう。
神はプー・ベアだということを知らないのかな?
宵の明星がそっと出て、大草原に煌めく光を落としているに違いない。
宵の明星が輝くのは、大地を祝福し、あらゆる川を闇で包み、
峰々を覆うて最後に海岸を覆う、完全な夜の到来のちょっと前なのだ。
そして誰もが、みすぼらしく年をとるということのほかに
誰に何が起るか分からないのだ。
そして僕はディーン・モリアーティの事を考える。
JACK KEROUAC/ON THE ROAD/第5部
[2004/07/03 01:47:04]
NAME: むっち28
ひょっこりひょうたん島の
ドンガバチョが大好きです。
まるい地球の 水平線に
なにかがきっと まっている
くるしいことも あるだろさ
かなしいことも あるだろさ
だけど ぼくらはくじけない
泣くのはいやだ 笑っちゃおう
進め
◇ひょっこりひょうたん島
ひょっこりひょうたん島
ひょっこりひょうたん島
[2004/07/02 23:46:48]
NAME: miyata
森くん、こんばんは。
なるほど。
本質的な問いかけに、僕も心して返答させて頂きます。
僕にとって。自分自身のものの考え方や、趣味嗜好と言うものに関しては
やはり、ある程度の蓄積を通して形成されて行った感は否めません。
ただ、その過程がいつも建設的なものであったかと言えば、正直疑問です。
クソ真面目に何かを積み上げていたのも束の間、いきなりふとしたきっかけで
どうでもよくなって、みーんな台なしにして何処かへ投げ捨てるというような
投げやりな行動に出る事もしばしばです。基本的にいい加減な人間ですから。僕は。
別に飽きっぽいわけでもなく、執着心が強いというわけでもなさそうで、
やはり一番感覚として近い言葉は、僕はかなりいい加減な人間だと言う事。
だから今僕が持っているものと言えば、建設と破壊の成れの果てに結果として
残っているものぐらい。もちろんその中には、大切に
なくさないようになくさないようにして来た宝物のようなものもあります。でも
そう言ったものって、敢えて人に見せるようなものでもないのかなとも思っていて。
見せたとたん、パッと簡単に消えてしまうようなものなのかも知れず。たとえ、
自分に対して誇れるようなものであったとしても、
とてもじゃないけど人様に誇れるほどのものでもありません。
それでもここ数年はホントに、「興味のないものには興味がない。」もしくは
「自分に興味のない人間には興味がない。」なんて時代錯誤も甚だしい
太々しい?態度で人生に望んで久しく。しかし、だからこそとも言える
かけがえのない、必然としか言い様のない人やモノとの出会いを日々
経験していると実感する昨今でもあります。
で、ちょっと真面目な話になりますが。
岡本太郎は、人間の営みは恐山のイタコの石積みのようなものだとも言っていました。
小石の塔。それがすぐ崩れ去ることを知りながらも、ただ積む。
積むこと自体が崩れる、崩すことではないかと。
虚無を積む事。それ自体が人の営みではないかと。
彼はまた、人生に目的があり、それに向かって生きている
と信じているのは近代人だけだとも言っています。
社会全体がそういう時間の流れ、深みをおざなりにしたモラルの上で
成り立っているから、みな徹底的に空虚で
不幸な精神状況に投げ込まれてしまっているのだとも。
…話ずれてっけどさ!要は。
だから俺は、悪いけど(誰に?)これからもこんないい加減で
信用のおけない人間続けて行くよって事。
もっと他に大切な事があるからね俺には。絶対に。
それでも、もう少しマシな人間になれたらいいなと思ったりもするけどね。
「人は瞬間瞬間に変わって行くのだから、こういう人だと決めつけるのは傲慢。」
これは僕の彼女が何年か前に、間接的に僕に教えてくれた言葉。
「困ったなあ?毛嫌いはどういう理由?好きなものは多いほどいいのに!」
これはある時期、文字通り僕を救ってくれた中村一義さんの歌の一節。
で、僕の結論。森くんの結論に僕も最終的に同感です。
自分の変化に自分でも気づかなかった、というのは思春期の少年のような気持ちだね。
俺たちがそれぞれ、可笑しいほどに作りの違う人間だった。
と言う事実を思い出してみてなおさらのことね。
肝心なのは、今、自分は何が好きで何処に向かってるのかという事だと
俺は思っています。それが僕にとっての現実。他人はよう知らんけど。
「ぼくはきみをだましたくはない 利用したくないし
脅かしたくないし 見捨てたくない
同じように感じてほしいと思わない 同じように見てほしいとも
同じような人間であってほしいとも」
〜ボブ・ディラン/1964年
そんなわけですから。こちらこそ、これからも森くんどうぞ宜しく!
(ボブ・マーリーのファースト。今でも俺は好きだよ。では。)
[2004/07/01 02:44:34]
NAME: morifatty
↓のやつ途中で送ってしまいました。ご免宮田氏。
言いたい事は、物の考え方や趣味とかって
昔は建設的発展的に積みあがっていく感じ
成長していく感じだとおもってたけど
最近はそうじゃないんだなと思うことが多くって
宮田氏はどうなのよ?ってこと。
高校のときbobmarleyを聞いて、
自分はreggaeは嫌いだと思った。
バランスの崩れた音、妙にゆるいリズム、
それでいて尖っていて何より絶対的名存在感。
言葉にすると当時に首ったけだった
fishmansのそれとなにがちがっていたのかは分かんない。
でもそん時は何度聞いてもbobmarleyだめだった。
それから十年弱、いま毎日かかさず
bobmarleyのベスト盤legendを聞いてる。
達観する感じじゃなくて中学生みたいなのりで毎日。
時間がすべってるでしょ。
自分の思惑に反して嫌いだった物がいつのまにやら好きになってる。
今、何が好きか?ってことを軸にしてしか
人生を振り回せない人間にとって
それはどうなのよ?
自分は全く問題ないと思ってるしむしろだから面白いとおもってる。
なんかまとまんなかったけどこんな感じでこれからも宮田氏宜しく。
[2004/06/30 01:14:33]
NAME: morifatty
趣味指向は、年を経る毎に変わるとよく言われる。
最近それを実感せずにはいられません。
大嫌いだったはずのもずくがおいしくておいしくて。
酸っぱい物自体苦手にしていたのに、
なんにでもポン酢を掛けてしまう有り様。
そんなこと言ってると、最近疲れてるんじゃないの?
なんて言われてしまう。
別に食べ物だけじゃなくても、
昔嫌いだった事を自分でも気が付かないうちに
好きになっている事ってあるんじゃないかな。
漫画でワンピースってあるでしょ。
あれがジャンプで連載始めたときに、
第1話を途中まで読んで、
ああこんな子供だましにつきあってられないや
と漫画を買うのもよむのも辞めてしまった覚えがある。
それが今となっては大ファン。
きっかけはたまたまついていたテレビ。
[2004/06/30 00:23:42]
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