早くも文月が終わりますね。
(なんで、文月と言うんだろう?)
昨日は初台ドアーズにて、ザ・スターズ、渚にて等のライヴを観ました。
渚にての東京公演を観るのは、約1年ぶり。
そう言えば、前回もここで二階堂和美さん等も出ていたライヴを観ていました。
ザ・スターズは初めて観ました。レコードは一枚も持っていませんが、
今年に出た、ギタリストの栗原ミチオさんのアルバムだけは聞いていました。
美しい風景写真のジャケットで、ギターが言葉にはできない歌を歌っているアルバムでした。
確認までに、現在のラインナップは、(vo./g)石原洋、(g)栗原ミチオ、
(b)亀川千代(ゆらゆら帝国)、(dr)荒川康伸(元フリッパーズ・ギター)。
漆黒のグルーヴ、変則的なビートの波に、朴訥ながら時折シャウトするヴォーカルがうねり、
圧巻のロッキン・タイムでした。ヴォーカル、石原氏の両翼にはギターの栗原氏、
ベースの亀川氏がガッチリと固め、荒川氏の洗練されたドラミングにも目を見張るばかりでした。
メンバーそれぞれの存在が何とも言えないオーラを放っていて、観ているこちらは
終止視線を泳がすことになりました。何故か僕はイギリスのジョセフKと言うバンドを
思い出していました。暗闇だけが放つ、妖しい黒い光が演奏に漲っていました。
中でもゆらゆら帝国のベーシストでもある、亀川氏の演奏とあの恍惚ともとれる表情は、
ヤバかったけどカッコよかった。Tシャツが黒地に黒字でバンド名が入っているシンプルな
デザインで良かったので買ってみました。またライヴを観たいです。カッコ良かったです。
渚にて。今回は(vo./g)柴山伸二、(vo./dr)竹田雅子の両人に加え、ベースがひとり入った
3人編成でした。柴山さんも、竹田さんも相変わらず着飾らない、素朴な風体で演奏していて、
彼らのレコードを聞く時にもあることですが、この独特な佇まいの歌たちには、
時間も空間も彼らに歩調を合わせているかのようで、毎回それは不思議な体験になります。
その魔法にかかってしまう一部の熱狂的なファンがいるのも、素直に納得してしまいます。
この日は、今まで聞いた事のない新曲を多数演奏していました。柴山さんが軽いMCで、
「一年ぶりだよね…?」とドラムの竹田さんに振り返ると、竹田さんは「…?」といった表情で
何も言わず、自称司会進行役の柴山さんがひとりでガンバって歌を説明したり、場を和ませたり
していました。竹田さんの吹くべきところただ吹く風のようなドラムと歌声に、柴山さんは輪唱のような
ギターでメロディーをなぞって行くのですが、(彼らの歌には輪唱がよく用いられます。)
その反復されるメロディーと、輪唱特有の音の間が、歌に込められた思いを、より一層深いものにして
いるような気がしました。渚にての演奏と歌は、通常の演奏家が持つ欲とは違ったベクトルの欲で
表現されているような気がするのですが、それはその方法でしか伝えられないことがあるのだ
と強く感じさせる確信的でもあり、自分たちを偽らない至極真っ当な表現の仕方
のひとつでもあるのだと思います。彼らの歌は、一曲一曲がゆったりと長尺でありながら、
歌詞はたいてい少なめです。歌のモチーフは、星や花や草。空、風、太陽。犬や鳥など、
自然の風景に人の思いが溶け込んでいて、時折、突然にスイッチが切り替わる
柴山さんのギター・ノイズも、突風のようで、まるで自然が作り出す音がメロディーに変わって行く
ような感じがします。安らかな、気持ちの良い歌の数々でした。
世間の何かと競争心を煽るような喧噪からは身を引いて、心が気づくことそのままを歌にしている姿は、
花や星の持つ、誇らしさや輝きに似ているような気がします。そしてそこには、いつも死があります。
渚にて/花とおなじ
花とおなじ高さの空
花とおなじ高さの空
おなじ高さ おなじ高さの空を見たよ
花とおなじ高さの空
花とおなじ高さの空
おなじ高さ おなじ高さの空を見たよ
みどり むらさき 低い太陽
船でいける場所へいこう いこう
空とおなじ高さの花
空とおなじ高さの花
おなじ高さ おなじ高さの花を見たよ
おなじ高さ おなじ高さの花を見たよ
きいろ むらさき 低い太陽
むねはしずか 花とおなじ おなじ
[2005/07/31 02:33:02]