TITLE:1日目、New York Songwriters' Circle 


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NAME: miyata   
あっという間に、NY出発から1週間が立ちました。
今だ気持ちの整理はつきませんが、少し書いてみます。

まず大きな印象として残ったのは、交戦中(正確に言えば)の国の都市である事。
そして、その戦禍の第一撃を一身に受けた街であったという事。
世界経済、文化の中枢として絶えず脅威に身構えているというような、なんとも
言えない緊張を感じさせました。前ジュリアーニ市長による、警察力の増強化によって
市の治安は劇的に改善されたということもあり、昼夜問わず街を歩き回りましたが、
危険な事はありませんでした。それもそのはずで、至る所で目についたのは警察車両と
警察官。深夜営業のライヴ・ハウスやスーパー・マーケットにも必ずゴツいガードマン
が立っていて、常に誰かに見張られている、といった感じがしました。
エンパイア・ステート・ビルや、自由の女神なんかは、大掛かりな危険物探知機を
いちいち通らなくてはならなくて、ズボンのベルトやポケットの小銭まで出せ
と言われました。反面、街の人たちはなかなかフレンドリーでしたが。

初日は小雨。前日まで雪だったらしく、街はすっかり雪化粧に染まっていました。
摩天楼の半分まで雲が降りていたので、エンパイアはパスすることに。
宿泊先はミッドタウンにあったので、まずは自由の女神かなあと思い、昼前地下鉄で
ダウンタウンへ。乗っていきなり黒人が車内でDVD?を売り歩いていてビビる。
勘で乗ったのでクイーンズとかに行っちゃったらまずいと思い、てきとーに降りたら、
チャイナタウンはずれのバワリー・ボールルームの前に出る。もちろん開いてない。

せっかくだからとそのままグリニッチ・ヴィレッジへ行く。目抜き通りマクドゥガル・
ストリートは小さな通りで、ボブ・ディランのフリーホイーリンのジャケそのまま。
CAFE WHA?を見つける。建物の角にちょこんと看板があり、木戸はまだ締まっていた。
ここは老舗のロック・クラブで、若きディランがNYにオノボリした初日の晩、
ステージに出て歌い、店の人に「出直しな、あんたはヒルビリーみたいだがここでは
フォークがほしいんだ。」と言われた所。(ディランのファーストより。)
そしてブリーカー・ストリートとの交差点。この交差点の真ん中でフレッド・ニールは
ギターケースを提げて立ち、ファースト・ソロ、ブリーカー&マクドゥガルのジャケを
撮影した。ここも当時そのまま。この角にあるCAFE FIGAROで休む。50年代、ケルアック
やギンズバーグの溜まり場だった所。内装から50年代。モダン・ジャズがかかる。
何も考えられずボーッとする。通りのガラス際の席では、若い人たちがノートパソコンを
開いている。宿題の論文だろうか、それとも…。頭を掻きながら本を読む人。
通りを行く人たち。犬を散歩する人。不意に屋根から落ちる雪。客と談笑する店員。
めちゃ可愛いウェイトレスの女のコが注文を取りに来る。「Hi」マニュアルなし。
何もかも詩的でボーッとするしかない。「Charge Back?」と問われ、初チップ。
なるほどなるほど…と思いながら店を出る。

この通りの突き当たり、バワリー・ストリートとのT字でCBGBを見つける。昔ながらの
白い屋根は想像よりこじんまりとして可愛らしい。すぐ近くには映画で見た通り、
「JOEY RAMONE PLACE」の道路標識が付いていた。街路灯にはチラシがいっぱい
張り付いていて、「STOP IRAQ WAR」というポスターにはパティ・スミスのライヴ告知
を見つけた。パティ・スミスは今でもここで年末年始、3日3晩もライヴをやったり
しているらしい。凄く見たかった。自分のホームタウンでこうやって戦ってるんだな。
ニューヨークでは58%の得票率で民主党が勝利したそうだ。
ブリーカーではブッシュの顔で「NO MY PRESIDENT」とプリントされたTシャツが売られていた。

夜はCAFE WHA?がまだ閉まっていたので、BITTER ENDというライヴ・ハウスに行く。
このライヴ・ハウスは「New York Songwriters' Circle」というのを主宰している
らしく、ライブは週1くらいで定期的にあり、
(3日目に、KNITTING FACTORYでまたこの団体のライヴに出くわすのだが。)
5人くらいのシンガー・ソングライターが
1人1曲ずつ代わりばんこに歌を披露していくというものらしい。
皆身なりは普通で、純粋に自分の歌だけで勝負しているところが意外に新鮮だった。
凄い際立っていい曲があったのだけど、思い出せない…。
過去のスケジュールには、知ってる人だと、
DAVID MEAD,NELLIE MCKAY,JESSE HARRIS,VANESSA CARLTON,
ITAAL SHUR(SMOOTH),SARAH LEE GUTHRIE(ARLO GUTHRIE'S DAUGHTER)
HOLLY WILLIAMS(HANK WILLIAMS GRAND DAUGHTER),GAVIN DEGRAW,,,
こういう所から、才能のある歌い手は普通にワールド・ワイドに巣立って行くのか。

それで今、面白いエピソードを見つけた。VANESSA CARLTONのバイオから…。
〜「週5日ローワーマンハッタンでウェイトレスをしながら
ヘルズキッチンで暮らしていた17歳の頃のことだわ。
週末になると、4トラックを積んで、
ペンシルバニアにある両親の家へ車を走らせていたわ。
そこにピアノが置いてあったからね。父の手を借りながら朝の4時頃まで、
完璧なパフォーマンスを目標に何度も何度も繰り返し録音したわ。
うちで飼っていた犬には参ったわ。かなりいい感じで録音が続いて、
もう少しで曲が終わるってところまで行くと『ワン!』だもの。
そんな時は、最初からやり直しよ!」
みんなきっと、こんな感じで歌作りに励んでいるんだなあ。

彼らが終わると、店のおじさんが話し掛けて来る。僕が「終わり?」と聞くと、
「今こうやって弾き語りなのやってたけど、あとでジャズのビッグ・バンドもやんだ
よ。」(たぶん30%くらいしか訳せてない。)と言うので次の年輩のおじさんSSWも
粘って観ていたが、ビールと疲労で眠くなり、拍手の時だけ目が醒めて拍手してる
自分に気づく。それで外でタクシーを拾って帰る。市のタクシー運転手は7割以上が
移民だそうで、1人でぶつぶつ母国語でしゃべりまくってる。場所を知ったかぶる
人もいるらしいので確かめると、「知ってる、知ってる!」と言われた。
大丈夫だったけど。細かいのがなくて100ドル札を出すと、
運ちゃんのおじさん、目が輝いていた。

1日目で長くなったので、また書いてみます。
[2005/03/01 01:05:30]

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