TITLE:QUEDLINBURG(ドイツ珍遊記3) 


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NAME: miyata   
この日のSugarlessくんは、本当に大変でしたね。
終日、緊張を強いられて。感謝しています。
だけどホントに、「ほとんど勘にまかせて、駅名を確認」していたんだね…(笑)。
Xu zhenting君たちは、もうこの朝から朝食が一緒だったんだ。
僕は彼等に背を向けた席に座っていたから、彼等の様子があまり分からなかったんだよ。
お互い同じ場所で、同じ風景を見ているはずなのに。お互い、ほんの少し印象が違うんだね。
そして見ているものもまた少し違うのだろうね。そう言うのって、オモシロいね。

僕もこうして、またあの旅をなぞることによって新しい発見をしている気がするよ。
[2005/12/23 00:47:26]

NAME: Sugaless Factory Staff   
Morgen!!

朝食風景に補足。最終日に友達となる中国人のXu zhenting君とその美女とはまだ
様子を伺う東洋の猿同士さながらでした。
振り返るとQUEDLINBURG行きが一番骨が折れたね。
列車の本数、ホームの複雑なシステムもそうだが、なにより貰った地図の印刷が
汚なくて、駅の名前が黒いシルエットと化していたことだ。
ほとんど勘にまかせて、駅名を確認するのは本当にスリリングだった。
だって、間違ってたら外で一泊なんてこともありえるでしょ?

今でも思います。もうすこしマシなハルツ地方の路線図なかったのだろうか?と。
QUEDLINBURG(ドイツ珍遊記3)後編へつづく。
[2005/12/22 12:02:48]

NAME: miyata    URL
無限という限りない豊かさの中にただ在れ。意見や不平、能書きなどたれず、
流れる星のように行け。ただ流れろ、流れのままに、何者でもない自分であればいい…
だから黙って生き、旅を、冒険をし、楽しみ、生を祝福せよ。後悔などせずに。
                                〜ジャック・ケルアック/荒涼天使たち

ようやく、ドイツ酔いどれ珍遊記の第3回です。
それにしても、人の記憶というのは儚いものですね。大分忘れ去った気がします。

11月30日。やはりこの日も朝6時過ぎに起床。純粋な観光旅行はこの日で最後だ。
一日を丸ごと、流れるまま流れることに使うことが出来る最終日。
旅行計画当初、我々にはいろいろな作戦案があった。南下し、フランクフルトへ行く案。
東行し、ベルリンへ行く案。最終的に僕らが採用したのは、魔女の総本山ハルツ地方ド田舎潜入作戦。

ハルツ地方は、ハノーヴァーから南東へ約3時間強。ハルツ山地の周囲に点在する皇帝都市からなる。
(皇帝都市とは、初期の神聖ローマ帝国皇帝が首都を定めずに各地に皇帝居城を設け、帝国管理のために
各城を転々と移動したことで発展した都市。皇帝都市には帝国のシンボルである鷲の紋章が用いられた。)
そして中世、このハルツ山には、魔女と悪魔が集結していたという伝説が残っているのだ…!

…ガイドブックな引用はこの辺でやめにして、朝飯ムシャムシャ、東洋のお猿さんたちに目を向けてみよう。
前日と同じく8時半頃出立。武藤くん、この日も列車の運行と切符のやりとりでかなり奮闘。
その間、僕は広大な駅舎内や、駅前広場をぐるぐるぐるぐる。…してるだけで十分楽しいのだ。
ウォークマンにゴー・ビトウィーンズの最新作を入れて聴きながら。ぐるぐるぐるぐる…。
駅へ向かう雑踏。路面電車の走り込んでくる角度。弱々しく昇ってくる朝日。みんな音楽と連動していた。

結局、ようやく乗り換えを把握した後も、乗る予定の列車を一本逃し、前進したのは10:55。
日本以外は普通なのかもしれないが、ドイツの鉄道はちょっとうっかりさんで、列車の時間はアバウトだし、
肝心の列車が予定と違うホームに入って来たりとなかなかアドリブが効いていて、
僕らはそれに振り回され続けた。この日乗り遅れたのは、ホームにABという概念があったことだ。
ひとつのホームを二つの列車でABと二分割に共有しているのだ。その事に僕らはてんで気づかなかったのだ。

HANNOVER Hbf 10:55 → BRAUNSCHWEIG Hbf 12:26 → VIENENBURG 13:01
→ HALBERSTADT 14:07 → QUEDLINBURG 14:22

VIENENBURGを過ぎた辺りから、車窓の景色が一変した。「ここから東ドイツだね。」と武藤くん。
彼の手にある列車路線図を覗き込む。よく分からなかったが、彼によると、その辺りから鉄道の管轄区が
変わるらしい。そのせいで、距離はそんなに遠くはないのに切符の運賃が余計にかかったのだ。
旧東ドイツ領。かつての共産主義圏。ひとつの国が資本主義圏と共産主義圏に分断されていた事実が眼前に。
なおかつ東ドイツ領の中で、首都のベルリンは東西に分割された。朝鮮では今でも絶望的に継続されている。
そう言えば、日本にも戦後そういうプランがあって、東日本共産占領地域は南を福島辺りまでと予定していた
と聞いたことがある。さらに東京24区を米ソで分け合っていたかもしれない。東の人は悲劇だよ。
ドイツは現にそういう事になったのだ。〜「この世から『東西の陣営』とか、『南北朝』とかいう考えが
消える時、初めて平和が来るのではないか。粛清では決して平和は来ぬ。身勝手に『清濁』を定めて
自分の立場をのみ『清』だと思い込めば、もう平和は来ない。」        〜東西南北/柳宗悦随筆集

だけど東ドイツ領の田園風景は、そんな話とは何の関係もないところで、ピュアそのものだった。
その匿名的な風景は、ヨーロッパなのは確かだった。凄く何かが懐かしかった。初めて来たのに。
しばらくはその風景にのみ圧倒されて、何も考えたくなかった。自分のことも忘れてしまいそうになった。
あまりにも自分との関連性が見出せないほどに美しいところに来てしまっていたからだ。言葉でないところで
何かを考えていたのだと思う。そこには、うねる丘陵を這う緑地に照り返す日と林立する黒い木立と。
白く溶け残った雪があっただけだ。沼沢地。誰がどうやってこの風景を作ったのか見当もつかなかった。
ふと我に返って、ウォークマンでBRIAN ENO/AMBIENT 1を聴いてみた。時間があっという間に流れた。

途中、目的地のひとつヴェロニゲローテを通り過ぎた。(帰り道に寄る予定だったが時間の都合割愛された。)
街はずれの山腹に、ヴェルニゲローテ城が見えた。路線はさらに山深く続き、両側は木立に覆われていった。
クヴェートリンブルグ到着。戦災にほとんど遭わなかった旧市街は、ユネスコ世界文化遺産指定保存区域。
田舎な駅ののんびりした感じは、東北の日本海側の駅のような雰囲気もあった。今のところ、
交通の便の悪さも祟り、再開発が遅れ、商業的なショッピング・ウィンドウの乱立から難を逃れている。
駅舎内のピンボールやビリヤードのある遊技場で、金を払ってトイレを借りる。インターネット用のPCが2台。
暇そうな兄ちゃんが一人、ネット・サーフィン。使い方を教えてくれる。キャッツのBBSに書き込み未遂。
締めの言葉を考えてる隙に。タイム・オーバー。50ユーロ・セント水の泡。店のオバちゃんが声がデカくて
怖い。「ドア締めてけ!ボケ!」とオバさんの叫び声を僕らはこう翻訳してみた。…英語通じないぞ?

そして、ようやく街へ。

(長くなってしまったので、もう一度後半を載せます。)
[2005/12/22 03:42:42]

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