タイトルはJEFF BUCKLEYの歌のタイトルから…。
彼らしいロマンチックでカッコいいタイトルです。
彼が生前、唯一残したフルレングス・デビュー・アルバムが再発されました。
未発表曲+DVD付で、それなりの価格だったけど思い切って買った。
彼はトム・ヴァーラインをプロデューサーに迎えた
セカンド・アルバムの制作時、メンフィスのウルフ・リバー・マリーナに
泳ぎに行ったまま帰らぬ人となった。
彼の死後、音源のリリースは後を断たない。これは何よりも明らかに、
どれだけの人間が純粋に、彼の音楽キャリアと
人生の終止符を悼んでいるかの証左となっているんじゃないかと僕は思う。
僕はこの「GRACE」を近所の図書館でなんとなく借りて聴いたのだけど、
なんの情報もなく聴いても、ただ者ではない事だけはそんな僕でも分かった。
才能があって。情熱があって。希有ってこういう人を言うのかと今でも思う。
彼のおかげで、父親のTIM BUCKLEYにも出会えたし、当時好きだった
英ネオ・アコースティックと米オルタナの2つの自分の嗜好が
ここで60年代シンガーソングライターの大きな流れに合流したんじゃないか
と勝手に振り返る。いいうた、いいうたと芋蔓をつたううちに。
で、JEFF BUCKLEYに話を戻すと。彼からは歌を通していろいろ影響を
受けたような気がする。始めはほんの少し、知らず間にそれは大きくなって行った。
彼の子供みたいな発言が好きだ。でも真直ぐであるだけに大きな困難を伴う発言。
「父親にそっくりだと言われたりしたら、
『くそったれ、出直してきやがれ。僕は僕自身だ。
僕は僕なりの影響を受けて育って来た』と言い返してやる。」
「僕はソニー・ミュージックのために音楽を書いてるわけじゃない。
道ばたで泣き叫びフルボリュームのステレオに向かって
泣きわめいている人達の為に僕は音楽を書く。
そしてまた僕は絶対に絶対に絶対に売り渡す事の出来ない
ある種の音楽を作っている。」
「60年代はクソ。70年代はもっとでかいクソ。80年代は…
もう言う必要はないな?スミスは例外。重要なのは今起こっている事。
全ては今この時にかかっているんだ。今!今!今!より大きく、
より速く、より汗まみれに、より広く、よりブラックに、
…より優美(GRACE)に。」
「もしもここにある音楽が、
君の言いたいことを全て君自身が分かっているような感じで響く
とすれば、それはこの上なく貴重なものになるだろう。
君は君自身にとって完璧な何かになる。今ここに、唯一無二の存在として。」
今年はK.D.LANGやKATHRYN WILLIAMSらがこぞってカヴァーした「HALLELUJAH」。
原曲はもちろんレナード・コーエンだが、
(JEFF版はジョン・ケイルがカヴァーしたものをさらにカヴァーしたもの)
ジェフがこのアルバムでカヴァーした名演があったからこそ、
今のこの曲の人気が決定づけられたたんじゃないかと僕は思う。
(ちなみに彼はカヴァー好きでエディット・ピアフからハンク・ウィリアムズ。
ビッグ・スターからMC5。ボブ・ディランにニーナ・シモン、ブッカ・ホワイト、
ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンにバグダット・カフェ等もレパートリーだった。)
僕は死ぬまで、この曲を聴き続ける気がするなあ。
JEFF BUCKLEY/HALLELUJAH
秘密の和音があるという ダヴィテが奏で、主が悦びたもうたという
あなたは音楽が好きではなさそうだけど それはこんな風だった…
四度の和音があって、五度の和音がきて 短調で沈んだ気分を 長調が引き上げる
悩み苦しむ王が作曲したよ!ハレルヤ!
いくら揺るぎない信仰を持っていても 証しは欲しいもの
あなたは屋上で沐浴する彼女を視た その美と月の光に、あなたは打ちのめされた
彼女はあなたを炊事場の椅子に縛りつけ あなたの玉座を打ち壊し、髪を切ったのだ
そしてあなたに歌わせたのは、ハレルヤ!
私はかつて、ここにいた この眼でこの部屋を見、この床を歩いていた
あなたを知る前、私はひとりで暮らしていた
凱旋門には、あなたの旗があったけれど
愛の勝利のマーチなどではなく それは壊れた賛美歌の、冷たい残骸…
いつかあなたが教えてくれた 眼下で何が起こっているか
だけど今は、何も教えてくれない
思い出してほしい、私があなたと住み始めた時の事を
聖なる鳩を引き連れて… ふたりが息をするたびにこぼれ出た言葉はハレルヤ!
天には神がおわすのかもしれない だけど私が愛から学んだ事は
撃たれる前に撃ち返す方法だけ… それは夜中の慟哭でもなく
光明を見い出した者でもない それは壊れた賛美歌の、冷たい残骸…
ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ…
[2004/10/17 03:16:49]