TITLE:不屈の魂 ゆうこときかない祭り |
なんかさ。あれだよね。好きなアーティストをなんとなく追っかけてるうちにさ、 意外なアーティストとの繋がりが見えて来た時ってオモシロいよね。 ECDはたまたま一度、ライヴでこの曲を生で観たことがあって。カッコ良かったな。 俺も友部さんと銀杏が繋がった時は、スゴく不思議な気がしたよ。俺は銀杏の音知らないし。 でも、二人ともディランで繋がるんだよね(笑)。ほら、峯田は「アイデン&ティティ」の主人公 中島の役だったんだよ。俺、そのこと1年以上忘れてたんだけど。(日記見てると、 本人も中島とキャラ瓜二つみたいだね笑。)俺もまさかこんなに友部さんに夢中になるとは 思ってなかったんだけど。今はスゴく、リアリティを感じてしまうんだよね。それはもう、 CDを再生して、音を聞くっていう物理的な行為を超えてるんだよね。まったく。 自分の生活にダイレクトに響くんだな。あ〜、上手く言えてないね(笑)。 とにかく、ホントウに夢中だよ。 まあ、今度会う時にでもその辺のハナシは、バッチシとね(笑)![2005/09/22 02:12:30]
うおお 長いなあ・・・ 笑 友部氏が行った銀杏野音に行ってきたよ! 自分でも意外だったけどなかなか感動しましたよ 峯田の日記によく友部さんの詞が書いてあるから気になってはいたんだ あとECDにもちょっと反応したった 素敵なイベントいーなー[2005/09/21 01:56:44]
「言うこと聞くよな奴らじゃないぞ」 ECD 終止この曲がMCで呪文のように流されていた、 17日の土曜日の上野水上音楽堂。「不屈の魂 ゆうこときかない祭り」 というライヴ・イベントを観に行きました。以下は開催者のメッセージ。 〜聞きわけの良い人が多すぎる。ヒジョーに問題だ! ゆうこときかなそうな出演者、出店、ブース、いろんなお客さんが入り乱れた雑多な雰囲気で、 活力がみなぎり、楽しくて死ぬのが惜しくなるような祭りをしたい!! そこには、戦争で死んだり、何かの犠牲になって生きるばかばかしさの対極がある!!! このイベント=祭りに来て“楽しく生きること”を知った個人個人が、それぞれのやり方で、ゆる〜く、 のらりくらり、しかしながらしぶとく!…目に見える連帯をしなくてもいい、アクティブに “ゆうこときかない”を根付かせてくれるのを期待する。もはや戦時下だから、仕方ないのか?俺はNOだ! 出演者は、 友部正人&マーガレットズロース、 遠藤ミチロウ、 ゲタカルビ(vo.仲野茂from亜無亜危異、g.ゴローex.ロリータ18号、b.サモン、dr.コバンex.亜無亜危異)、 シカラムータ(大熊ワタルcl、川口義之sax、桜井芳樹g、渡辺明子tb、関島岳郎tuba、吉田達也ds、 こぐれみわぞうチンドン太鼓) 僕が遅れて上野公園、不忍池に辿り着いた時には、もう音楽堂の方角から友部さんの歌声が 聞こえて来ていた。音楽堂に着くと、友部さんはオレンジ色のポロシャツ着てソロで歌っていた。 「10年前に、ここで高田渡とどんとと一緒にやりました。その時はフリー・コンサートで、 お客さんももっとたくさんいて。あの時の3人の中で生き残っているのは僕だけです。」 友部さんは少し寂しそうに笑って、手を挙げながらそんなことを言っていた。 そして、高田渡の訃報を歌った「朝の電話」。(先月、銀杏BOYZの大阪公演で、友部さんは25分間 ゲスト出演し、その時もこの曲を歌ったのだそうだ。若いオーディエンスを前に拍手も一際だったと。) そしてマーガレットズ・ロースを従え7曲。「愛はぼくのとっておきの色」、 11月8日発売予定(僕の耳が間違っていなければ)のニュー・アルバムから 「スピーク・ジャパニーズ・アメリカン」、「トランペット・トレイン」と 必殺チューンで一気にとばす。以下は、この日に演奏した「遠来」の歌詞です。 友部正人/遠来 君がニューヨークにいるのと同じように ぼくは東京にいる 君がニューヨークでアパートを借りているのと同じように ぼくは東京で借家住まいだ 君はニューヨークで新しい友達を見つけただろうか ぼくは東京で見つけたよ そしてぼくも君も東京とニューヨークで 歌のことを考えている 君がインドにいるのと同じように ぼくは東京にいる 君がインドで丘の上の大木を見上げているのと同じように ぼくは東京で庭の木を見上げている 君はインドで赤い袈裟を着てお祈りしているという ぼくは東京でコーヒーを飲みながらお祈りしているよ そしてぼくも君も東京とインドで 湯気をたてて晩御飯の支度をしている 君がフランスにいるのと同じように ぼくは東京にいる 君はフランス人の書類第一主義のやり方に腹を立て ぼくは日本人の曖昧なやり方に腹を立てる 君からたまにはおいしいものを食べに行くよと手紙が届いた ぼくは東京にいておいしいものって何だろうと思っている そしてぼくも君も風向きが変わり ヨットは同じ方に走りはじめている 君が台湾にいるのと同じように ぼくは東京にいる 君は台湾に行ってアジアが見えたかい ぼくは東京にいてこの街もわからない こんなにたくさんの人が生きているのにという そんな悔しさにおそわれることはないかい そしてぼくも君も東京と台湾で 捨てる物のなくなったどぶ川を眺めている 君が地球にいるのと同じように ぼくも地球の上にいる 夜になるとたくさんの街の灯が つながって一つになるのを見たことがある ぼくらはいつもどこか遠くから 僕らのいる星を眺めている そしてぼくも君もこの地球の上で わかり合えないまま距離ばかりをたいせつにしている 〜イベント会場では、政治的な自主制作パンフや出版物、メッセージTシャツを売る人たちが 選挙結果を肴に酒を呑んでいたり、日本国憲法の手作りの小織物のような冊子を売るオバさんや、 何故か懐かしいポール・ウェラーの93年ロッキン・オン総力特集号をたくさん売っている店があったり、 (僕も持ってるけど。)、中東のつい買ってみたくなるような面白そうなアーティストのCDが置いてあったり、 イベントのイラストを書いた人がカレンダーやグッズを売っていたり、その場で段ボールでお客さんに 絵を描いてあげていたり、ただ酔っぱらって、パイプ椅子ひとつのスペースで焼酎を割ってくれる オヤジがいたり、ホームレス支援雑誌、「ビッグ・イシュー」の売店が出張して来ていたり。 底辺ギリギリの不屈の陽気さで、活力のある人々が集まっていて、彼らがそこで演奏される音楽を支えていた。 日本が誇るアンプラグド・パンクス、遠藤ミチロウ、焼き肉屋で結成されたというアナーキーの別バンド ゲタカルビと、ステージは日が暮れなずむにつれますます「ゆうこときかない」雰囲気へ突入していく。 友部さんと遠藤ミチロウは同い年で、30年来の友人なのだという。ゲタカルビは「ゆうこときかなさ度」 300%。アナーキーな日本語直訳UKパンク・オリジナル・ナンバーで暴れる。客はステージ前の池に 飛び込み水浸し。さっきまでそこでスイスイ泳いでいたアメンボたちには災難だ。亜無亜危異の真っ赤な 鮮血色の腕の刺繍が妖しく光っていた。メンバーのブルーのシャツの背中には日章旗。 ピストルズの音楽とファッションを情熱的に忠実に日本に置き換えたものだから、 理由のないカッコ良さとヤバさだけが彼らを輝くアブナい弾丸に変えていた。 ラストのシカラムータ(CICALA-MVTA)は、大所帯のアヴァンギャルドでチンドン屋な路上的音楽演奏集団。 バンド名は、戦前の大道演歌師・添田唖蝉坊の墓碑銘 「A CICALA-MVTA CHE CANTAVA ELAS VA MOGLIE CHE L'AMAVA」 (歌を歌った声なき蝉と彼を愛したその妻に)から採られていると言う。 (※脱線。1960年代、高田渡ら初期の日本のフォークシンガーが好んで添田の作品を唄い、 結果日本のフォークソングの原形が形成されたという。しかし、壮士演歌、明治の自由民権運動にルーツを持つ 日本固有の「自由を歌った」本来の「演歌」が全く「俗な艶唄(つやうた)」にすり替えられたように、 日本のフォークソングも、アコースティックギターを使っただけの艶唄のようなものにすり替えられた ことに、演歌とフォークには共通点があるという。そこが自立し継続されるアメリカのフォークとは違うところか。) 「東京アンダーグラウンドの底力」とも言われているという彼らの音楽は、曲者が演奏する曲者の音楽だった。 クラリネット、サックス、ヴァイオリン、ギター、トロンボーン、テューバ、ドラムにチンドン太鼓。 プラス色仕掛けのような謎の踊り子さんたち。暴力団の暴力事件に巻き込まれ命を落とした彼らのファンと、 その事件を見過ごした兵庫県警と裁判で一人闘っているというそのファンだった彼のお母さんに捧げられた曲 など、どの曲も国籍不明で不法入国おまけに酔っぱらいという怪しいキャラバン隊のようで、 ロックもジャズもトラッド・ミュージックも、彼らの大きなソリに何万キロも引きずられて 可笑しな悲鳴をあげているみたいだった。フタをするのを忘れた電動シェイカーのように、その音楽は 僕らのシャツを派手に汚してしまい、どんなに洗濯してもその音楽は、結局数日経ってもとれなかった。 ライヴの最後には、友部さんが再登場し、シカラムータをバックにビクトル・ハラの「平和に生きる権利」 をソウルフラワーユニオンの歌っている日本語訳で歌っていた。 この歌を歌うという事は、一つの毅然とした意思表示なのだと思う。 (※脱線2。ビクトル・ハラVictor Jara(1938-1973)は、中南米チリのシンガーソングライターで、 『ヌエバ・カンシオン』という新しい歌運動を行った一人である。単に伝統的な民謡だけでなく、 貧富の差の激しい民衆の悲哀を歌い、社会の不正に対して抗議の姿勢をとった。 この運動はラテンアメリカ全体において行われた。しかし、ハラはアメリカによって援助された ピノチェトのクーデター(1973年9月11日、もうひとつの9.11。)の中で、左派と目された 多くの人々とともに拘束され、国立競技場に連行される。ギターを弾き人々を励ましていたが、 兵士によってギターを取り上げられてもなお手拍子をとって歌い続け、二度とギターが弾けないよう、 両手を銃の台尻で砕かれた上両手首を切断され、顔を切り刻まれ、 銃弾を34発撃ち込まれ殺害された。享年35歳。 ハラは、収容されてもなお歌を歌って仲間を励まし続けたのだという。 この曲は、ハラにしては異色の作品でロックっぽいのが特徴らしい。 もともとは「文化を侵略する」というコンセプトによりロックバンドのために書かれた曲なのだという。) VICTOR JARA/平和に生きる権利 El Derecho De Vivir En Paz (1971、原訳) 平和に生きる権利とは・・・・ ベトナムの地から 全人類の心を打った 詩人、ホー・チ・ミンよ たとえどんな大砲でも あなたの稲田の畦から消せまい 平和のうちに生きる権利を インドシナがあるのは 広い海のかなた あそこでは花々が 毒薬やナパーム弾で砕かれる あそこでは月でさえ あらゆる叫びを併せた爆発 平和に生きる権利とは ホー小父さんよ、われらの歌は 澄み切った愛の炎だ それは鳩小舎の鳩 オリーブ畑に茂ったオリーブ それは世界をつなぐ歌 平和のうちに生きる権利を かちとるための鎖なんだ 最後は、出演者全員再登場。ゲタカルビ演奏ラモーンズのような「仰げば尊し」。ミチロウ以下熱唱。 ステージの踊り子さんたち、もう踊りじゃなくてただ暴れている。全行程終了後も「アンコール」の嵐。 「ゆうこときかない」客たちを主催者側がなんとかなだめていました。とても楽しかったです。 以下は、この日の友部さんの日記から転載させて頂きました。 ---------------------------------------------------------------------------- 〜コンサートが予定より早く終わったので、ぼくとユミは打ち上げを辞退して、川瀬さんの車で、 日比谷野音に銀杏BOYZを聞きに行きました。ちょうどアンコールの最中でした。 後で楽屋で会ったら、4曲目でまた峯田君が足をけがしたらしい。痛そうでした。 日比谷に行くとき皇居を見て、今日聞いたアナーキーの「東京イズバーニング」を思い出しました。 そしてどうして皇族の人たちだけこんないいところに住んでいられるんだろう、と思いました。 友部正人 ---------------------------------------------------------------------------- このイベントの後僕は、友達と上海家庭料理って書いてある中華屋さんで腹一杯にしてから、 下北沢のラ・カーニャへ。楽しみにしていたエリック・アンダースンの単独来日公演へ行きました。 とても小さな店内に入ったら、ハイドパークで観たハンバート・ハンバートが歌っていた…! 次回は、このエリック・アンダースンのライヴについて書いてみます。[2005/09/20 19:49:52]