「結局のところ子供が凄く魅力的なのは変化があること。」
最近、心に残っていた言葉。
今晩、二階堂和美さんのライヴを観て、またこの言葉を思った。
彼女の音楽は、歌と声を絵筆のよう振るい、感情の輪郭を描く。
虚空を爪で引っ掻くように。
感情を吐露するという行為の中に、打算も徒労もない。
裏も表もない。
白もなければ、黒もない。
喜怒哀楽にラインはない。
現代の社会は合理主義だから、
人間も合理的に行動しないと、情緒不安定ということになる。
歌はずっと、その社会の隙間を縫うように生きて来た。
僕は変化を信じたいから。
混沌を信じたいから。
空想的であってもいい、
確かにここに存在するものに時間を費やしたいから。
くだらない精神に囚われず、ただ熱中したいから。
我を忘れるほどに。
剥き出しの心。
たとえ何かに利用されているのだとしてとも。
倦怠から逃れる術などないと分かっていても。
自殺の準備をしている連中なんかよりも。
もっと軽いフットワークで行こうぜなんて言ってる連中よりも。
心の底では。
当たり前のように今を生きる人が好きだと。
彼女の音楽を観てまた思いました。
自分の感情。
自分の経験。
それだけが現在を定義する。
それだけが現実を定義する。
1つの賭け。
彼女の音楽が、いつもその瀬戸際で鳴らされている感じがたまらなく好きです。
そして今晩のライヴのメイン・バンド、「渚にて」。
スケールが大きいなあと。
本当に渚のようなバンドなんだなあと。
彼らのレコードも、もっと時間をかけて聴いてみよう思いました。
[2004/06/25 01:58:20]