TITLE:都市にありて森を想う。 


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NAME: miyata   
快挙。STUDIO VOICE誌が、ヘンリー・ソローを大々的に特集しました。

ヘンリー・ソローは19世紀中頃、28歳の時、2年2ヵ月に渡り、
アメリカ東部の原生自然(ウイルダネス)、ウォールデン湖畔に
小屋を建て、森の生活を独力で実践し、独自の自然哲学を築き上げました。

「あらゆる自然が自分に対する祝福であり、一瞬一瞬、自分を祝福することができる。
いちばん大きな利益と価値というものは、いちばん高いところにあるリアリティ
なのだ。たぶん、もっとも驚くべき、もっともリアルな事実というものは、
人から人へはけっして伝えられないものなのだろう。」

しかし、ここで彼を仙人のような作家であったとするのは、短絡的な考え方のようです。

〜ソローにとって、森で生活するということは、
惰性や混乱したまま私たちを絡めこんでいる
いまの関係性から撤退することである。
ソローの思想の一つのカギは隠遁ではなく撤退だろう。
まさに「国家の姿などどこにも見えない場所」への撤退。
政府からの、法からの、金銭からの、そして常識からの撤退。
そして撤退した場所は、優雅にして苛烈な、個人と共同体の、
個人と自然の、そして個人と政府の、
関係性の結び直しの実験場になるのである。

僕には、とても150年前の思想とは思えない、鮮烈な価値基準に映る。
そしてその1世紀後のビートたちとの関連性についての言及も興味深かった。

〜何者にも騙されず、自分ひとりの力で何かを掴み取ろうとする、そのような態度と
方向性。流されるのではなく、自己において発動すること。その崇高さにビートは
憧れ、自分以外には支えのない孤独と不安を、ソローたちを師と仰ぐことで
強く乗り越えようとした。思想的な「セルフ・リアイアンス」(自律性)を打ち立て、
そのセルフを得るための「心の爆発」をより激しく大きく追求することが必須だった。
頼りなのは自分だけだった。

ぐッと来ます。正に核心。どれだけこの的に、強く照準を当てられるものなのか!
最後に、映画「翼よあれがパリの灯だ」からの神父とリンドバーグの会話。

「なぜ神父さんは、飛行機に乗りたがるんだい?」
「神に少しでも近づける気がするからだ」
「へえ、僕は違うね。僕は飛行機に乗っていると、自分の神に近づけるんだよ。」

いつだかここに書いた、ジュラシック・パークの、天文学者か?宇宙飛行士か?
の問いを思い起こしました。「へえ、僕は違うね。」かあ。名言だなー。
久々に、雑誌を隅から隅まで読むことになりそう。
[2005/01/06 01:24:12]

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