MUSIC MAGAZINE 10月号に、さかなのインタビューが載っていた。
レコードに限った事ではないし、誰もが経験のある事なのだろうけど、
僕は何か、心動かされたレコードに出会うと、
必ずと言っていいほどその音楽を作った人間にも同等の興味を抱く。
作った人たちがその時、何を思い、何を考え、どんな人生を生きていて、
その表現に至ったのか。だからいつも気持ちが入らないと記憶に残らないし、
気持ちの入っていない記憶なんかどうでもいいから、いつまでたっても
博識な人間には到底なれっこないし、世間の評価で良いものは
やっぱり良いものが多いけれど、そんなの完全に無視したところでも
自分にとって良いものを見つける心意気だけは育てて行きたい。
僕は勝手な思い込みで大切なのはいつでも気持ちの維持だと思っている。
から、ガツンとやられた時はガツンと夢中になりたいとは思っている。
前置きの方が長くなったけど、さかなは、自分の中でそんな事を感じさせる人たち
の顔ぶれのひとつになりつつある。記号には成り得ない確かな主張がある人たち。
以下はポコペンさんの言葉、
〜メッセージがなくて音楽をやっている人はいない。やる必要ないし。
売れてようが売れてなかろうが、私たちは影響を与える立場にいますよね。
そこに責任を持ちたいんです。自分がいいと思うことを歌いたい。
自分が生きていられること、音楽ができることを、当たり前だとは思えない。
さまざまな理由で、音楽ができなくなった人は、たくさんいるんです。
病気や経済上の理由や、あるいは死であるとか。私は生きている。
この生を、よいことに使いたい。よいことがなんなのかは勉強の毎日なんですが。
さかなの音楽はみんなが口を揃えて言うように、
とても素晴らしいし、ギターが良いとか、音の綴り方が良いとか、
それは確かに僕もそう思う。だけど、ポコペンさんのこの発言に滲み出ている
気質のようなものには、僕は何か決定的なモノを感じる。ある種の強さ。
さかなの歌は決して何かを強烈に言い切るようなことはないけれど、
形にはならないそういった強さを備えているような感じがする。
センスが良いという点だけでは、僕は何か信用しきれない。
さかなは明らかにセンスを超えた何かを持っているんじゃないかな?
「私は生きている」という事は僕も、同い年のいとこが
ひょっこり亡くなってしまった時に凄く感じた。
棺桶に彼を収めて、「僕は生きている」とただそう思うしかなかった。
それからしばらくの間は「死」という言葉には敏感だった。
あまりにもテキトーに使いやがるとか思いながら。
こういう事って重いと言って避ける人もいるけれど、避けられるものでもなし。
素敵な音楽を作って、なおもこういう事をしっかり言える人。
僕はカッコイイと思う。ポコペンさん流に言えば、ナイスガイ。
最後に昨日のライヴで歌っていた、歌の歌詞が印象に残っているので、
多少の間違いはあるかもしれないけれど、載せてみます。
『君のハートが夢見る世界があまりにもきれいだから
たとえ誰かがよくないことを言ったとしても
それは空しく響くのさ』
[2004/09/29 02:11:59]