TITLE:顔も名も知られぬままに。 


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NAME: miyata   
やあ、むっち。
なんか68って数字が年齢に見えて来たよ…(笑)。

80、90にもなる現役のブルース・シンガーたちが、
そんな歳にもなって、なんで精力的にツアーをするのか。
ということの答えのひとつに「他にする事がないから。」という
意見もあるらしいですよ。もしくは「単純に生活のために」
という、なんかロマンもへったくれもない現実もあったりして。

でも絵描きさんもそうなのかもしれないけど、やっぱり自分で選んで
やりたいと思った事を続けて行ける環境って、それを支えてくれる
周りの人たちがあっての事なんでしょうから、そういうのって
やっぱりいいなあ〜って思ってしまうよね。カッコイイなあ〜と。

でもまあ、自分なんかはつくづく苦労が苦手なんだなあとはよく思います。
今まではなんだかんだで普通に避けても来れたけど、
そろそろいいかげんムリなんだなって最近なんとなく思いますよ(笑)。

でも一生懸命になれるものを持ってる、自分の周りの人なんかを見ても、
やっぱみんなキラリ★としたものを持ってるし。本人はいつもしんどそうでも
なんかそれはそれで楽しそうだなあ〜なんて思ってしまうなあ。

そういう事が図らずも他の人にとっても励ましになっていたりもしたら
それはそれで素敵なことですねえ〜。やっぱ持ちつ持たれつだよねえ〜。
[2005/07/10 01:08:57]

NAME: むっち68    URL
現在64歳である、生身の今そのままのディランの姿…ですか。

一つの事を、一生かけて追求し続けるということの重みは
凄まじいものがあると思います。そこで…
本日、府中美術館へ
「山田正亮の絵画―〈静物〉から〈Work〉…そして〈Color〉へ」展を
観に行ってきました。
戦後日本において一貫して絵画の可能性を探求してきた
山田正亮(75歳 )の個展です。
展示は10代の頃の作品から30代までの作品を中心にしたものでした。
10代の頃の作品はセザンヌを思わせる、静物画。
次第にその絵画表現は、画家によって解体されてゆきます。
実体を持っていた絵画が、年月とともに徐々に抽象化されて終いには
ストライプになってしまう、さらにストライプは分割表現になり…。
…と、まあ長い年月の中で移り行く様を分かりやすく展示していました。
とても、インパクトがあり面白かったです。

また美術評論家である早見堯先生の紹介で、山田正亮先生と少しお話する事が
できました。
それによると、戦後すぐの日本では絵の具一つ買うことも大変な努力が
必要だったそうです。軍が持って行ってしまう絵の具を買うために
教会のモップ拭きをしたり…と、常に描き続けることが「物理的に」難しい中で
日々格闘していたようです。
絵画の中からもそんな重みがにじみ出ていたように思います。
現在でも製作を精力的に続けいるそうで、新作も展示していました。
興味があったら、ぜひ足を運んでみてください。
美術館自体もとても素敵なのでお勧めです。

一つの事を、一生かけて追求し続けるということの重みを肌で感じることが
できました。
[2005/07/09 23:19:03]

NAME: miyata    URL
今日は久々、路上演奏の約束だったのだけど、風邪で出来なかった。
万博前に、9度熱をむりやり注射で治したのが再発したのかもしれない。

そう言えば、先日こちらで紹介したこの夏上映の映画、
『ボブ・ディランの頭のなか マスクド・アンド・アノニマス』
のサイトが、昨日見たらちゃんとオープンしていました。

この映画では、ロック雑誌やディスク本お決まりのあのディランではなく、
現在64歳である、生身の今そのままのディランの姿が垣間見れるはずです。
だから非常に楽しみでもあるけれど、内心は少しドキドキしています。

友部正人さんのHPの日記を拝見したら、先月後半にボブ・ディランのライヴを
観に行った時の事が書いてありました。現在、ディランはメジャーではない、
小さな野球場を使ってツアーをしているそうです。この日のディランは、
ギターを一切弾かず、電気ピアノを演奏しながら立って歌っていて、友部さんが
今まで観たディランのライヴの中で一番良かったという風に書かれていました。
バンド・メンバーともどもみんな白いユニフォームを着て、真剣に歌を製造する
パン屋さんかクリーニング屋さんのようで、演奏はとても自信に満ちていたそうです。

最近のディランは、キャリア史上初めてのTV-CMに出たり(しかも何故か女性下着のCM)、
スコットランドの大学で名誉音楽博士に選ばれたはいいのだけど、授与式であくびしたり、
今回の映画が出展された、サンダンス映画祭に何故か金髪のかつらで登場したり…。
やっぱ、面白い人だなあ〜。

「ぼくはいつもシンガーであり、おそらくそれ以上のものではなかった。
ときには、物事の意味を知るだけでは充分と言えない。
ときには、物事が意味しないことをも知らなければならない。
たとえば、愛する人のできることを知らないということが
何を意味するのかといったことだ。
すべてのものは崩壊した。
とくに法や規則がつくる秩序は崩壊した。
世界をどう見るかで、ぼくたちが何者であるかが決まる。
祭の遊園地から見れば、何もかもが楽しく見える。
高い山に登れば、略奪と殺人が見える。
真実と美は、それを見る者の目に宿る。
ぼくはもうずっと前に、答えを探すことをやめてしまった。」

映画で使われているという、このディランのセリフ。
テレビをつけたら、ロンドンで起こった同時多発テロの報道をやっていたのと、
こないだ出かけた、愛知万博のことをなんとなく思い出していた。
[2005/07/08 20:58:34]

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