■スポーツドライバーに求められる物


先日、雪の路面を楽しんできたのですが、その道のりの途中に、ふと思いました。
雪道・・・そう、ソコはあくまでも一般公道。しかし速度違反をするような程のスピードが出る程でもなく、車も合法的改造です。
民家も宿泊施設もなく、ほとんど人も来ない場所。しかしソコはスノートライアルのコースではなく公道。
何故、雪が有る場所でその様な施設が作られないのか?
ヨーロッパではスキー場の隣にコースを併設し、午前中スキーを楽しんで、午後はコースで車を振り回して遊べる環境があります。
日本では法的にも困難な状況もあるでしょうが・・・。
しかし日本の多種多様な環境に置いて、モータースポーツを取り巻く環境は相変わらず厳しいと実感します。
アメリカの圧力により規制緩和が進められ、誰もが車を気軽に改造できる環境を見ると、その状況は少し変わりました。しかしその反面、車に対してキチンとした認識もなく、マフラーを交換したり車高調を入れてみたりする方達が居て、中でも他人の迷惑を顧みない行為をする輩が特に目立ってしまっています。
未だに日本ではマフラーを交換しただけで”暴走族” と呼ばれる様な状況で有る事に変わりは有りません。こと日本では国民性でしょうか、モータースポーツがスポーツとしての一ジャンルとしての認識がなされていないのです。
この環境に拍車をかけるように日々の報道で、ローリング族・ルーレット族など色々な輩が交通量の多い一般公道や住宅街付近での”暴走”をしている状況が報じられています。一般の民家や通行車が往来している場所で、我が物顔での”暴走”。しかし車を改造して走る事を楽しみたいと思う輩が全てその様な人間では無く、そういった人間は極一部の人間なのです。
先に挙げた規制緩和により日本に置ける改造車の置かれている環境を知る事の無い方達によって行われる、他人の迷惑を顧みない行為を見過ごし、自らの首を絞めている事になっているのです。
悲しいですが私も一般的に見れば、”暴走族”のくくりの中に入る事になるのでしょう。
可笑しな言い方かも知れないですが、だからこそ自分の行動には責任を持ち、普段の運転にも注意を払い、渋滞の無い時間帯のドライブなどでも他者の通行には十分過ぎるくらいの注意を払います。走る事が好きだから・・・だから人一倍車に関して”所有する責任””走る事に対する責任”には厳しい認識を持ち、接して行かなければならないと思っています。
勿論、走る事に対して興味の無い方も例外ではありません。車やその様な物を所有し使用する以上、”最低限の責任”です。
また基本的メンテナンスをせず、必要性を理解していない人間、自己中心的な走行をする人間は暴走行為をしている人間と違いは無いと思っています。それは何故か?
・・・それは 余りにも”危険”だからです。
今、車に携わる人間に一番求められているのは、”モラル”は勿論一般社会で言われている以上の”思いやり””ゆとり”が求められていると思います。
非社交的に自分の世界に閉じこもり他者を顧みず、スピードの世界で快楽を得るのではなく。スポーツドライブを知っているからこそ、進んで模範的なドライビングをし、車を通しての”社交”を体現しなければならないと思います。
例えば電車の中で、お年寄りに席を譲る様に・・・例えば目の見えない人の為に用意された通行帯に自転車を置かない様に
私達走る事を志す人間は、進んで運転に不慣れな方やお年寄りの方達に道を譲り、ブレーキング時などにおける後方車に対する配慮も忘れず、車線変更・ウィンカーの出し方・前車との車間距離・近隣住民に対する騒音・通行により生ずる危険etc...に対する配慮を怠る事無く、常に車による”社交”を意識して、車に対する”改造車=社会悪”的な認識を少しでも改善する努力をしなければ、環境が変わることは無いでしょう。

余談で大きい声では言えませんが、さすがに昨晩の場所は、近くの警察もあえて取締は○○ている様でした。理由は解りませんが・・・。
私達の様な存在に対する日本の社会的認識を忘れず、これからも走り続けて行きたいと思います。


私にとって”走る”ということは、”生きて行く事”に他ならないのです。
一番は車だけではなく”スピードの追求”なんですけどね(笑)
人が息をする様に、私は”スピード”を必要としているのです。
(※ほとんど病気かな(^^;))
中にはこの様な人間が居る事を知って下さい。
何も特殊な存在ではなく、例えば多種多様な業界の”プロ””セミプロ”がそうで有るように、その様な事を生き甲斐にしている人間は確実に存在しているのですから・・・。



※決して人気の無い所での暴走行為を認め、薦めている訳ではない事に念を押しておきます。









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