■現代の倫理って?

あぁ〜!!タイトルを見て「なんだよこれ!!」って思った方、お願いだからちょっとだけ読んでみてくださいよ(^^;)
そんなに堅苦しい事でもなければ、難しくもないですから(笑)
少しだけ!ほんの少しだけ私に付き合ってもらえますか?(笑)

・・・さて、と。(ふぅ〜(^^;))
昨今、巷を賑わしている各技術の尋常でない発展速度に対し懸念を持ち、世界各地で倫理論争が繰り広げられています。
昔と違い、みんな頭の良い方が多いようで、難解な言葉を並べて議論していますよね。
エレクトロニクス、メカ技術、サイバー技術、バイオ技術、光技術、ニューロ技術etc......
各々の分野で専門的議論が交わされています。しかし皆さん結論が出ずに苦悩されているようですね。
これは技術的分野だけでなく、学問や宗教の領域や全ての世界に共通することです。
「人としてどうなのか?」「何処で止めるべきなのか?」などなど、その議論は行き着く先が無いように思われているようです。

はたしてそうなのでしょうか??
私は違うと思います。
私は日本人です。ならば日本的な言葉に例えて考えてみましょう。
いうなれば現在の状態は正しく「灯台元暗し」といった状況でしょう。どんなに技術が発達したとしても、それを使う人間が有効に使う方法・考え方・技術を習得しなければ、全く意味の無いことです。それを蔑(ナイガシ)ろにして行く事はとても危険ですよね。現在はその技術だけにスポットが当てられてしまっている状況でしょう。そして今、使い方を考え、その流れで考え方が少しだけ出てきているといった感じですね。
例えるなら兵器の意味の解らない赤ちゃんに銃などを持たせる様なものですよね。考えただけで恐ろしいです。
引き金を引く事を覚えた赤ちゃんは、何の躊躇も無しに命を奪い破壊することを楽しむことでしょう。いや、単純に引き金を引くという動作や、結果起きる音や振動を楽しんでいるのです。技術を使用する人間がその効果を単純に喜ぶ様に・・・。
そう、何の躊躇や葛藤も無いままに、引き金を引く事で起きる現象だけに楽しみを感じながら・・・。
要するに議論を推し進めている方々は、技術に関する話はしますが、それ以前の問題を蔑ろにしてしまっているということです。たとえ話をしていたとしても、その本質を見据える事をしていないように感じます。
猿にパソコンを与えても何の意味も無いように、その使い方を知らない人間に新たな技術を与える事はとても危険だと思います。
なぜなら猿は何の悪意も無しに、エンターのボタンを押すでしょう。しかしそのエンターが核の発射スイッチだったら!?
つまりはそういうことです。

技術が発達する以上、それを使う人間(プラットフォーム)がしっかりしていなければ、全く意味を成さないのです。
例えばどんなに弾丸の威力が増したとしても、それを受け止める銃身がきちんと弾丸を導くことが出来なければ、その弾丸は暴発し自らを傷つける事になるのです。
私は古臭い理屈は嫌いです。無意味な上下関係など、古くからのバカげた日本の慣習。
しかし全てがそうではありませんよね。先人の知恵やお婆ちゃんの知恵袋。また保育園や幼稚園でならった事。
人として当たり前の事を当たり前にする。
簡単な様で、なかなか私達が出来ていないこと。
原点に返ってもう一度考えてみませんか。幼い時、おばあちゃんが教えてくれた事。お父さんやお母さんに教えられ叱られた事。近所のおばちゃんが教えてくれた事。友達が言ったあの一言。恋人が見せたあの涙。みんな何処かで少なくとも一度くらいは憶えがあるでしょう。
その時、自分の心の中に広がった疑問や葛藤。みんな「なんで?」と理解できない大人の教えや友達の反応に深く疑問を抱いたはずです。その疑問が解けないまま、いつも自分に問いかけ、そして時が経ち今大人となり、その意味がなんとなく解り始めて・・・そして子供と共に、再びその事について考えさせられ、そして共に成長してゆく。

そんな世の中になった今、もう一度振り返ってみたいと思います。
「いいかい?人様に迷惑を掛けちゃいけないよ!?」
「自分の事は自分でやりなさい!!」
「出したものはキチンと片付けなさい!」
「ゴミはゴミ箱に捨てないと駄目よ。」
「もし同じ事をされたら、貴方はどう思うの?」
「自分が嫌な事は人にしちゃだめよ?」

もう一度振り返ればその答えが何処かにあるはずです。その言葉の表す本質とは?そのときこの言葉を発した人の気持ちは?
皆忘れてしまっているだけ、人間は何故人間なのか?人とはどういう生き物なのか?貴方が歩んできた人生が、きっとその答えを教えてくれることでしょう。

頭や心が一杯いっぱいになったら、ちょっと足を止めて空を見上げてみませんか?
足元を流れる水のせせらぎを感じてみませんか?
貴方の体を包む風が何かを語りかけ、何処までも広がる空が貴方を見守り、足元に広がる台地が貴方の全てを受け止めてくれています。水が貴方を潤し、炎は貴方に情熱を授け、夜闇は静寂を、そして光は希望を与えてくれることでしょう。
言っておきますが、私は変な宗教の回し者ではないので勘違いしないで下さいね(笑)
頭のお堅い方々が、どんなに机上で議論を交えても、その先には何も見出せないでしょうね。
皆さん、一番大切な事を忘れてますから。
そもそも命という存在に対し、真剣に考える機会の無かった人達がどんなに議論を重ねたところで、それは何の本質も捉える事が出来ないでしょう。勿論断言することもできませんし、そこから何かを見出すために議論を交わすわけですから可能性はゼロではありません。ですが何より一番大切なのは、命に正面から向き合っている方々(現場)の言葉に耳を傾けることでしょう。
そして人々が人為的生命の危機にさらされる状況を回避し、普通に”生きる”ことの出来る社会を創り、そして自然の理には逆らわない。
「親の言うことは聞きなさい!」 と言う割には、自然から生まれた人間は、自然の言うことを全然聞いていませんよね。
皆さん難しく考えすぎです、生命とはもっと単純な存在だと思います。故に奥が深い・・・。
複雑な事象に解を見出す事に賛辞を与え、至極単純な事象に対して解を見出そうとする人間を蔑ろにする。「そんな事解りきったことだ。」と。しかし何気に大切なことは意外と単純で近くにある事かも知れませんよ?

極めるのも大切かも知れませんが、まぁ何事も”適当”に。”いい加減”に行きましょう。
これは投げやりな意味ではなく、適度に良い塩梅にと言う意味ですよ♪
ほんと日本には良い言葉がありますね♪
ここから先は私達一人一人が考えて行かなければなりません。
そうすることが、この難題の解と言えるでしょう。
皆さんは答えが終着点だとお考えのようですが、私達が求めている答えとは何なのでしょうか?私は解を見出そうとするその行為自体が解なのだと思います。簡単に言うなら、常に自分という者を見つめることです。そして考える事です。「これで良いのか?」「本当にそうなのか?」疑問ばかりで気持ち悪いかもしれませんが、その気持ちを持ち続ける事が大切なのだと思います。
「生命と各技術の融合」、こういえば響きは良いですが、何の境界も無い融合は人間と野生の動物は混同してはいけないように、これは簡単に言ってしまえば、汚くて申し訳無いですが「糞味噌一緒」って事ですよね?
こういう事はどこかで境界を作らなければいけません。それが何処なのかは皆さんで決める事。この事実から目を逸らしてはいけません。

「人間は考える葦である。」

先人は良い言葉を残してくれてますよ♪何処にでもこのような言葉が潜んでいます。
貴方の過去、友達が見てきた社会、祖父母が語り継ぐ伝統。
何処から見つけるのかは、貴方次第。100人いれば100通りの考え方が有って当然。だからといって、お互いが理解できないことは無いと思いますよ?だってその本質はきっと同じ”モノ”なのでしょうから。
情報が溢れる現代社会で、そのボキャブラリーや知識をひけらかす事に優越感を覚える方々、そんな物はこの自然の中では大した物じゃないですよ。原点に返りましょう。
「初心忘るるべからず。」だと思いますよ?

虫の音を”声”として感じる事の出来る私達”日本人”・・・。
そんな私達のアイデンティティー(独自性)を活かし、もう一度考えてみましょうよ♪
人がどんなに背伸びをしても、その本質は永久不変のものなのですから・・・。
※少なくとも今現在は!ですけどね(笑))


 


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