21松平子爵家(旧上田藩主)

旧松平伊賀守御蔵品入札 大正8年6月30日 東京美術倶楽部

 旧信州上田藩主の松平家は、三河時代以来徳川家に仕えた藤井松平家の一族で、江戸時代中期の忠周、幕末の忠固の2人の老中を輩出した。小大名ながら、優れた美術品等のコレクションを有していた。
 大正8年の入札では、「片輪車蒔絵螺鈿手箱」(現、東京国立博物館)が249,000円、狩野元信筆「三聖吸酸・枇杷栗鼠・栗鳥図」が72,000円、尾形光琳「夏草図」屏風(現、根津美術館)が52,600円など、高額落札品が相次ぎ、総売上高が510,000円を超えた。
 しかし、同家は、大正元年12月13日に「某華族御蔵器入札」として、すでに所蔵品の売立を行なっており、これが2度目の売立であった。この大正元年の入札の際には、伝李安忠筆「鶉図」、「寸松庵色紙」などの名品が出品されている。いずれも10,000円に至らない落札価格であったが、当時としては、高額な落札価格であった。
 なお、高橋箒庵は、この大正元年の入札の理由について、当時の当主松平忠正が、朝鮮の鉱山事業経営者に対する保障による100,000円余の支払いのためとしている。また、家の名誉のため内々での処分をというのが荷主の希望であったが、美術商山澄力蔵が,入札による売却の利を説いたとしている(『近世道具移動史』)。
 いずれにせよ、同家の2度の売立は、経済的苦境からの脱却を意図したものであると思われる。