52田村市郎

本入札 昭和4年3月16日 大阪美術倶楽部
田村家所蔵品入札 昭和10年12月3日 大阪美術倶楽部

 田村市郎は、藤田財閥創始者藤田伝三郎の兄久原庄三郎の長男で、日立の創業者である久原房之助の実兄にあたる。自身は、初め海運業に入り田村汽船を設立したが、下関にその漁業部を設置、のちに、共同漁業、日本水産へと発展させた。高橋箒庵『近世道具移動史』は、実父の影響で美術品のコレクションを始めたと伝えているが、もちろん叔父の藤田伝三郎ら藤田一族が、近代における最大級の日本・東洋美術コレクターであったことも影響したことであろう。
 2度にわたる売立の理由は不明である。昭和4年の売立では、金融恐慌の影響によるものである可能性もあるが、同年12月には、共同漁業の本拠地を下関から戸畑に移転している。また、昭和9年には、南氷洋捕鯨に初出漁している。2度の入札が行われた時期は、共同漁業の社業の発展期にあたり、そのための資金獲得を意図したものであるかもしれない。いずれにせよ、今後、さらなる検証が必要である。
 『移動史』によると、昭和4年の売立では、田村家出入りの美術商春海商店の三尾邦三が多くの札元を集め、宣伝に努めたことで、総売上額1,050,000円を記録することができたという。最高落札額は、「小川茶入」の53,900円であった。なお、『移動史』には、「東京の某大家が同じく旧蔵を処分して新規買入れの資金を得んとする意向と相一致し」との一節があり、田村家以外のコレクションが、この入札の出品作品に含まれているものと思われる。
 昭和10年の売立では、江戸絵画各流派の作品が数多く出品された。