9高橋是清
高橋男爵家所蔵品入札 大正6年10月26日 東京美術倶楽部
高橋家蔵品入札 昭和3年3月5日 東京美術倶楽部
明治・大正・昭和の財政家として名高い高橋是清は、明治期から日本絵画のすぐれたコレクションを有していたことが知られるが、これは、是清の生家が、江戸時代以来続く狩野派の絵師であり、特に実父川村庄右衛門守房が、江戸城本丸屏風係を務めたことなどに由来すると思われる。
大正6年の入札は、大正2年に初めて大蔵大臣に就任し、立憲政友会に入党して以降、政界の枢要の地位にあった是清の政治資金調達のために実施されたものか。「入札三尊」の狭間に行なわれたものであり、当時の記録では、あまり大きく取り上げられてはいないが、「地獄草子」(現、奈良国立博物館)など良質な出品作品が含まれている。
この落札では、禅月大師「羅漢図」(現、宮内庁)が不落札になるなど、予想落札額より低い約510,000円の総落札額であった。このことについて、高橋箒庵は、「畢竟自から道具を購買する力なき博物館の連中などを顧問として、第三位くらいの道具屋より買入れたる品物なれば、比較的高価に仕入れたるに拘らず、之を売却するに当りて好結果を呈する能はざるは固より其所なり」(『万象録』大正6年10月27日条)と酷評している。
しかし、これは、大量の名物茶道具を含む大入札が相前後する時期にあって、購入者の関心が、茶道関係の作品に向きがちであったことによるものと解するのが妥当であろう。また、箒庵自身の関心が、鑑賞用の作品に、あまり向いていなかったことも要因と思われる。「新古書画、玉類、朝鮮掘出雲鶴器物、仏画若くは屏風の類に大幅物多けれども、本来男(高橋是清)は茶人に非ざるが為め大広間用の品物のみにて好事家の目を惹く者なく」という見方をしている(『万象録』10月24日条)。
昭和3年の入札は、是清の嗣子是賢が催したものであるが、一部には、是清の所蔵品も含まれていたという(『中外商業新報』昭和3年3月6日号)。