60松本枩蔵
双軒庵美術集成図録 昭和8年6月26日 大阪美術倶楽部
続双軒庵美術集成図録 昭和8年10月11日 東京美術倶楽部
双軒庵目録 昭和9年1月22日 東京美術倶楽部
松本枩蔵は、大阪・北九州を中心に、西日本で活躍した財界人である。九州電気軌道の北九州、福岡間の路線建設計画の推進や電力事業への参入などで同社の経営を主導したが、昭和5年、同社と九州水力の合併計画が進行する中で、枩蔵による同社手形の不正振出しという背任事件が発覚、翌6年、この事件が公表されると、私財提供による弁済の方針が決定された。所蔵する美術品等は、同社に移され、昭和8年以降、売立による売却が進められた。
枩蔵の義父は、明治期の大阪で百三十銀行を中核に、日本紡績等の紡績、南海電鉄等の鉄道のほか、各種事業を展開した松本重太郎である。重太郎は、明治期の大阪において、質・量ともに優れた日本美術のコレクションを形成していた。しかし、明治37年、当時の不況の中で、百三十銀行の融資の不良債権化や、自重太郎身の関連企業への同行からの不正融資が発覚し、同行が破綻に追い込まれたことで、その責任をとって、コレクション等の私財を提供、実業界から引退した。
枩蔵は、義父重太郎が散逸させたコレクションを再び松本家に戻すべく、実業界で重きをなすに従い、美術品の蒐集にも力を注いだが、今度は、自らのコレクションを手放すこととなったのである。なお、「双軒」は重太郎の雅号である。
枩蔵のコレクションは、大正・昭和初期の数多くの入札会等を通じて形成されたもので、日本・東洋美術の各分野を網羅するものであるが、文人画、特に田能村竹田やその関係者でコレクションの充実ぶりが知られていた。枩蔵は、これらのコレクションに関して、『双軒庵鑑賞』、『竹田先生画譜』などの豪華画集を発行している。
第1回の入札会では、大正7年の京極家の売立に出品された仁清作「色絵藤花文茶壺」(現、MOA美術館)が189,000円、大正8年の郷家の売立に出品された芸阿弥筆「観瀑図」(現、根津美術館)が169,800円、昭和2年の神戸家の売立に出品された田能村竹田筆「亦復一楽帖」(現、寧楽美術館)が110,000円など、高額落札が相次ぎ、総落札額2,680,000円を超えた。
第2回の入札会では、古筆手鑑「冬木帖」が179,300円、池大雅・与謝蕪村筆「十便十宜図帖」(現、川端康成記念会)が93,890円などで落札され、総落札額は1,860,000円を超えた。
第3回は、田能村竹田「蓬窓幽興画冊」が34,190円などで落札され、総売上は432,000円を超えた。
なお、3回の入札会に関する売立目録は、美術研究者の外狩素心庵が編集、作品の伝来や解説、釈文などのデータを豊富に盛り込み、美術書としての体裁を整えたものであった。また、第1回の売立目録の冒頭には、枩蔵のあと九州電軌の社長となった三井系財界人太田黒重五郎の序文、太田黒の三井の先輩格の財界人で数寄者としても知られる馬越恭平(馬越は昭和8年4月20日に死去)の入札会紹介状などが配されている。