13近衛公爵家

近衛公爵御蔵器第一回入札 大正7年6月5日 東京美術倶楽部
近衛公爵御蔵器第二回入札 大正7年6月10日 東京美術倶楽部

 いうまでもなく、近衛公爵家は、五摂家筆頭の公家の名門である。前年度の「入札三尊」以来のブームに乗って、入札会を実施した。世話人は住友財閥の鈴木馬左也が務めた。
 出品されたのは、近衛家熙の茶道関係の作品が主体。また、売立目録の各作品の紹介の中には、近衛家熙の侍医山科道安が、家熙の言行を記録した『槐記』中の、各出品作品に関連する記事を併記している。
 高橋箒庵が、「格別の名品ありとも思はれざるに、其価格は予想以上にして」(『万象記』大正7年6月6日条)、というように、第1回だけで1,200,000円を超える売り上げとなった。
 この売立は、近衛家歴代の美術作品・文化財の管理を、従来の京都から東京に移すに際し、不用品の処分を行なうことが目的であったとする。しかし、当主の近衛文麿は、大正5年に貴族院議員となって政界進出することとなり、その政治資金が必要であったことや、入札品の売上を株式などの金融資産とすることで、近衛家の財政体質の強化を図ることを目的としたものであろう。斎藤利助『書画骨董回顧五十年』は、「この時近衛家では一百二十万円の入札売上げがあったが、某実業家の差金でその金をもって全部郵船株を買い」とこの間の消息を伝えている。