48川崎男爵家

神戸川崎男爵家蔵品入札目録 昭和3年10月11日 大阪美術倶楽部
長春閣蔵品展覧図録(神戸川崎男爵家蔵品入札目録) 昭和11年3月12日 大阪美術倶楽部

 川崎正蔵は、薩摩出身の財界人。明治維新直後から、新政府に参画した松方正義ら薩摩系の政治家と深くかかわり海運、貿易などの事業で成功すると、神戸に川崎造船所を設立して、船舶、汽車などの重機械生産で巨万の富を得、神戸川崎財閥を築きあげた。
 その後、川崎造船所の経営は、婿として迎えた松方正義の息子松方幸次郎に委ねられたが、松方幸次郎は、松方コレクションと呼ばれる膨大な西洋絵画(その一部が、国立西洋美術館創設時の基礎的なコレクションとなった)、浮世絵(その多くが、現在東京国立博物館に収蔵されている)のコレクションを築き上げたことは、よく知られている。
 川崎のコレクションは、明治初期から形成が始まったもので、例えば、伝顔輝筆「寒山拾得図」(現、東京国立博物館)は、明治初期に西本願寺から流出した作品であるが、山中商会の山中吉郎兵衛を経て、入手したものといわれている。その後も、そのコレクション形成には、山中吉郎兵衛が大きく関わっていた。
 昭和3年の第1回の売立も、金融恐慌に端を発するもので、川崎造船所の資金繰りに支障をきたしたためである。この売立では、伝牧谿筆「半身達磨図」が、123,390円、文成筆「放牛図」(現、京都国立博物館)が43,930円、「桜下蹴鞠図屏風」(現、根津美術館)が83,990円などの落札価格となり、総売上高2,050,000円余を記録した。
 昭和11年の2回目の入札は、東京での下見会の直前、2.26事件が発生したため中止されたというが、三山進『名品流転』(読売新聞社 昭和50年)よると、同年3月8日から10日に神戸川崎邸において下見、同12日大阪美術倶楽部で入札を実施したという説もある。いずれにしても、詳細は不明である。
 なお、松方コレクションの西洋絵画のうち日本国内に持ち込まれていたものも、この時期入札などを通じて、その多くが売却された。現在国立西洋美術館に収蔵されている松方コレクションの作品は、第二次大戦後までフランスにとどまっていたものが、サンフランシスコ講和会議後、フランス政府から日本政府に返還されたものである。
 松方コレクション形成の動機に、幸次郎の実父松方正義、岳父川崎正蔵の日本・東洋美術コレクションがあった可能性については、今後一層考究されるべきであろう。特に、川崎正蔵が神戸の自邸に長春閣という私設美術館を設けていたことや、幸次郎の西洋美術コレクションの目的が、東京に共楽美術館建設を意図したものであったことは、経済人が、社会貢献としての美術品の蒐集と公開、その具体的な形としての美術館建設という構想の、日本における最も早い時期の例といえるかも知れない。