57川田小一郎

方外庵御所蔵器入札 昭和8年2月20日 東京美術倶楽部

 川田小一郎は、土佐出身の財界人で、草創期の三菱において、岩崎弥太郎・弥之助の補佐役として活躍し、三菱財閥発展の基礎を築いた。その後、日本銀行3代総裁に就任、中央銀行としての日銀の体制確立に貢献した。明治29年の小一郎の急逝の後、その嗣子川田龍吉は、明治39年、北海道に渡り、函館船渠の専務に就任、退職後は、北海道に川田農場を設立し、北海道における大規模農業発展のさきがけとなった。男爵イモは、龍吉がイギリスから輸入し、日本に根付かせたジャガイモとして著名である。
 目録には、入札会の札元による挨拶文が付属しており、出品作品が小一郎の蒐集品であること、作品の死蔵による損傷、劣化を畏れての売立である旨を述べている。具体的な売立の理由は不明である。なお、この挨拶文にある通り、出品作品が小一郎のコレクションであったとすると、小一郎は、明治期に最も早く日本美術蒐集を行なった財界人の一人ということになる。
 出品作品の中では、「碪青磁袴腰香爐」が21,300円、円山応挙筆「猛虎水飲」が7,200円などで落札されたが、特に注目されるのは、円山応挙筆「藤花図」屏風(現、根津美術館)が出品されていることであろう(落札価格3,790円)。総落札額は約156,000円であった。