38井上馨

井上侯爵家御所蔵品入札 大正14年11月9日 東京美術倶楽部

 長州出身で外務大臣、大蔵大臣などを歴任した井上馨は、近代における日本・東洋美術蒐集の先覚者としても知られる。その蒐集は、明治初頭から始まり、晩年に至るまでに、巨大なコレクションを形成した。その背景にあったのは、財界とのつながりで、西郷隆盛から「三井の大番頭」と称されたこと、汚職事件で政府を離れていた時期に益田孝(鈍翁)と創業した先収会社が三井物産に発展したことなど、明治初期から三井財閥とは緊密な結びつきにあったほか、日本郵船や同郷の藤田伝三郎が創業した藤田組などとも深い関係があった。
 政府高官としての権威と、財力を用いて蒐集したコレクションは、明治期に成立した中では、最大規模の個人コレクションであるといえる。
 馨の跡は、甥で養子の井上勝之助が継いだが、主に外交官として活躍した勝之助は、日本・東洋美術に関する趣味が少なく、また関東大震災で、宝蔵の屋根が損傷するなどの事態も発生したため、蔵品の一部処分に踏み切ることとなった。
 入札に際しては、馬越恭平、益田孝、団琢磨、野崎公太、高橋箒庵が世話人となり、井上と縁のある財界人が、挙って入札に参加したため、総落札額は、ほぼ2,460,000円という高額になった。
 「御所丸茶碗 銘夕陽』(現、藤田美術館)が109,500円、「古筆手鑑 藻塩草」(現、京都国立博物館)が89,910円、伝馬遠筆「寒江独釣図」(現、東京国立博物館)が68,000円、「虚空蔵菩薩像」(現、東京国立博物館)が53,910円など優品の高額落札が目白押しの売立であった。