58樋爪譲太郎
石川県樋爪家蔵品入札 昭和8年5月17日 東京美術倶楽部
樋爪譲太郎は、石川県の実業家。明治期より、樋爪汽船、北洋汽船などの海運会社を設立、経営し、能登七尾を拠点に、海運事業者として活躍、さらに能登電気の社長などを務め、北陸経済に重きをなした。
この売立で目をひくのは、楊文ソウ「江山河亭図」(現、遠山記念館)と池大雅「洞庭赤壁図巻」(現、ニューオータニ美術館)で、中国、日本の文人画の作品の中でも、古くからその存在が知られてきた2作品である。樋爪の美術品等のコレクションの動機は不明であるが、文人画には一定の関心を寄せて蒐集活動を行なったのではないかと思われる。また、売立の理由についても不明である。
「江山河亭図」は、江戸後期の文人画家山本梅逸が苦心の金策の末、もとの所有者から購入したもので、これを閲覧するために友人の頼山陽等は、服装を整えて絵を携えてくる梅逸を出迎えた。梅逸がこのことに礼を述べると、山陽は、梅逸にではなく絵とその筆者である楊文ソウのために礼を尽くしたのだと答えたという。文人・煎茶趣味の世界では、幕末から近代にかけて良く知られた逸話である。入札会で、この作品は、15,000円の入札があったが、親引となった(『書画骨董雑誌』昭和8年7月号)。
「洞庭赤壁図巻」は、池大雅が、その支援者である大坂の豪商西村孟清のために製作したもので、孟清は、自らも所属していた漢詩結社混沌社の友人たちに、この作品を示し、多くの詩文を作らせた。また、桑山玉洲や田能村竹田等は、その画論集の中で、この作品の優秀さについて紹介している。この作品は3,411円で落札された。
なお、総落札額は113,000円であった。