23郷純造

郷男爵家御蔵品入札 大正8年11月24日 東京美術倶楽部

 郷純造は、美濃国(岐阜県)出身。幕末期には、幕府側で外交、貿易問題に対応し、明治以降は、維新政府の大蔵官僚として活躍した。4男の昌作が、三菱創業者岩崎弥太郎の養子となり、娘幸子が川崎銀行の2代川崎八右衛門に嫁ぐなど、財界との縁戚関係も多い。
 この入札は、純造の遺品整理として、嗣子の郷誠之助が実施したものである。世話人は、またもや高橋箒庵が務めた。大正7年11月25日、川崎銀行を訪ねた箒庵に、頭取の川崎八右衛門が、義兄弟の郷誠之助の書画売却に関する世話人を依頼、同27日、川崎銀行で川崎、郷、箒庵が面談。入札による処分を決定している(『万象録』)。ただ、第一次大戦終戦後の不況の時期であることに配慮して、当初、大正8年の早い時期に予定されていた入札は、誠之助の申し入れによって、同年後半に延期された(『万象録』大正8年2月3日・6日条)。『東都茶会記』大正8年11月14日付「五三楼愛蔵」では、郷純造の人となり、ならびにこの入札の中で特に注目された芸阿弥筆「観瀑図」(現、根津美術館)などを紹介している。
 郷誠之助は、日本運送、日本メリヤス、入山炭鉱、王子製紙などの社長や役員を歴任し、東京株式取引所の理事長も務めた財界人である。
 売立では「観瀑図」が318,000円の突出した落札価格となり、総売上は1,001,000円を超えた。