62ウィリアム・ビゲロー

故ビゲロー氏遺愛品浮世絵及四條派画幅入札 昭和8年12月11日 東京美術倶楽部

 ビゲローは、アメリカボストン出身の医師で、明治14年に来日し、同時期に来日したアーネスト・フェノロサらともに日本美術の研究に当たるとともに、多くの作品を収集した。そのコレクションの多くが、ボストン美術館に寄付されていることは、よく知られている。また、日本において仏教に帰依し、その遺骨は、三井寺法明院のフェノロサの墓と隣り合って埋葬された。
 この入札会は、明治期から海外への日本・東洋美術の紹介、輸出に関わってきた山中商会の主導により実施された。すなわち、売立目録には、山中商会社長の山中定次郎による挨拶文があり、ビゲローの遺族から、遺族の許に遺されたコレクションの処分に関する相談を受けた山中が、日本での入札会の開催を提案し、実施したものであるという。山中がこの入札会を通じて、海外に流出した日本美術の里帰りを実現することを意図したのは、その前年に、発覚した「吉備大臣入唐絵巻」(大正12年の小浜酒井家の売立で同家から流出。現、ボストン美術館)流出事件の影響で、「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」が同年4月施行されたことなど、日本美術の海外流出についての社会の眼が厳しい状況を反映したものといえよう。山中商会は、「吉備大臣入唐絵巻」の旧所有者である戸田商店とボストン美術館の仲介役を、この取引で演じていた。
 出品作品には、肉筆浮世絵、円山四条派などの近世絵画の秀作が多く、総売上282,000円余りを記録した。