6秋元子爵家(旧館林藩主)
秋元子爵家御蔵器入札 大正6年5月14日 東京美術倶楽部
秋元子爵家は、旧上州館林藩主。小藩の譜代大名であったが、喬知、凉朝が江戸幕府の老中を歴任したことで、贈答等が多かったためか、数多くの優れた美術作品を所蔵していた。また、明治期の当主秋元興朝は、絵巻物の研究者としても知られていた。
明治期、興朝は、貴族院における政治活動に多額の資金を必要とし、「寝覚物語絵巻」(現、大和文華館)、「紫式部日記絵巻」(現、藤田美術館)などを抵当に、横浜の実業家で数寄者としても知られる原富太郎(号三渓)等から借財しており、これらの清算と同家財政の安定化のための基金とするため、売却を企図した。しかし、大正5年の華族世襲財産法の改正までは、華族の世襲財産に組み入れられていた美術作品等の売却処分は、禁止されていた。この改正直後から、同家の作品の入札による処分が計画され、3月には、三井系財界人の朝吹英二、高橋箒庵が世話人と決定。4月23日に興朝は急死するが、入札は予定通り実施された。この入札に関して、箒庵は『東都茶会記』大正6年4月6日付「名門名品」で、秋元家のコレクションとその入札を紹介している
この入札会での総売上は、1,478,000円。先の第1回仙台伊達家入札の総売り上げが1,000,000円余であったという記録を抜き、入札会隆盛時代の到来を決定づけた。以降、これに続く、赤星家の3回の入札と、佐竹侯爵家の入札をあわせて、高橋箒庵は、「入札三尊」と称した(『近世移動史』)。