7赤星弥之助

赤星家所蔵品入札 大正6年6月11日 美術倶楽部
第二回赤星家所蔵品入札 大正6年10月8日 美術倶楽部
第三回赤星家所蔵品入札 大正6年10月15日 美術倶楽部

 赤星弥之助は、薩摩出身の政商。明治10年代には、同郷の五代友厚らと神戸港の桟橋建設に乗り出し、国際港神戸発展の基礎を築いた。また、明治海軍の創設に関わった西郷従道・樺山資紀らと縁戚にあり、イギリスで建造された日清戦争時の軍艦に設置する大砲に特許権を設けたことで、多額の特許料を得たという。この他、貸金業なども含めて、莫大な資産を形成し、これを以て、「道具界の鰐魚」(高橋箒庵『近世移動史』)と称されるような旺盛なコレクション活動に乗り出したのである。
 そのコレクション内容は、梁楷筆「雪景山水図」(現、東京国立博物館)、「那智滝図」(現、根津美術館)などの絵画作品のほか、約20点に及ぶ名物茶入などの茶道具ほか、質・量ともに極めて優れたものであったが、弥之助の没後、嗣子の赤星鉄馬は、古美術品に興味を持たず、その売却の世話人を縁戚の樺山愛輔を通じて団琢磨に依頼、団は、さらに高橋箒庵を推し、両人を世話人として、入札が実施された。この入札に関して、箒庵は『東都茶会記』大正6年5月27日付「名器と持ち主」で、赤星弥之助コレクションとその入札を紹介している。
 高橋箒庵によると、そのコレクション活動は、明治24年頃から没年の37年までの10数年という短期間であるにも拘らず、3回の売立は、総額5,100,000円以上にのぼる高額の落札額を記録した。1回の落札額では、昭和15年の鴻池家で売立が、明治末から昭和前期までの入札会史上最高であるが、物価変動や作品の質・量を考慮すると、この時期における最大規模の売立であったといえる。