『第7期航空生徒の歴史』
T 第7期生徒基本課程[第2航空教育隊 第6教育中隊]
昭和36年4月6日(木)〜昭和36年7月1日(土)
2 教育隊生活
(1) 基地開庁記念日;4月9日(日)
入隊式の翌9日(日)、熊谷基地開庁記念行事が催された。
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「記念式典」 | |
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「記念式典へのフライバイ」(初めて飛んでいるジェット戦闘機を見た。) | |
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中道、松野、龍、黒田、谷口(忠) | 谷口(忠)、黒田、松野、龍、中道 |
(2) 初給与;4月19日(水)
この日初めての給与が支給された。(本俸7100円、手取り、5474円)
(3) 引率外出;4月22日(土)
2.5tトラックにて熊谷駅付近まで行き、熊谷駅とその周辺地理の概要を知るために各班単位で歩き回り、同じトラックで帰隊した。
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初外出時の二見、宮下、稲葉、田代(熊谷駅or籠原駅) |
(4) 埼玉県立浦和高等学校通信制入学式;4月25日(火)
航空生徒として7期生から初めて高等学校卒業資格を取得できる制度が始まり、その為に航空生徒としての課業と並行して埼玉県立浦和高等学校通信制の生徒として学ぶために入学した。
(5) 10Km持久走;4月27日(木)
10Km持久走(当時は未だ持久走と称されており、持続走と呼ばれるようになったのは卒業後数年の後である。)が実施され、早い遅いは有ったものの全員が完走した。(2013.8.4、山下班長から訊き取り。)
コースは、次の2ルートが言われているが、自分は@を採りたい。
@ 基地正門を出て右折し、桜並木の下を三ヶ尻小学校まで、小学校の所で更に右折して観音山の下を通って田圃道に出て走ったが、折り返したのか、基地外周を1周して基地内に帰った。
A 基地内をぐるぐる回った。
(6) 半日行軍;5月19日(金)
昼食を終えた午後に、基地の南方約3Kmに在る観音山を目的地とし、歩きルートを工夫して計約10Kmの行軍を実施した。
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(7) 1日行軍;5月31日(水)
基地の西北西方向約6Kmの所にある仙元山を目的地とし、往路は深谷方面へと深く迂回してのルートを歩き、仙元山での昼食後の復路は人見から花園町近くまでの迂回ルートを採り、往復で約30Kmの行軍を実施した。
(8) 体験射撃;6月8日(木)
陸上自衛隊相馬ヶ原演習場内の実弾射場にてカービン銃による体験射撃(零点規正3発×2回、本射15発?)が実施された。
管理要員等の先発隊はトラックで先行し、本隊は籠原駅から群馬総社駅の間を国鉄電車で移動した。
(9) 日光旅行;6月11日(日)
教育隊生活の半ばも過ぎ、厚生活動の一環として恒例となっていた日光東照宮や中禅寺湖・華厳の滝見学のバス旅行が実施された。
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「日光東照宮・陽明門前にて」 |
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大石、田代、河合3尉、瀬川1尉、近藤(登) 藤井 宮下、楠木、正木 |
宮武、岩崎、野口(隆) 小畑 |
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小澤、近藤(登)、藤井、宮武 | 山口、橋向、外園、岩淵、永松、山元 正岡、南、近藤(雅)、大石 |
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増地1士、稲葉、田代、二見、河合3尉 | 柴田、小澤、宮武 |
(10) 1泊2日行軍;6月12日(月)〜13日(火)
熊谷基地から南南東へ約26Kmの所に在る吉見百穴傍の河原に幕営し、往路復路で約60Kmの一泊二日行軍を実施した。
(下の写真は、第3小隊の一部)
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前向き 松野・菊池・鈴木・谷口・黒田・川内・平川・有沢 後向き 大須賀・板井・?・? |
後列 平川・原田(稔)・龍・谷口 中列 大矢・川内・黒田 前列 鈴木・豊田士長・松野・有沢 |
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後列 鈴木・谷口・有沢・松野・川内 前列 龍・黒田・原田(稔)・平川 |
平川・大須賀・黒田・松野・龍 |
(11) 総合検閲;6月30日(金)
第7期基本課程間の習熟度等を評価するために、総合検閲が実施された。
総合評価、教練・体育等の個別評価は、いずれも良好以上であった。(と、思う。)
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「教育隊司令の視閲」 |
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「各個教練」 |
(12) 第7期生徒基本課程修了;7月1日(月)
4月6日に入隊した115名は、約3ヶ月間の課程の訓練等を経て、110名が第7期基本課程を修了し、第2術科学校分校・生徒隊に即日異動した。
教育隊の間に退職した者は次の5名。
北川勉(岐阜県)、澤田テツロウ(東京)、種村ミツノリ(北海道)、土佐忍(島根)、南靖生(??)
(13) 教育隊3ヶ月間の行事等(まとめ)
第7期自衛隊生徒の教育隊 | ||||
昭和 | 月 | 日 | 曜日 | 項 目 |
36 | 4 | 6 | 木 | 第2航空教育隊(熊谷)第6中隊入隊(114名) |
8 | 土 | 第7期生徒基本課程入隊・任命式 | ||
22 | 土 | 引率外出 | ||
27 | 木 | 初の10Km駆け足 | ||
5 | 17 | 水 | 教育隊長講話 | |
19 | 金 | 半日行軍(仙元山) | ||
31 | 水 | 一日行軍 | ||
6 | 8 | 木 | 体験射撃(相馬ヶ原) | |
11 | 日 | 日光旅行 | ||
12 | 月 | 1泊2日行軍(吉見百穴、〜13日まで) | ||
30 | 金 | 総合検閲 | ||
7 | 1 | 土 | 第7期生徒基本課程修了(110名) | |
第2術科学校分校所属 |
※ 教育隊生活におけるトリビア
1.給与
(1) 入隊時の給与
1期生から4期生までは日給月給で、自分たちのような月給になったのは5期生から。
期 | 1期生 | 2期生 | 3期生 | 4期生 | 5期生 | 6期生 | 7期生 | 8期生 |
給与額 | 日給 180円 |
日給 180円 |
日給 190円 |
日給 190円 |
月給 5920円 |
月給 6300円 |
月給 7100円 |
月給 8000円 |
上の表から、7期の入隊時は7100円、ベースアップで8000円になったと考えられる。
(2) 給与の本俸額と手取額
世間を知らなかった少年として、本俸額がそのまま手に入ると思っていたが、色々な名目で差し引かれていき、手取額が目減りする事を初めて学んだ初給料日だった。
(3) 生徒の間の給与額
年 月 日 | 階 級 | 給 与 額 | 備 考 |
36. 4. 6 | 3等空士 | 7,100円 | |
36.10. 1 | 3等空士 | 8,000円 | 給与額改定 |
37.10. 1 | 2等空士 | 10,100円 | 同時給与額改定 |
38. 4. 1 | 1等空士 | 11,000円 | |
38.10. 1 | 1等空士 | 12,300円 | 給与額改定 |
39. 4. 1 | 空 士 長 | 13,500円 | |
39. 9. 1 | 空 士 長 | 15,200円 | 給与額改定 |
40. 3.23 | 3等空曹 | 17,600円 |
2.卒業時の高等学校卒業資格
6期生までこのような制度は無かったので、先輩達は部隊実習時や卒業赴任後に近傍の定時制高校へ通って高校卒業資格を取得していた。
また、大検を受験して大学(第2部や通信制)に通った。
3.変な用語
(1) 『しんかんじゅんに並べ』と言われて、背の高い方から順に並んだ。
『しんかん』とは、多分【身幹】と書き、身体の事ですが、小中学校では背の低い順から並んできたのに、自衛隊では背の高い(=身体の大きい)順に並ぶんだと知った。(身幹は広辞苑に記載あり。)
(2) 『ぶつかんば』
【物干場】と書き、世間一般では「ものほしば」と言ってます。(広辞苑に物干場の漢字はあるが、この読みは無い。)
(3) 『えんかん』
【煙缶】と書き、煙草の吸い殻入れの事です。(広辞苑に煙缶の漢字も、この読みも無い。)
(4) 『ひかがみ』
【膕】と書き、膝のうしろの窪んでいる所を言うが、基本教練時にがに股の者が班長・班付きから「ヒカガミをくっつけろ!」と叱咤されていた。
4.補給係の永井士長から「おまえ達は不作だ!」と言われた事。
どういう状況だったかは定かではないが、多分彼から見て集合動作がモタモタしていたからだろうか、いきなり「おまえ達は不作だ。」と7期は出来が悪いとあからさまに言われたが、何故そう言われたのかは分からなかったし、分かろうともしなかったが、不愉快に思った事だけは間違いない。
しかし、7期生の応募倍率が二桁ギリギリの数値で、1期生から6期生までの先輩期の応募倍率を下回っていた事を、また或る検査値もそれに連動していた事を知った時に、何故だったのかが分かった気がしたが、この数字だけを単純に比較しても本質的な意味はなしていないと思われる。
1期生 | 2期生 | 3期生 | 4期生 | 5期生 | 6期生 | 7期生 | 8期生 | 9期生 | 10期生 | 11期生 | |
昭和30年 | 昭和31年 | 昭和32年 | 昭和33年 | 昭和34年 | 昭和35年 | 昭和36年 | 昭和37年 | 昭和38年 | 昭和39年 | 昭和40年 | |
採用予定数[a] | 50 | 100 | 60 | 60 | 60 | 100 | 100 | 100 | 100 | 100 | 100 |
入隊者数[b] | 60 | 68 | 50 | 68 | 73 | 92 | 114 | 91 | 106 | 91 | 84 |
応募者数[c] | 1,750 | 1,454 | 1,576 | 1,357 | 1,280 | 1,401 | 1,014 | 1,185 | 2,063 | 2,062 | 1,764 |
応募可能人数[d] | 845,302 | 950,727 | 1,015,503 | 962,009 | 1,000,942 | 897,409 | 712,603 | 995,360 | 1,271,978 | 1,237,368 | 1,204,018 |
応募倍率(c/a) | 35.0 | 14.5 | 26.3 | 22.6 | 21.3 | 14.0 | 10.1 | 11.9 | 20.6 | 20.6 | 17.6 |
採用倍率(c/b) | 29.2 | 21.4 | 31.5 | 20.0 | 17.5 | 15.2 | 8.9 | 13.0 | 19.5 | 22.7 | 21.0 |
応募率(c/d) | 0.20703 | 0.15294 | 0.15519 | 0.14106 | 0.12788 | 0.15612 | 0.14230 | 0.11905 | 0.16219 | 0.16664 | 0.14651 |
高校進学率 | 55.5 | 55.0 | 54.3 | 56.2 | 57.5 | 59.6 | 63.8 | 65.5 | 68.4 | 70.6 | 71.7 |
実質経済成長率 | 7.5 | 7.8 | 6.2 | 9.4 | 13.1 | 11.9 | 9.6 | 8.8 | 11.2 | 5.7 |
応募倍率は各期の採用予定人数を応募人数で除した数値で、それは各期採用時の社会状況、経済状況、高校進学率、応募可能人数(単純に当該年度の中学校新卒者・男子の数)等が採用予定人数の変化と複雑に絡み合って出てきた数値であり、一概にそれが本質的に比較出来る数値とは言えず、前記の各ファクターを考慮して初めて真の比較になると考えられる。
7期生の応募倍率は、約10年後に5期連続で一桁が出現するまではワースト1であった。
5.各検査値
(1)知能検査:知的能力を測定する検査で、結果は知能指数ないしは知能偏差値で表される。
点 数 | 〜65 | 64〜60 | 59〜55 | 54〜46 | 45〜41 | 40〜36 | 35〜 |
評 価 | 優 | 上 | 普通上 | 普通 | 普通下 | 下 | 劣 |
人 数 | 6 | 42 | 47 | 19 | 0 | 0 | 0 |
(2)クレペリン検査:一桁の数字を連続的に加算する作業を行わせ、その結果によって職能適正や性格を診断する。
評 価 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 |
人 数 | 1 | 7 | 59 | 44 | 3 |
6.体力測定
級 | 特 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 外 |
入 隊 時 (人) | 0 | 0 | 2 | 9 | 31 | 66 | 0 | 4 |
卒 業 時 (人) | 0 | 0 | 6 | 28 | 25 | 47 | 0 | 1 |
7.相馬ヶ原射場とジラード事件
相馬ヶ原での体験射撃時に、本射撃間の基幹隊員から聞いた話で、自分たちが中学生(?)時代に社会を騒がせたジラード事件の現場がこの射場であり、ジラード伍長が結婚式を挙げたのが基地内のチャペル(チャペル講堂と称し武道場として使用中。)である事を知った。