◎旧米沢街道 桧原峠◎
(鷹ノ巣山林道)
裏磐梯がある北塩原村には、会津街道(旧米沢街道)とよばれる米沢と会津を結ぶ街道 が通っていた。なぜ過去形かというと、本道である桧原峠は現在ほとんど人が通ることなく、 廃道化しており登山系の技術と知識がある人でないと進入不可能だからだ。 廃れた原因は、1881年に栗子道路(万世大路)が開通。これに伴い、会津街道の必要性 が失なわれ衰退の道を辿ったと言われている。 [初代 栗子胎道 福島側 杭口] 大量運輸、大量移動が望まれる時代となって馬では越せない急峻な桧原峠は、存在が急速に 廃れたのだろう。最初は裏磐梯の噴火と桧原宿の壊滅が街道衰退の原因かと推察したが、 噴火自体は1888年で万世大路開通後の話なので、やはり衰退は社会構造の変化と新たな 交通路の開発が原因だろう。道智道の衰退と同等の理由だ。 土木技術が発達した現在は自動車が通れる林道が開削されたが、すっかり知る人ぞ知る 林道となってしまった。新規に開削された道が鷹ノ巣山林道という。 |
平成23年11月現在
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全長・・・7.2km
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米沢街道の歴史は古く、平安時代(800年前後)にはすでに開通していたと伝えれれている。 古来より磐梯修験や羽黒修験などの山岳信仰の通路としての役目も果たしてきた。 土木県令 三島通庸が開削した「大峠」が有名だが、もともともの「大峠」は桧原峠につけられ ていた名称のようだ。発達の直接の理由は、会津と米沢をつなぐ直線ルートだったからの模様。 三島通庸がこの「大峠」を開削しなかったのは、旧国道121号沿いに鉱山があったからとの事。 千年以上にわたって交通の要だった会津街道は今、静かに役目を終えようとしている。 |