| 高校における総合的な学習の時間 川北 裕之(書きかけです) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1 総合的な学習の時間とは 1−1創設の経緯 1−2学習指導要領では 1−3 2 総合的な学習の歴史 3 2つの授業観 4 HOW TO 総合学習
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高校の総合学習の理念は立派なものですが、現場ではうまく浸透していないようです。その原因を整理して考えてみたいと思います。 原因の一つは、高校教師自体がどのように学習させていいのかわからないということがあると思います。後で詳しく書きますが、今までの知識内容を教えて込んでいた教科学習と総合的な学習は基本的にその考え方や方法が違います。また、大学や大学院での研究論文とも違います。アメリカのDeweyなどの進歩主義の考え方に求めるのもいいと思いますが、多くの教育実践から学ぶことを通して解決していきたいと思います。 二つ目の原因は条件整備なしに始められたことです。1クラス40人という高校生を狭い教室につめこんでいる状況が、総合的な学習を行うのに適していないと思います。導入に当たって、予算や人員が増えたという話はあまり聞きません。実際に実践してみると、場所、コンピュータ室が1つしかない、一人の教員で、20から30人にも生徒の研究を見ることは不可能に近いことがわかります。教師や学校だけではどうにもならない問題が噴出してきます。これは総合の問題よりも、日本の教育の問題なのです。このことはあまり語られていません。 原因の3つ目は、10年前の中教審で答申が出されたことと、教育を取り巻く状況が変わってしまったことです。「学力低下論」の台頭で、「ゆとりの教育」路線が見直され、その象徴でもある「総合的な学習の時間」も見直しを迫られる状況になっています。しかし国際的な学力比較のPISA調査で求めているものと、「総合的な学習の時間」で求めているものの方向はあまり違いがないように思います。「学力低下論」の影響で、詰め込みを強要する受験勉強をさせる風潮が広がってきたようです。不安をあおり、学校、特に公立高校に対する不信感を植えつけているように感じます。 総合的な学習の問題は、これ自体の問題のみならず、教育全体の問題に通じていると思います。この問題を少し交通整理して考えてみることが必要だと思います。PISA学力と総合の目指すもの方法に違いがあまりないことを考えると、むしろこの時間の縮小や撤廃でなく、総合的な学習の考え方や進め方を、実践者である高校の教師が学び共有していくことが大切です。それと同時に、国や地方公共団体は、人やお金を出し、総合的な学習ができる環境を整えることです。 このページでは、高校における総合的な学習の最初の問題を、少しでも軽減できるために書きます。この10年、学んだり実践したことをもとにしています。一般的なことを言うのは難しいのは承知しているつもりですが、それでも今の状況を何とかしないと思っているからです。2番目のことは、学校だけその解決はなんとも難しいと思います。総合にかかる労力や時間、設備上の問題を学校関係者以外にもわかってほしいので、できるだけ具体的にしていたいと思います。 まずは、基本的なことをおえておきます
1 総合的な学習の時間とは1−1 創設の経緯 「総合的な学習の時間」の創設を提唱したのは、平成8年(1996年)第15期中央教育審議会第1次答申の 第2部「学校・家庭・地域社会の役割と連携のあり方」第1章「これからの学校教育の在り方」の「(5)横断的・総合的な学習の推進」においてである。 「生きる力」が全人的な力であると踏まえると、横断的・総合的な指導を一層推進するための手立てとして、教育内容を厳選することで時間を生み出し、一定のまとまった時間を設けることを提案した。この時間を「総合的な学習の時間」と称することにしたのである。 資料全文 第15期中央教育審議会第1次答申を受けて、教育課程審議会「教育課程の基準の改善の基本方針について(中間まとめ)」の「2 各学校段階などを通じる教育課程の編成及び授業時数等の枠組み」に 「総合的な学習の時間」(仮称)」の項目を設けた。そこでは、 ねらいとして 1 自ら課題を見つけ、よりよく課題を解決する資質や能力の育成を重視し、 2 自らの興味・関心に基づき、ゆとりをもって課題解決や探究活動に主体的、創造的に取り組む態度の育成を図る。 知識内容を教え込むのではく、学び方やものの考え方の習得を重視して、主体的に学習することを推進する。
1−2 高等学校学習指導要領 平成11年(1999年)3月29日告示、平成15年(2003年)12月26日に一部改正
第4款 総合的な学習の時間
文部科学省の新旧対照表
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