お寺の宗旨と縁起
●お寺の宗旨
名称 日蓮宗
宗祖 日蓮大聖人
開宗 建長5年4月28日
本尊 久遠の本師釈迦牟尼仏
題目 南無妙法蓮華経
教義 日蓮宗はお釈迦様の説かれた最高の教えである法華経をよりどころとする宗団です。
この法華経を身をもって読まれ布教をせられた日蓮大聖人を宗祖と仰いでおります。
本宗の教義は法華経の魂をお題目にこめられた宗祖の教えに導かれて私たちが信行に
はげみ教えを弘めることによってやがて世界の平和と人類の幸福ひいては個人のしあわせ
につながる事を確信できる教えであります。
経典 妙法蓮華経(法華経)
●お寺の縁起
1602年加藤清正公母堂の三回忌に菩提を弔うために建立されたお寺です。
古来よりの清正公御母君聖林院殿大護神御縁起
古今の名将武士の典型にして、法華色読の行者である加藤清正の御母君聖林院殿は、尾張国愛知郡中村の里に在住の鍛冶屋清兵衛の次女として生まれ、御名を伊都と呼ばれた。祖先は小島氏歴歴の武士であったが、中葉衰えて今に至ったという。伊都は天資妍麗且つ貞淑の譽れ有り、後に美濃の浪士加藤弾正清忠公に嫁ぐ。伊都は父母及び姑に仕えて至孝、且つ夫に仕えて貞順、琴悉相和にもかかわらず、三年子に恵まれなかったので、北辰妙見尊星に、五七日の祈願をかけ永禄五年六月二十四日清正公御誕生される。伊都は法華の教えを信じること大変篤く、懐妊中も特に六波羅密を修行して、その行高僧も及ぶところなしと言う。父母に別れ夫に後れ、心細き身となって、縁者五郎助の家に奇遇して労苦の傍ら清正公の教育に深厚の注意を払い亡き夫の遺言を守って、天晴れ家門を興す程の武士となさんと心掛け、常に家の系図など言い聞かせ、志孝節義の道を解き諭したところ、清正公の英質は益々発揮され、一旦秀吉公の値遇を蒙るや、漸次武功をつみ、累進して遂に肥後半国二十五万石の領主となる。畢竟伊都の養育内助の功あづかりて大成るものにして清正公肥後御入国の時までの二十七年の春や秋、何の怪我過ちもなく過ごすことが出来たのもこれ偏に御母君伊都の力にして、信仰の賜であると言える。伊都は清正公の部下たる将士を愛すること我が子の如く篤く之を遇したので、士皆其の恩に感じて清正公への忠勤をも益々励んだと言う。かくて清正公肥後御入国の事となるや、御母君はここに日頃の念願を遂げられ夫の遺志を成就したので、遂に剃髪して法華三昧の身となられる。戒師京都本圀寺日槇僧正法号を授与して聖林院殿天室日光と尊称さる。その後清正公が朝鮮出兵より凱旋帰国してより三年、肥後全国五十四万石の領主となり、従四位下侍従肥後守となられた年の慶長五年五月十八日、御年六十八歳にして入寂される。我が至孝なる清正公は、悲嘆やらん方なく花岡山の麓、井芹川の辺、高麗門横手町妙永寺に恭しく葬り給える。越えて慶長七年御母君三回忌の砌、本妙寺開山日真上人清正公の御意を承り、御廟所に草庵を結び、ここに閑居して朝夕御霊像へ法味を捧げ、香華を備えられる。ここに於いて加藤家より八十八石を附して、香飯の浄資に供し給う。妙永寺と本妙寺両山一基の称これより始まれりと言う。堂内安置の御像は、慶長十一年五月御母君七回忌の折、清正公は恭しく京都本国寺に於いて、僧一千二百人を招き、法華経一万部読誦された御霊像で、御廟所に現存する五輪の塔は、御母君の墓標にして清正公朝鮮出兵より凱旋の折、「高麗門」と共にもたらした朝鮮石をもちいている。此より先、清正公は、朝鮮出兵の戦起こるや、天涯万里遠く海外に出て永く御母君に会うことが出来ないので、御自ら一刀三禮母君の御像を彫刻して、陣中に安置し、朝夕之れに仕えたと言う。清正公の至孝亦以て尋常ではなかった。この生御影の御霊像、明治三十九年六月二十五日、図らずも盗難に遭つたが、不思議の霊験を顕わして同年七月六日自ら帰り給う。人呼んで「活仏の霊像」と言い、古来より子育ての神と仰がれ霊験殊に新たなり。歯は国音葉に通じて、枝葉繁茂子孫繁栄といえる。殊に子育ての意味を現す所より、歯の神と信じ奉りて、御利生を蒙るもの大変多しと言う。
撫子の花に嵐を吹かせじと法に誓いて育て守らん
偉なる哉生きては大悲の母となりて英雄を生み、世の大乱を治め給い、死しては大慈の神となりて、一切衆生を救い給う。母子不二神仏一体の妙法にして、共に本地垂迹の神と敬われる。大正六年二月熊本県教育会は、御母君を女子教育の「模範婦人」と仰ぎ、大正十二年五月十七日久邇宮大宮殿下御二方、良子女王殿下信子女王殿下本妙寺へ御成の砌、大宮殿下より殊に清正公母堂に関し御下問の光栄を荷ない、大正十五年五月十八日熊本県より清正公母堂廟所に対して史蹟として指定される。大正十五年十一月一日大聖直授本化祈祷根本道場大本山法華経寺百二十世祈祷修法の正伝師伊藤日修権大僧正、加行道場遠寿院二十九世副伝師布施日健僧正は特に神號を追贈して「聖林院殿大護神」と尊称し奉る。実にや末法の暗を照らし給う神徳の程こそ尊けれ。
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