さらぎ徳二  理説の仏教





目次

序 章 哲学の誕生と原始仏教 ……………………………………5

第一章 原始仏教の本質 ……………………………………………17

第二章 インド思想と原始仏教 ……………………………………31

第三章 人間ブッダの実在性 ………………………………………45

第四章 原始仏教と大乗仏教 ………………………………………59

一、根本仏教と原始仏教

二、原始経典

三、分別の無常と無分別の空 

四、パーリ五部=部派仏教聖典説 

第五章 大乗仏教の基本性格…………………………………………75

   一、二大乗仏教の思想と成立根拠 

   二、部派仏教と大乗仏教徒の誕生 

三、大乗経典と宗教哲学

結  章 理説の解体と大乗の死滅 ………………………………………91

   一、理説と無神論の崩壊 

   二、大乗仏の神格化と自己疎外 

   三、ヒンドゥーに沈んだ大乗 

   四、密教の死はインド仏教の死 

資料:・年代表・インド全図………………………………………………………105

   (中村 元『インド思想史』 岩波書店 一九六八年刊 より転載)

後 記 

 この論文は、親しい友人の娘さんが念願の大学に合格した折りに「合格祝いに何か論文を一本」と乞われ、執筆したものです。故に発表を目的とした論文ではなかったのですが、親しき友人が、私の老友たちにも送付したので、心なき老友たちから次のような質問をあびせられました。

  「お前は、なぜ、原始仏教を勉強しようと思ったのか。どこに、論文を書かせるだけの魅力があるのか。お前は、原始仏教という哲学仏教で涅槃や悟りが得られると思っているのか。原始仏教が人類の大半の心を把えたならば、階級社会そして資本主義社会の諸悪の根元が根底から克服かつ変革できると思っているのか等々」と。

 私は若い親しい友人を前に、老友に対して次のように答えました。

 私は唯物論者であり、マルクス哲学とマルクス経済学の理論に立脚する実践家で何度か死線を越えて来ましたので、私自身は原始仏教で涅槃に至ろうとも大乗仏教の「空の思想」で悟ろうとも思ってはいません。また現代の大方の人間も悟れはしまいと思っています。しかし、ブッダと十大弟子は無常無我の境地に達していると確信していると。

 私が原始仏教にひかれたのは、ブッダ教団が神を創らず、神に頼らず、霊魂を認めず、死後の世界を否定し、理説に徹し、理性で業報輪廻を断ち、無神論の立場を貫き通して、自己責任で自己を形成し、カースト制社会からの自己解放の道(自燈明・法燈明)歩み続けたからです。つまり、ひとたび論理的に森羅万象を貫く諸行無常の理法が解明され、諸法無我という涅槃への道が開示されるや、此の理念を実現するために彼等のひとりひとりが自己責任で自己の生涯をかけて貫徹した真摯な態度に胸を打たれたからなのです。それは、思想に対する真摯な姿勢であり、確信した理念は命に代えても実現せずにはおかないという実践への情熱です。この思想と実践に対する真摯さは、今日の共産主義者が忘れかけていたのではないか?と心に突き刺さったからなのです。

 勿論、ブッダ教団は世を捨てた哲人集団でありますから、現実社会のカースト制度に階級闘争を挑む戦闘集団ではありません。しかし、武市健人が『非情の哲学』(福村出版)で、〈これほど徹底した宗教があったろうか〉と感嘆したように、私も原始仏教ほど無神論と理説に徹底して実践した哲学的宗教はなかったと思ってます。古代ギリシャのピタゴラスの神秘的教団と比較してみて下さい。

 私が根本仏教に惹かれて勉強したのも、これほどまでに人間煩悩の深さを考え抜き、社会の中で生きる人間の金銭と地位と名望に対する執着と弱さを掘り下げた理説と無神論の哲人が紀元前五〜四世紀に現実にいたという驚きからでした。

 老友に問われるまでもなく、哲人ブッダの道が全ての凡夫衆生の心をつかみ実践化され得るなどとは考えていません。もし、全人類が出家し、社会を捨て、性交を絶ったら、一挙に社会的生産は停止し、人口は激減し、托鉢にこたえる者も居なくなり、人類は滅亡します。

 根本仏教の存立矛盾は、ちょっと頭を働かせば誰にでもすぐ分かることです。しかし、その矛盾を突いて利口ぶっているような現代人の心から何が生まれるでしょう。「自己利害の追求と自己防衛のための知恵と配慮」しか残らないでしょう。

  「万人が万人を敵とする」(トーマス・ホップス)利己主義と利己主義の闘いが生み出した相互承認としての市民社会(アダム・スミス)では、自己利害を相手に認めさせるために相手利害を承認する(ヘーゲル)関係性への肯定的従属が要求されています。

 この関係性(利害の承認)の中では、大乗仏教の「利他主義」さえ忘れ去られ、今日的利他は相手のニーズ(有効需要)に応えて己の利益を獲得する概念へと変貌しています。こうして、現代人の心の中から、理念を求め理念社会を追究する情熱も、哲学する意欲も喪失していったのだと思う、と反論しました。

 では、大乗仏教は煩悩の肯定と欲望の承認によって滅亡したというが、マルクス主義は欲望を肯定するのか、と老友は切り返してきました。

 私はこう反論しました。大乗仏教は祈願の対象(如来群)をもつ宗教そのものじやないか、ブッダ在世中の根本仏教とも仏滅後の直弟子時代を含む原始仏教とも異質なんだよ。大乗仏教は、涅槃を追求するというブッダの思想目的を引きずりながら、涅槃の獲得に絶対不可欠な煩悩の克服を否定し、欲望を肯定したために、この敵対矛盾に引き裂かれて自滅の道を辿ったと言ったじやないか。私自身は、涅槃を求める道を選択しはしないが、もし、涅槃を獲得しようと本気で考え実践するのなら、ブッダの道しかないと思いますよと。

 若きマルクスは『経済学・哲学草稿』で、人間の本質を労働として把えてます。つまり人間は生命活動として労働すること、人間労働は肉体労働と精神労働の統一であり、精神労働が感性と知識とイデオロギーを生み出すと述べています。そして『ドイツ・イデオロギー』ではエンゲルスと共同で、人間の歴史的行為の本質を、@物質的生活そのものの生産、A新しい欲望の生産、B人間の生産(性交と出産と育児)C協働による生産力の増進、という四つの契機(後の展開の起動因)として把えています。欲望を認めているのです。

 マルクスは、続けて、原始共同体の協働が、生産手段を所有する搾取階級と生産手段を奪われた被搾取階級が対立する階級社会への分裂で引き裂かれ、生産力と生産関係の矛盾となり、資本主義社会で激突すると言います。そして、人類の精神労働の成果は支配的イデオロギーとして搾取階級に占有かつ利用され、人類は生・老・病・死の四苦から幻影の希望としての宗教を生みます。

 だから、マルクスは人間の欲望を野放しにせよと言うのではなく、社会主義革命によって生産手段の共同所有をとりもどした働く人々が、自分達の頭脳で生産と消費を管理し、自分達仲間の協働労働(自己労働)を相互信頼の下で共同管理(自己管理)し、平等な分配を実現できる社会を創ろうと言っているのです。

 永い階級社会の歴史過程で、貴族や地主や資本家に押さえられ使われ、小さなエゴイズムに閉じこめられてきた働く者の一人一人が、生産手段の所有者、生産と消費の管理運営者、協働の自己管理者へと自己変革するのは大変なことです。この変革は数世紀に亘る事業です。ソ連も中国も、この人間変革の困難さに負け、人民の欲望を刺激する道に走り自滅したのです。

 だから私は、人間の欲望は消し去ることの出来ない本能的かつ必然的産物であることは認めないわけにはいかないが、欲望に頼っていては、生産力主義しか生まれず、これでは社会主義的共同体の心は創れない。ブッダがえぐり出した人間の煩悩との闘いの問題をマルクス主義も現実社会の地平の上で正面からとらえ返す必要がある、と言っているのです。

 心なき老友は逆襲します。「お前、歳は幾つだ。哲学で何か答えは出たのか。紀元前五世紀のブッダの理説の仏教だって、二十世紀のマルクス主義哲学だって、人間の煩悩と欲望の前に破れたんじやないのか」と。

 筆者は悲しさと怒りでこう答えました。

 お前は、西洋哲学史から何を学んだのだ。確かに哲学で答えは出ないよ。だけど、何を考えるべきか、どう考えなければならないのか・・・と、人間は考え続けてきたんだよ。哲学の永遠の課題は考え抜き続けることだ。答えは出ないかも知れない。しかし、思索を止めることもできない。これが人間の背負った宿命じやないのか。

 「人はパンのみにて生きるものにあらず」と誰かさんも言っているじやないか。「人間は考える葦だ」といったのはパスカルだったな。この場合の「考える内容」は、理念であって、出世と金儲けの手段ではないよ。マルクスも人間の未来のために二十世紀を考えたんだよ。

 もう君達には、紀元前五世紀に理念理法を理説で追求し一切捨離の実践に生涯をかけて死んでいった哲人ブッダと直弟子たちの正直で嘘の無い真摯な生き方に胸をふるわせる心は無いのだと。

 こうして私と老友は訣別しましたが、これまで黙って私と老友の討論を聞いていた若き友人は、原始仏教の突き出した人間の煩悩と煩悩との闘いの問題、とりわけ生・老・病・死の四苦の問題は、決して二千五百年前の黴くさい課題ではなく、現代社会主義の人間変革と思想改造の直面する今日的課題であり、ブッダが出家によって捨離した四苦の問題こそは、現実社会(生産力主義の極地に到達して乱熟し腐朽した現代資本主義)の地平の上で我々が取り組まなければならぬ課題であることがわかった。「今日の討論を娘に語る」と顔を紅潮させて言ってくれました。

 

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