■早起きは三文の徳?■

 


「仕方ねぇな、起こしてくる」



仕方のない奴だ。
今日はみんなで出かけると、昨日あれだけ張り切っていたのに寝坊とは。
拓磨は、全くの親切心から珠紀を起こしにいってやろうと立ち上がった。
宇賀谷邸の居間にはすでに全員が……しっかりと遼までが揃っているのだから、早いに越したことはないだろう。
いつもなら美鶴がすぐに立ち上がるところなのだが、彼女は今。拓磨たちが昼に口にする弁当作りにかかりっきりであった。
と、なれば。
この役目。誰にも譲るわけにはいかなかった。
立ち上がった拓磨の隣で、真弘と遼が立ち上がりそうな気配だったので拓磨はやや急ぎ足で居間を出た。
拓磨は知っている。珠紀に会えば憎まれ口ばかり叩く真弘が実はかなり珠紀を気に入っているということを。遼に至っては、いい匂いだと初対面で珠紀に抱きついた辺りからしてエロ全開である。危険だ、危険すぎる。自分がやる分には問題ないが、他人はとにかく問題だと拓磨は思っていた。更に、他の守護者だって油断ならない。純粋そうな慎司だって男だ。あいつは思い返せば、最初から珠紀が綺麗だと抜かしていた。祐一はどうやら珠紀を妹のように可愛がっているようだが、それだっていつなんどき恋愛に発展するかわからない。しかも、彼は美形で年上の男だ。拓磨が逆立ちしても叶わない程、祐一は万事に対して落ち着いている。いや、あまり周囲に関心がないだけかもしれなかったが。そして、卓。落ち着いた大人の男というポジションを手に入れているらしい彼は、珠紀に対して祐一にみせる将棋勝負での大人げなさなど微塵も見せない。つまり、だ。
この居間にいる連中は、一切油断ならないということになる。




(なんで、俺。あいつの恋人のはずなのにこうまで周りを気にしなければ、ならねぇんだ?)

我ながら、女々しいというか。悲しいというか。
自分に自信がないというよりも、仲間として育ち共に闘ってきた奴らだからこそ心穏やかではいられないのだ。
なにせ、いい奴らだった。もし、彼らの視線の先に珠紀ではなく別の女がいたとすればその女に全力でお勧めできるほどにいい男たちである。
だから、譲れない。
まして、寝顔だ。可愛いに決まっているというか、見たい。
そして、誰にも見せたくない。



拓磨はズンズンと廊下を進んでいって、珠紀の部屋の前に立った。
やや息が荒くなっているのは仕方ない。
なぜならば、拓磨は御年頃の男の子なのだ。緊張するなというほうが無理である。



そういえば。
珠紀がこの家にやって来たばかりの頃。珠紀の部屋で彼女の鞄を枕にして昼寝をしていて絶句されたことがあった。
あの時は、本当になんとも思ってなかったのにな。と、拓磨は苦笑いを浮かべた。
珠紀にしたらとんでもない話だったろう。
彼女が戻って来てこの村で新たな暮らしを始めてからようやく聞いたところによると、元の学校は女子高だったらしい。
女しかいない学校とはどのようなものなのか拓磨にはわからないけれど、同じ年の男の子に不慣れなことだけはよくわかる。
拓磨が最初怖かったと言われた時は流石にショックだったが、確かに拓磨は女子に優しいわけではなくどちらかというとぶっきらぼう。ただし、普通に興味は昔からあったけど……とにかく安心できる性質ではない。
(それにしては、ずいぶんと噛みついてくれたな)
思いだして、小さく笑う。
本当に、元気な女だった。その元気さに、彼女の本質に気づくのが遅れてしまったが今は、ちゃんと知ってる。
だからこそ、今日の寝坊の理由もなんとなくわかった。




普段早起きの珠紀が寝坊。
理由なんて簡単だ。楽しみにし過ぎて寝れなかったんだろう。
全く仕方のない奴。拓磨はそんな珠紀を愛しく思いながら、スッ。と、襖をあけた。
部屋の前に着いた時の、ドキドキ感なんてとっくになくなっていたので、心から親切心で拓磨は声をかけた。




「珠紀、起きろ」
「んー……?」
布団を頭からすっぽりと被って、中で丸くなっていたらしい珠紀がモゾモゾと動いた。返事をしたあたり、半分覚醒しているようだ。
だが、すぐに小さく唸った後、寝息が聴こえた。
「……ったく。朝だって言ってんだろ」
ため息を吐きながら、拓磨は珠紀の寝床に近寄った。布団と枕の間から珠紀の髪の毛が見えている。
「んー……あと少し」
「駄目だ。もう皆、居間に集まってる」
少し揺らしてみるが、起きる気配はない。それどころか布団を引っ張り更に奥に潜ろうとする。
これは、駄目だ。
拓磨はもう一度ため息を吐いてから、布団に手をかけた。
「起きろって!」
ぐい。と、布団を引っ剥がした。
これで外の冷たい空気が刺激となって流石におきるだろうと本当に純粋な気持ちであった。
布団を後ろに投げて、拓磨はこれで起きるだろうと振り返って。
文字通り凍りついた。


「さむ……、ん……。た、くま? おはようっていうかもう朝?! ちょっとヤダなんで、拓磨がココに?!」

ようやく覚醒した珠紀が慌てて起き上り、寝乱れた髪の毛を手櫛で直し、恥ずかしそうに拓磨を見上げているが拓磨はそれどころではなかった。
あまりの光景に目がこれでもかというほど大きく開かれ、完全に布団を握りしめたまま硬直していたその顔が一気に赤く染まった。
頭の中は真っ白だ。いや、これはこれで大変美味しいんだがこのままではいかん。と、焦った気持ちだけが先走りして拓磨は一気にまくしたてるように言った。
「お、お前。あ、いや。俺は、その。別にそんなつもりじゃ」
あたふたとする拓磨に珠紀が首を傾げた。
「やだなぁ、わかってるって。拓磨が何か変なことするなんて思ってないよ。遼じゃあるまいし……拓磨?」
どうしたの。と、近寄ってくるので、拓磨はたじろいだ。近寄ってくるな。いや、それはそれで美味しいが問題がありすぎる。
まだ、早い。絶対に早い。しかもこんな朝に、皆が居間に集まっている時にこれはマズイ。
慌てまくった拓磨はまだ掴んでいた布団を珠紀に向けて思いっきりぶつけた。
珠紀が変な声をあげて後ろに沈んだ。
「いやいやいや。お前、こ、これ被ってろ。そう、うんそうだ。それがいい。ふ、布団を剥いだのは悪かった、謝る。悪気はない。絶対に、ない」
俺は潔白だ。と、心の中で叫びながら慌てて拓磨は珠紀の部屋を出た。
ぴしゃり。と、襖を閉めて赤い顔のまま深呼吸を繰り返した。
「拓磨? ねぇちょっと何? 私そんなにひどい寝癖なの?」
ドンドンと襖を叩き開けようとする珠紀に対して、拓磨はさせじと襖を押さえつけた。
あの格好で部屋の外に出してたまるか、眼福だったのは間違ないが、他の野郎に見られるではないか。
「待て。早まるな。お前、今どういう状況かわかってるか?! し、下を……見ろ!」
「下? ……え。いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
一瞬の沈黙のあとの大絶叫で、珠紀の部屋の方へ他の守護者たちが駆けつけてきた。




「い、今は入れるわけにはいかないっす!」
「なんだと? 拓磨、そこを通せ」
「駄目っす!! 絶対に!!」
「拓磨の馬鹿ァァァァ。お嫁にいけない!」
「俺は無実だ! 嫁ならもらってやる心配するな」
「何、お前はどさくさにまぎれて爆弾発言してんだよ、拓磨の分際で」
部屋の中でパニックになっている珠紀とその部屋の入り口を死守する拓磨。何事かと詰め寄る真弘を筆頭とした仲間たち。
やや収集がつかなくなったとき、その人は現れた。



「鬼崎さん、珠紀様のお部屋に何のご用ですか?」



冷え冷えとした声にその場の空気が一瞬にして凍りついた。拓磨は珠紀の部屋の襖を背にしたまま、その声を発した主の方を見た。
そして、見たことを後悔した。
いつになく爽やかな笑顔の彼女は、背中に修羅を背負っていた。拓磨以外の他の全員が彼女に道を譲ったのは言うまでもない。
「あ、いや。起きてくるの遅いなぁって」
何も悪いことなどしていないはずなのに、拓磨は目を逸らした。
「殿方が、若い女性のお部屋にですか?」
もう本当ににっこりと美鶴は笑った。もともと作りが美しい彼女の顔が今日ほど怖いと思ったことはない。
「悪気があってじゃ」
「居間にどうぞ」
「あのな、」
「居間へ」
「……はい」
何かとても逆らっては命が取られるような空気だったので、黙って拓磨は美鶴にその場を譲り同じように、追い返された他の面々と一緒に居間へ戻った。




その後、恥ずかしそうに入って来た珠紀は一度も拓磨と目を合わせてくれない。
(怒ってる、か。やっぱりな)
だが、悪気はなかった。本当にただ起こしにいっただけだった。誰だってあんな寝像だとは思わないではないか。
パジャマは着ていた。ただし、上半身のボタンは殆ど外れて見えてはいけない個所が大胆にさらけ出されていた。珠紀の平たい腹だとか柔らかそうな胸元とか。更に半分以上脱げている状態の下半身。下着は薄い桃色だった。しっかり見た。
朝からいいものを見た。本当にいいものをみさせていただきました。あの時はとにかくパニックでどうにかして見なかったことにしなければと思ったけれど、よく考えたら得をした。
だが、今の状態は嬉しくない。
拓磨は先頭を歩く珠紀の後頭部を眺めた。彼女は、明らかに空元気とわかる様子で朝の出来事を引きずっているように見えた。
「謝った方がいいよな……」
俺、悪くないんだけど。とは思うのだが。拓磨はどうしようと思いながら最後尾をのろのろ歩いていると、珠紀が拓磨の隣に走ってやって来た。
「……」
「……」
気まずい空気が流れる。何か言わなければと思うのだが、咄嗟に言葉が出てこない。
こういうとき、自分の不器用さが呪わしかった。そのことに少し苛々し始めた時、珠紀が口を開いた。
「あの、さ。拓磨。あ、朝のことだけど……ごめん」
「い、いや。俺の方こそ、すまない」
互いに顔を見るのが気恥ずかしくて目を逸らしたまま。しばらく歩いて、二人してそっと互いの顔を盗み見ようとした。
目が、合った。
拓磨が思いだすのは、朝の珠紀の寝乱れた姿。だから、一気に顔が赤く染まった。
珠紀もつられたのか赤くなる。拓磨は何か息苦しさを感じてぶっきらぼうに言った。
「お前、少し寝像を何とかしろ」
「そうします……あ、あのね。その……み、見た?」
小さな声で言われたそれに、拓磨は耳まで真っ赤になった。
これでは見たと言っているようなものだ。
「あー……、その。寝像を直せ。とにかく、直せ」
恥ずかしくて答えられなくて、拓磨はずんずんと先へと歩いてゆく。その後ろを珠紀が小走りに追いかけてくる。
ちらっと背後を窺えば、珠紀は何やらとても必死だ。このままでは、小石に足を取られて転びかねない。
ここで、気がついた。彼女は怒っているわけではなく恥ずかしかったのだと。
拓磨の口元が綻んだ。

「おい、足元。気をつけろよ」
「う、うん」
手を伸ばしてやれば、嬉しそうに手を伸ばしてくる。その手を握りしめて、拓磨は引き寄せた。
「俺以外には、見せるなよ」
小さな声で言ってやると、珠紀が絶句したあと真っ赤になって俯いた。






 
その後。周りにいるはずの守護者にからかわれるとよいです、拓磨君。
美鶴ちゃん。何故だかとても黒く見えるのは私だけでしょうか。
漆黒の楔にてアリアが主人公を起こしにいった場面で寝像が悪いという設定がありましてそこからネタをいただきました。
タイトルは、ことわざより。「徳」の部分が「得」だったりもするらしいですが拓磨はたぶん得をしたということで(笑)
ここまで読んでくださってありがとうございました。


サイト掲載 2012.04.04.