■はじまり■





新撰組隊士が逃げ出した・・・・・・。


永倉がその事を知ったのは、夜の巡察を終えて屯所に戻った直後のことであった。永倉に事件を知らせた原田と共に慌てて皆がいるはずの広間へ向かえば、これ以上ないというぐらいの皺を眉間に刻んだ副長の土方と、困り果てたというような近藤の姿があった。沖田と斎藤の姿はない。山南は何かを案じるような顔つきだし、井上の顔には悲しみがよぎっていた。藤堂は・・・と普段から共にいることの多い幹部の姿を探すと、部屋のすみに座り込んでいる。永倉は自分を出迎えた原田に目配せをしてから藤堂のそばに腰をおろした。
藤堂に事情を尋ねようと、したところで、沖田と斎藤が入ってきた。彼らにはこれといった変化はない。


「で、あのガキはどうしてる?」
「あの子、大物ですよ。縛り上げられている癖に、寝ちゃってるんだから」
どこか楽しそうに言う言葉に土方は目を見開いた。
「縛り上げただぁ?なんでそんなことしやがったんだ!」
「なんでそこを怒るかなぁ。普通のことでしょう?逃げられて、白髪の化け物が新選組の羽織着てました。なんて、言いふらされたりしたら困りますからね」
「・・・ちっ」
土方は舌打ちをした。ガキが縛り上げられている。なぜ新撰組のやつらの事件に子供がでてくるのか。永倉の困惑が顔に現れていたのだろう山南が口を挟んだ。
「土方君、落ち着いてください。あのような子供を縛り上げるのは確かにかわいそうではありますが・・・沖田君の判断は正しいですよ。それよりも先に話すことがあるはずです。ほら、今まで巡察に出ていて事情がわからない永倉君が困っているではありませんか」
「い、いや。俺は別に・・・!! あ、やっぱ! 理由知りたい・・・かなぁ・・・ははは」
いきなりふられていい澱むと、山南が笑顔になったので慌てて訂正する。今日の彼はとりわけご機嫌斜めらしい。


「わかったよ・・・。永倉は今さっき聞いたばっかりだろうが、新選組が夜の巡察を口実に隊服持ち出して脱走しやがった。隊務を持ち出している以上、大っぴらには探索できねぇ。自主的見廻りとして俺と総司、斎藤の三人でやつらを探しに出た」
「まさか見つからなかったんじゃねぇよな?」
「みつけたさ。処理もした。だが・・・・」
土方はいい澱む。
「浪士に襲われ、逃げ出したところを彼らとであい、危うく殺されちゃうところを斎藤君に助けられたとかいう、運の無い子どもを保護したんですよ」
沖田が後を引き取った。
「・・・! みられたのか?」
あれを。永倉の中ではあの存在を認めていない…人でありながら人ではない存在を。
「うん、ばっちり」
沈黙が、落ちた。



(なるほど。それじゃあ、そのガキは無罪放免ってわけにゃいかねぇよな)
場合によっては斬るしかない。だが・・・・。永倉は土方をちらりとみた。まっさきに隊の為にガキを斬れといいそうな男が縛り上げられているときいただけで怒るとは。
「土方さん、そのガキ。どうする気だ?」
「まさか斬るとか言うんじゃないだろうね、トシさん。見たところ年端もゆかぬ子どもじゃないか」
原田と井上が口を出す。井上は特に心配そうだ。
「・・・・まだそう決めたわけじゃねぇよ」
苦渋に満ちた顔で土方はいい、近藤と山南と顔を合わせて頷き合う。


土方はともかく明日。子供に何をみたかを尋ねてからだといい出し、斎藤に見張りを命じて解散を告げた。




「助かったのがかえってかわいそうかもな」
藤堂がたいしてかわいそうとも思わない口調で言う。
「だな。だが・・・それにしても」
原田は出て行く土方の背中をみやった。
「どう考えても、土方さんのあの態度は変だよな」
「あぁ」
永倉が頷き黙り込むと藤堂は首を傾げた。
「え? 何が?」
「・・・・平助、あの土方さんが隊の為にならないガキをやけに気にしていると思わねぇか?」
「そうかぁ? 左之さんの考えすぎじゃねぇ?」
「いーや、考えすぎじゃねぇって。縛り上げられているって聞いたときの土方さん見たろ。ありゃ、心外だ。っていう憤りの方だったぜ」
「普通はまっさきに縛り上げるのがあの人だ」
土方が聞いたら怒り出しそうなことをいいながら三人は自室へと向かう。
自室に引き取って、永倉は布団も引かず大の字に寝転んだ。


(だいたいが、俺はあいつらには最初から反対だったんだよ! くそったれ)


内心で毒づいて、そのまま目を閉じた。










(まったくどうしたもんだか)
土方は1人、子供を監禁した部屋にいた。今は、見張りを命じた斎藤も遠ざけてある。
斎藤は気付いただろうか。まぁ、気付いてはいるだろう。縛り上げたと沖田が告げたとき、付き合いの長い人間にしかわからぬ程度にだったが表情が動いた。無意識だろうが不快だったのだろう。
「ただのガキってだけでも困りものなのによ」


女だなんて。


土方は頭をかきながら、縛り上げられている上から布団をかけられ、眠っている少女を見下ろした。沖田は眠ったといったが、きっとあの場で気絶してそのままなのだろう。抱きとめたのは土方だった。疑惑が核心に変わり、目眩がしたのは記憶に新しい。
年の頃は15、6といったぐらいか。こんな小娘があんな夜に1人で道端にいたこと事態ありえない・・・・あるべきではないことが起きてしまっていた。しかも、男装ときたもんだ。
(育ちもよさそうときてやがる)
彼女が所持していた小太刀はかなりの業物だった。値がはることは一目瞭然である。
それ故、浪士に絡まれたのだろう。
(どうするか)
娘に固く口止めをして帰るべき場所に帰してしてやりたいとは思う。思うが、万が一を考えるとやはりそれはできそうにもない。だからといって娘を斬るなどということもできない。いや、したくない。
なぜならば、彼女は女であり明らかなか弱き存在である。二本差しの武士ではない。もっというなら、彼女はただの被害者であった。本来なら守られる存在であって、決してこのような扱いを受けるような子どもではないのだ。
もしこの子どもを斬ってしまったら、武士として以前に、人間として終わる。そう思う。


「お前はなんであんなとこにいやがったんだ」


少女が眉を寄せた。僅かに震えている。うん・・・・と、唸ってからつうっ。と涙を流す。
羅刹に襲われた夢を見ているのか。土方は嘆息する。少女の涙を拭いてやろうと手を伸ばしたとき。
「とうさま・・・行かないで・・・・」
少女の口からこぼれ落ちた。土方はぎくりとした。
(まさか、親を探しに男装して京まで来ちまったとか言わねぇ、よな?)
だとしたら、より不憫だ。だがあんな夜に外にいた理由も男装の理由も簡単につく。もしこれが事実だったとき、どうしたらよいのだ。斬るのは論外だ。軟禁するしかないだろうが、この娘の出地によっては問題が出る。絶対に、農民ではないことは確かだ。どこか武家の香りがしないでもないが、武家の娘にしては物腰が柔らかい気もする。かといって商家の娘にも見えない。だが、たぶん身分は高い。
土方は頭を抱えた。



どうすりゃいいんだよ!




土方の心の叫びに答えてくれる者は誰もいない。










そして日付は変わる。
男装の少女は危なっかしいことに、よりによって逃亡しようとし、土方の苦笑いを誘った。結果から言うと、少女。雪村千鶴は新選組にとって斬るという選択肢はない娘ということが発覚し、その場にいた幹部・・・・少なくても土方、近藤、山南、井上の四人はほっと胸を撫で下ろしたわけである。千鶴を部屋に下がらせたあと、土方は近藤だけがその場に残った。
「おなごの身で京まで・・・。トシ、俺は自分の娘がそんなことをしでかしたら寝込むと思うぞ。しかも、我らのような浪士組に捕まるなど・・・・なんとか守ってやらねばなるまいな」
雪村千鶴の父綱道は幕府お雇いの蘭方医である。新選組とも関わりが深く、今現在行方不明となり探索を行っている最中である。
その娘なのだから、当然庇護対象である。だが、しばらくは。
「もちろんだ。だが、しばらくは屯所で大人しくしてもらうしかねぇよ。近藤さん、あんたもわかってるだろう? 綱道さんはおそらく、娘に何も知らせちゃいねぇ。もし自分の父があんなものを作ってたと知ってみろ、昨日出会ったばかりだがあの様子では何をしでかすかわかったものじゃねぇ。外に出せば、綱道さんが何をしていたかわかっちまうかもしれんし、最近浪士どもの動きも活発だ。あの雪村綱道の娘だからと、拐おうとする輩が出ないとも限らねぇ。だったら、ここで娘を閉じ込めておく方が、安全だ。会津藩にはあれを娘が見てしまっている以上、預けられねぇしな。まずはあの娘には何も知らせず悟らせず、早く綱道さんをみつけ、さっさと江戸に帰す。これだけが最善の方法だ」
「わかってるさ・・・・。だがなぁ、トシ。あのような若い娘を軟禁するなど、どうにもよくない」
近藤が渋い顔をした。
「俺だって好きで言ってるわけじゃぁねぇよ、近藤さん。第一、あの娘にしたってこんな野郎の巣窟に閉じ込められるのは恐怖以外の何者でもねぇだろうよ。かわいそうだが・・・・それよりも」
「それよりも?」
土方は言いにくそうに言葉を切った。
「まさか・・・あいつらに限ってないとは思うが・・・・野郎の中に男装しているとはいえ若い娘だ、わかるだろ?」
「あー・・・・、トシ。実は一番始めに考えて真っ青になった」
二人は同時にため息をついた。


「雪村君には誰か世話役をつけねばならんな」
「その世話役が手を出しちまったら問題だがな」
「原田くんはどうだ?」
「ダメだ、あいつは女に手が出やすい」
面倒見はいいが。年齢差を考えれば安全だと思えるが、万が一という可能性もある。
奴は危険だ。色男だけに油断ならない。
「総司」
「ぜったいに、ダメだ」
どんな拷問だ。
「山南さん」
「名案なようにみえて。ダメだ、山南さんは総長だ。ガキのお守りをさせるわけにゃいかねぇ」
第一、あの黒さに耐えられる強さはないとみた。
「トシ」
「仕事がありすぎて無理だ。つうか、俺も副長だからな」
近藤は唸った。
「斎藤か永倉あたりだろうな。永倉は雪村なら妹ぐらいにしか思わねぇだろう。ただ、あいつに女に対する気遣いができるかってところに問題があるな。どう考えても、無理だろ。斎藤だな…平助はすでに娘を意識しまくりだから論外だ」
「斎藤君か!」
近藤は笑顔で頷く。斎藤君ならば安心だと言う近藤に相槌をうちながら、土方は真面目な部下を思い浮かべながら息を吐いた。





真面目な斎藤。真面目な奴ほど暴走したとき目も当てられない。
(保険のために、小姓に据えとくか)
頭が痛かった。








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