●正しい睡眠の方法 2●

 



「あの、エレン……さん?」



 ジャンは、戸惑いを隠せなかった。ちょっと待ってください。お願いだから、お待ちください。思わず敬語になってしまうぐらい戸惑っていた。
 なぜならば。
「お前、この状況に何の疑問も抱かないのか?」
 今晩も当り前のように、この部屋に押し込まれて、一緒に寝ることを強要されているというのに、せっせと寝る用意をしているこの状況に、だ。これ、ジャンの枕な。俺、左側がいいから、ジャン。右な。とか、何を楽しそうに言っているのだ、この男は。
「え? だって、この部屋。他に寝るところなんてねぇし。昨日だってそうしただろう?」
 流石に床は寒いぞ。この地下室、どこか薄ら寒いんだよな。と、眉を顰めるエレンにジャンは目眩がした。
(違ぇ、問題はそこもあるが、そこじゃねぇよ)
 まず。なんで、ジャンとエレンが一緒に寝なければならないのか。いや、それはエレンが一人で寝れないからなのだが。何が悲しくて、この狭い一人用の簡素なベッドで15にもなる男二人が寄り添いあって寝なければならないのかということだ。せめて、もう一個ベッドを入れられないのか。そう訴えようと思ったら、一言目を口に出す前に。 “何か言いたいことでもあるのか”と、背後から気配もなく近寄られて囁かれたジャンが一言も口にできるわけもなかった。なぜ、エレンの尊敬する……いや、調査兵団の大多数が尊敬しているであろう兵士長は、無駄にいい声で囁いたのだろうか。しかも背後から。そんなことをされても、ジャンがときめきを覚えることも、尊敬の念を深くすることはない。ただ、単純に物凄く怖かった。魔王の囁きだった。そんなこんなで、エレンがもう寝る時間だと地下室へと足を向ける後ろをとぼとぼと歩いた。そう、ジャンに選択肢はなかった。エレンもそれは、同じはずだ。
 確かに、昨晩はエレンに対してとても優しい気持ちになった。だからといって、これからも続くというのは問題だと思うジャンがおかしいのか。いや、おかしくはないはずだ。
(……あいつの額にキスしちまったのは、まぁ勢いだ。ガキみたいに一人で寝ぇれねぇなんて言うから)
 深い意味はない、はずだ。普段煩いぐらい主張が激しい大きなエレンの瞳は閉じられ、なんだかとてもかわいらしく見えたからだ。いつもあんな風であったら、ジャンだって態度を改めてやってもいい。だが、相手はエレンだ。どう転んでもエレンなのだ。
 エレン・イェーガー。15歳男。そう、奴には付いている。訓練兵時代に風呂でしかと見た。じっくりしっかり見たわけではないが、ジャンのジャンと同じものが付いてなければ、風呂が一緒なんてことも、部屋が一緒。なんてこともない。そう、奴は完全なる男だ。


そう、O T O K O 。


(俺は。女が、好きなはずだ!)


 すでに、はずだ。などと、言っている辺りで自分で自信がないことに気が付いて、内心動揺する。おかしい。ほんの一日前まで、信じて疑ってなかったというのに。
(疑うな。疑うんじゃねぇ。違うっていうか、なに悩んでだ。エレンの奴が、15にもなって一人で寝れねぇってだけで、添い寝を命じられただけじゃねぇか。ん? 待てよ。こいつ、さっきから楽しそうなのは、もしかして一人じゃねぇからか?)
 エレンはさっさとベッドに潜り込んだ。そして、チラチラとジャンを窺っている。目が合うと、エレンは慌てて視線を外す。
(なんでお前はそう、期待していますっていうキラキラした目で俺を見るんだ!)
 ベッドに入らないわけにはいかないのはわかっている。なにせ、もう少しで奴が来る。エレンは手枷なしには寝てはいけないことになっているから、それを付けにやってくる。そう、暗がりから背後死角から話しかけることが大好きな上官が。その名はリヴァイ。人類最強の保護者様だ。
(仕方ねぇ)
 ジャンは、渋々ベッドに横になった。隣で早くも寝る気満々なエレンは、早く兵長来ねぇかなと言っている。もう、眠るのが楽しみで仕方がないという様子だった。
(お前は、不眠解消でいいだろうがよ)
 ジャンは不貞寝したかった。だが、エレンが変にウキウキそわそわするから、落ち着かない。
 落ち着かない気分のまま寝転んでいると、そのうちリヴァイがきてエレンに手枷を付けて行く。右手を拘束し、エレンが慣れた様子で左腕を出したというのに、そこを通り過ぎてリヴァイの取った手はジャンの腕。ジャンの手首に手枷がつけられた。


(は?)
 ジャンはぽかんとした。隣でエレンもぽかんとしている。互いの顔を見合って、黙って繋がれた手枷をみて。
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」
「なんで!!」
 と、二人同時に飛び起きた。
「あああああ、あの、兵長?!」
「ちょ、何で俺が繋がれてるんですかっ」
 二人でリヴァイに食ってかかると、リヴァイは不機嫌そうに眉を寄せた。


「煩せぇ。何って。決まってんだろ。添い寝する奴は、連帯責任だ」


 何それ!
 ジャンは凍りついた。同じように、隣でエレンも凍りついている。そんな二人の様子を気にする様子もなく、リヴァイはさぁ仕事が終わったとばかりに出て行こうとする。
「へへへへ兵長! なんで、ジャンと俺が!」
「そうですよ、兵長。なんで、俺とコイツが」
 二人は、慌ててその小さな背中に声をかけた。人類最強は立ち止まる。
「アァ?」
 振り返った顔に二人は、今までこれほどに完璧に揃ったことはないであろうというほどの動きで、毛布を被った。




「何でもありません、兵長。おやすみなさい!」
「何でもありません、兵長。良い夢を!」
 



 コツコツと遠ざかる足音に、二人とも安堵の息を吐いた。
「お、恐ろしかった。俺、また躾けられるかと」
「なんで、あの人。あんなに怖いんだ」
「兵長だからだろ、何わかりきったこと言ってんだ、お前」
 真顔で言うエレンにジャンは呆れた。理由になってない。
「……まぁいい。あの人に逆らうとか巨人の口に頭から突っ込むのとどっちがいいのか悩むレベルだから、いい。それよりも、この手どうしてくれる。お前、考えても見ろよ。夜中に用を足したくなったときの悲劇を」
 ジャンの悲壮感漂う声音に、エレンは首を傾げた。
「大丈夫だぞ。ちゃんと兵長が連れて行ってくれる」
「……え」
「行きてぇなぁって思ってると、兵長が来るんだよ。で、連れて行ってくれる」
 ジャンは、絶句した。この男。15にして介護されているだと。全く、大丈夫ではない。何をしているんだ、人類最強。アンタは、エレンのトイレを嗅ぎつけて夜中だろうと駆け付けるのか。恐ろしい。ミカサより凄いのではないのだろうか。
「だから、ジャンが行きたくなっても平気だって」
(平気じゃねぇよ?!)
 ニコニコと笑いながら言うエレンにジャンは目眩がした。しかも、リヴァイが来てくれるから何があっても大丈夫というエレンだが、問題はそこもあるが、そこではない。
「お前、この手の状態じゃどう考えても俺たち連れションしねぇとならねぇ。大の方なら最悪だ」
「……お前、シモの心配ばっかだな。大丈夫だって、俺。そうは言ってもほとんど起きねぇし。まさか、お前。おね……」
「そんな訳ねぇだろうが! クソ、もう寝るぞ。死に急ぎ。熟睡して早く朝を迎えるぞ」
「何、怒ってんだよ。怒りっぽいなぁ、ジャン。……確かに、明日も訓練と掃除が忙しいだろうから寝ないとな」
「掃除?」
「そう、掃除……」
 くあ。と、エレンは欠伸をひとつ。眠そうに目をゆるゆると閉じてごそごそと身動きをする。眠りやすい体勢を探しているようだ。
「おやすみ……ジャン」
「おい、ちゃんと説明……って、もう寝てんのかよ。早いな、お前」
 すぅすぅと寝息を立てるエレンに、ジャンは軽く舌打ちをした。本当にこの男は、空気が読めなくて困る。
「掃除? なんだそりゃ」
 ジャンは知らなかった。この時、この古城において掃除がどれだけ過酷なものかを。サバイバル演習のほうがまだ楽園だと思える掃除が明日。己の身にも降りかかるなんてことは知りはしなかった。故に、掃除ごときがなんだっていうんだ。と、某人類最強の男が聞けば、恐ろしい形相になるようなことを思いながら、ジャンも寝ようと目を閉じる。
 エレンの寝息を聞きながら、ジャンも眠ろうとした。だが、傍に温もりがあるのがなんだか落ち着かない。昨晩も眠りが浅かった。理由は明白だ。



(こいつがくっつくから!)
 エレンは、気持ちよさそうに眠っている。その体が、だんだんとジャンに擦り寄って来て、あっという間に抱きつかれた。脚を巻き付けて、抱き枕のようにくっつかれて、ジャンは喜んだらいいのか悲しんだらいいのかよくわからない心境に陥っていた。いや、喜んでは駄目だ。それは、おかしい。
 だが、他の人間の体温と、薄い就寝用のシャツ越しに感じるエレンの肌とスリスリと寄せてくるエレンの意外に柔らかい頬だとか、意外といい匂いがする髪の毛だとかを感じて、そわそわと落ち着かない気分になってくる。ジャンもお年頃なのだ。兵士になるべく厳しい訓練をひたすらしてきた身だから、そういったことは未だに経験がなかった。だからだろう、相手が同性のエレンなのに、非常に落ち着かないし、どうしたらいいかわからなかった。もう、とにかく眠れない要素が満載過ぎて、ジャンは叫びたかった。
(リヴァイ兵長。エレンの不眠が解消されても俺が不眠でぶっ倒れます)
 そう、明日言ってみよう。そうしようとジャンは決めた。だが、すぐに脳内のリヴァイがエレンが幸せなら問題はないと却下してくれる。
 ああ、たぶん。これ、間違いなく明日の現実だ。ジャンは絶望した。


「ん」
 エレンがぎゅうう。と、ジャンを抱きしめて、幸せそうににっこりと笑う。ジャンは、遠い目をしたまま、なんとか腕を引っ張り出して一人だけ幸せそうに眠るエレンの鼻をぎゅむ。と、摘まんだ。お前だけ、幸せそうでなんだか腹が立つ。
「んっ」
 不満そうに鼻を鳴らして、唸るエレンの眉は寄っている。少し苦しそうなのが、おかしい。楽しくなって、ジャンは一度、指を離し、再び気持ちよさそうな寝息をたてはじめたエレンの鼻を摘まんだ。
「ンンッ」
 嫌々とエレンは首を横に振る。そうして、止めて。と、いうようにもっとジャンに抱きついてジャンの肩の辺りに顔を埋めて、安心したように息を吐く。
「ちょ、お前な!」
 ふぅ。と、吐いたエレンの息がジャンの首筋を擽った。ぞくぞくっとしたのは、ジャンの気のせいだと信じたい。
「本当に、お前。いい加減にしてくれよ」
 ため息交じりに言った、ジャンの言葉はエレンには届かない。



 手を動かせばジャリ。と、手枷の音がする。その手枷を付けられた手でエレンを引き寄せ、やけくそ気味にジャンは彼を抱きしめた。
(慣れろ。慣れるんだ、俺)
 そう言い聞かせて寝た本日もまた、ジャンの眠りは浅いのであった。






『正しい睡眠の方法』の続編です。


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