●正しい睡眠の方法●

 

 よく、眠れない。
 エレンは、一人地下室のベッドで暗闇の中目を開く。地下室はとても寒い。そして、暗い。窓もないその部屋で、その昔何が行われていた……行われようとしていたかを考えるだけで落ち着かない。
(ヤベェ、本当に目が覚めてきた)
 明日は、三日に一度の徹底的な古城掃除である。エレンの上官であるリヴァイは、どんな些細な埃でも見逃さない。ミカサ並みの執着をもって埃と相対する人物である。少しでも気を抜こうものなら、背後から気配を殺して近寄ってきて、 “今、お前が傍果たすべき最優先事項は何だ ”と、あの常に変わらない表情とテンションで囁かれるのだ。ホラーである。現実は、時として怪談話を上回るのである。本気で怖かった。捧げたはずの心臓が飛び出そうだった。悲鳴をあげなかったのは、悲鳴も出なかっただけである。だからこそ、よく眠って万全の状態で挑まねばならないというのに、眠れない。


 ……実は。
 この状態は、今日突然訪れたというわけではなかった。最初からである。疲れ果てて半ば意識が遠のいている時以外、あまりよく眠れていないのだ。理由は、実に恥ずかしいものであった。
(俺だって、ここに来て初めて知ったんだよ!)
 誰に言い訳をしているのか、エレンは一人で暗闇の中赤面した。一五歳にもなって。とは、思う。わかっている。そんなはずはないとも思った。
 たまたまだ。たまたま神経が立ってしまって目が冴えてしまっているだけだと信じたかった。だが、それが二日、三日と続くといくらエレンでも何か原因があるのではないだろうかと思うようになった。エレンなりに、拘束具をつけたままベッドの上で一生懸命考えた。考えすぎて疲れ果てて眠れてしまったりと、それはそれで眠るにはいい効果をもたらしてくれたが、うんうんと考え続けた結果辿りついた答えにエレンは、凍った。本当にどうすればいいのか。解決策は絶対にないし、あったとしても自ら告白したくはない。恥ずかしい。例え、告白したとしてこの地下室にエレンと共に一晩中いることが許可される人間は少ない。一番可能性があるのは、リヴァイである。あのリヴァイが一晩中、ここに居てあの表情で見守られたら今度は違う意味で寝れない。怖い。助けて。と、いうか兵長が眠れないことになる。それはそれで機嫌が悪くなりそうで怖い。いや、なぜ兵長限定。それ以前に、そんな理由で一晩中監視とか嫌過ぎる。他の人でもリヴァイでも、こんな寒くてじめじめした地下室になんて迷惑をかけ過ぎてしまう。言えない。色んな意味で言えなかった。


(一人で眠れません、だなんて)


 言えるわけがない。いや、言いたくはなかった。ここは、静かすぎるのだ。これまでの人生、エレンは一人だけで眠ったことがなかった。幼いころは母がいた。それからミカサ。開拓地時代は、過酷な環境だったからアルミンとミカサと三人でくっついて眠っていたし、訓練兵時代は、集団生活だ。一人という空間をエレンはこれまで知らなかった。
 だから、知らなかった。自分が一人だと眠れないなどという、口に出していうのも恥ずかしい困った人間であることを。
 しかし、エレンも子どもではない。様々なことを試した。アルミンに眠れないときは数をかぞえてみるといいと言われたので、エレンは巨人の数をかぞえてみた。討伐する様を思い浮かべ、駆逐駆逐と数えてみたら、巨人へ対する駆逐熱が盛り上がってしまっただけで駄目だった。今度は、安心してみようと幼馴染のアルミンとミカサを思い浮かべてみた。アルミンはなんだかほっとした。眠れそうだと思ったら、エレンの中のミカサがいけなかった。何故か鬼気迫る表情のミカサが、エレン選んで。と、迫りくるので、何だか食われそうで怖かったので目が覚めてしまった。失敗だった。
 考えるのは駄目だったので、肉体的に疲れるのはどうだろうと試すことにした。疲れ果てたときは眠れるのだから、有効だろう。そこで、鎖に繋がれたまま滅茶苦茶に暴れてみた。結論から言おう。失敗だ。エレンは、ベッドから見事に滑落。しかも、中途半端に止まったままで、ベッドに戻ることもできず、そのままのかなり不自然な体勢のまま、朝を迎え。朝、やってきたリヴァイのいつもの表情とご対面を果たしただけであった。何をしている。と、言うリヴァイに正直に動いてみたら落ちたと言ったら、アホかお前は。と、叩かれた。痛かった。
 そんな訳で、何の解決もできていない。どうしよう。エレンは焦っていた。焦れば焦るほど眠気は去り、とうとうエレンは一睡もせずに朝を迎えてしまった。







「―――、それで話は全てか。エレンよ」
「―――、はい……」


 俺の馬鹿。クズったらクズ。エレンは、昨晩、根性なしにも眠れなかった己を責めた。恥ずかしい、埋まりたい。そんなエレンの背中の上にはリヴァイの足。ただ今、躾の真っ最中である。それで、洗いざらい告白させられたわけだが、さきほどからリヴァイの足が……正確には足の裏が僅かに揺れているのは何だろうか。まさかリヴァイには貧乏ゆすりの癖が。どうしたらいいんだ、知らなくていいことを知ってしまった。今度からつい見てしまう。
(どうしたらいいんだ、アルミン!)
 そんなことをエレンが思ったところで、リヴァイが足をグリグリとしてきた。痛い。
「エレンよ。ずいぶんと余裕だな?」
「すみませんっっ!」
 痛い。痛い。ああ、もう本当に背中に穴が開く。と、思った時ようやくリヴァイの足がエレンの背中から離れた。ホッとして、涙で滲んだ目で上官を見上げると、いつもの表情の兵長と目が合った。
「それで、今晩は眠れそうか」
 いきなり普通に聞かれたので戸惑った。
「あ、はい……。たぶん。いえ、絶対確実に必ず本当に死んでも寝てみせます!」
「馬鹿か。死ねばそれは、ただの永眠だ。……チッ、仕方ねぇな。対策は練ってやる。まずは、ここの掃除だ、いいな」
「はい!」
 よかった。この程度で済んだ。エレンは、急いで掃除に取りかかった。リヴァイは怖いが理不尽な暴力は振るわない。今回もエレンが悪いのだ。ホウキを持ったまま、立ち寝をしていたのだ。リヴァイによる強烈な起こされ方をした部屋で必死に箒を動かす。目立った汚れはないが、そんな程度では兵士長は満足しない。
 リヴァイ直伝の掃除の技術を余すことなく発揮しながら、エレンは作詞作曲俺の駆逐の歌を歌いながら掃除を進める。
 そんな後ろ姿を影ながら見守っていたリヴァイは、小さくため息を吐いた。それから、いつもの表情のままで窓の外の空を眺め、くるりと回れ右をした。


なぜ、俺はここに呼ばれたのか。ジャンは、不思議でならなかった。いつものように朝起きて、いつものように新兵のジャンは日課である先輩兵士の世話、新兵の仕事その他を淡々とこなしていた。ようやく朝の仕事が落ち着いて、さぁ訓練だと部屋を出ようとしたところで、背後から。
「おい、そこの馬面。エレンの同期だな」
 と、いう言葉を浴びせられて振り返ったら、人類最強。
俺が何をした。気配なかったぞ。それよりも、なんでアンタは後ろから囁くように言うんだ。ホラーだ。怖い。
 どっかの駆逐少年と似たようなことを思いながらジャンは、上官の彼に向って敬礼を施した。
「敬礼はいい。質問に答えろ」
「質問……。はい、エレンとは同期です」
「ふん、やはりそうか」
 なんだというのだ。相手は全く何を考えているのかわからないリヴァイだ。元々、掃除狂の噂があるのを最近耳にしたぐらいで人類最強との接点はあまりない。エレンの同期かと尋ねていることから、エレン関連なことは間違いはないだろう。それならば、なぜアルミンではないのか。兵士長はアルミンの存在を知らないのか。いや、知っている。キノコ頭と兵長に名前を付けられたとアルミンが言っていたではないか。
 何が起きた。
 いや、何をした。
 自問自答するが、解答は導き出せない。謎ではあるが、新兵のジャンに兵士長の命令に拒否権はない。だから、ついて来いと言われ、エレンが住む古城にやってきて、なぜか本部では見たことがないほど真っ白な枕を渡されて、これも本部ではみたことがないほどにしっかりと洗われたっぽい寝具を持ち、地下室にいるのか。たぶん、疑問をもってはいけないのだ。ジャンは賢明だったので黙っていた。
「ここで待て」
 そう言って、リヴァイは出て行った。ジャンはそれを呆然と見送った。そして、しばらくして。
「はぁ?」
 と、言ったジャンに罪はない。





 ジャンは、暇だった。恐ろしく暇だった。枕を抱きしめたまま、仕方がないのでエレンのベッドの上に座っていた。
(俺が何をしたんだ)
 そればかりが頭をめぐる。だが、どう考えても居住している場所すら違う兵長の機嫌を損ねることなどしていない。では、エレンか。あの死に急ぎが何かやらかしたのか。それにしては、この持ち物はおかしい。どう考えても、これはお泊りセットだ。
「は? お泊り? ちょ、ちょっと待てよ。ここに泊れってか? 冗談じゃねぇ。なんで、エレンなんかと」
 そこまで言いかけて、ジャンは固まった。
「いやいやいやいや。おかしいだろ、なんでそうなるんだ。何がどうしたらこんなこと」
「ジャン?」
 ジャンは振り返った。そこには驚いて大きな目をこれでもかと開いたエレンと、背後にリヴァイ。なぜ、背後なんだ。表情が表情だから怖いので止めて欲しい。
「兵長、何でジャンが」
「あぁ? 対策練ってやるって言ったろうが」
「対策?」
 ジャンが首を傾げた。だが、解答が投げられるよりも早くエレンが顔を真っ赤にしてなんと、死に急ぎもいいところのリヴァイの口を手で塞ぐという暴挙に出た。
「あー! あー! 兵長、ちょっとすみません。いいでしょうかっ!」
「エレン、テメェいい度胸だな。あぁ?」
「すみません! ほっんと、すみません!」
 エレンがリヴァイを押して部屋を出て行った。何だったんだ。
(対策? 何のだ)
 嫌な予感しかしない。何かの歯止め役にさせられるのか。巨人化ならリヴァイがどうにかするだろうし、一体何を……。
 考え込むジャンの耳に何か暴力的な音が届いて、ビクッと、する。しばらくして、表情は変わらないのにやけにすっきりとした顔に見えるリヴァイと、リヴァイに引きずられたエレンが戻ってきた。いや、エレンは意識がないように見える。
(人類最強おっかねぇ)
 ジャンは、顔が引き攣りそうなのを我慢しつつ、リヴァイと相対した。



「エレンが……眠るのに協力しろ」
「は?」
 あの、今。強制的に眠ってらっしゃいますよね。とは、賢明なジャンは言わない。
「こいつは、独り寝ができねぇ」
「……」
 どういうことだ。と、眉を寄せるとリヴァイが補足した。
「一人では眠れないということだ。このまま寝不足状態が続いて巨人化に影響しても問題だ」
 確かにそうではあるが。問題はそこではない。
「それならば、俺よりも適任が」
 アルミンとか。アルミンとか。アルミンとか。
「キノコ頭は駄目だ。あいつは他に仕事がある」
 エルヴィンが何か言っていた。と、リヴァイが言った。そうか、頭いいからなと冷静にジャンは思う。
「しかし……」
 ジャンは言葉を飲み込んだ。何故ならばエレンを引きずったままのリヴァイがじっとジャンを見ているからだ。
(怖い。怖すぎる)
 頷けと、ジャンの体内生命維持装置が全力で言っている。そうだ、頷いておくんだジャン。生きるためには必要なこと。なに、ほんの少し野郎同士でくっつくだけじゃないか。ここまで数秒。
 ジャンは高速で頷いた。
(命は大事に)
 手渡された気絶中のエレンを抱えたまま、しみじみと思うジャンであった。


「しかし、寝ろと言ってもな?」
 ここにベッドはひとつである。しかも、拘束具を付けたエレンを寝かせば、ほとんど幅がない。だがジャンも眠らないわけにはいかない。明日もやることはたくさんだ。
 ジャンは最初、毛布にくるまって地下室の床に転がった。だがすぐに床から伝わる寒さに震えて立ち上がる。そして、ベッドに横たわるエレンを見下ろした。
「仕方ねぇか」
 ため息をひとつ。ジャンは、毛布を体に巻きつけたままエレンのベッドのその少ない隙間に体をねじ込んだ。ベッドから落ちそうで怖いので、嫌々ながらエレンを抱き込むようにする。
 すると、エレンが安心するような息を吐いて、ジャンにすり寄ってくるのでジャンは慌てた。
「おい、お前。ちょっ」
 ジャンの抗議の声は聴こえないようだ。エレンは、痛みで気絶させられたときとは違う安心しきった顔つきで寝息を立てている。
 ジャンは遠い目をしてから、もう一度ため息を吐く。
「お前なぁ、ほっんとにしっかりしてくれよ」
 人騒がせな。一人寝できないとかいくつだ。いい迷惑だと思いながらも、ジャンの瞳は柔らかい。すり寄ってくるエレンの腰をそっと引き寄せたまま、苦笑いを浮かべた。
「寝てるときは、かわいいのによ」
「ん」
「返事してるんじゃねぇよ」
 コツンとエレンの額に自分の額をくっつけてから、眠るエレンの鼻先に唇を寄せた。
「おやすみ、エレン」
 たぶん絶対にエレンには聞かせられない声音で囁いて、ジャンも目を閉じた。






エレンが一人寝できなかったらかわいいなと思ってのジャンエレ。初書きでした。
喧嘩ップル万歳。かわいい。

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