【ちびたんと新兵】




「ん……、ここ……は?」
ふわりと体が浮く感覚のあと、ドサリ。と、落とされて目覚めたエレンは寝転んだまま困惑していた。つい先程まで、古城の地下室の簡素なベッドに眠っていたはずだ。こんなに柔らかいはずはないし、間違ってもシーツに色などついてはいなかった。そばに捲られた状態である毛布は、触ってみると軽くてふわふわしていて、エレンの知るそれとは全く違った。
ここは何処だろうか。一体、眠っている間に何があったのだろうか。エレンは、ゆっくりと起き上がり、周囲の景色に呆然とした。エレンがいた部屋は見覚えどころかみたこともない調度品に溢れていた。全体的に白で統一された部屋は、家具が全て小さくできている。エレンはもっとよく見ようとベッドから立ち上がろうとした。その時、視界の隅に何かが見えてエレンは動きを止めた。
「……え?」
ベッドの隅に縮こまって彼のお友達なのだろう大きな犬のぬいぐるみを抱きしめたまま、目を丸くしてこちらを凝視する小さなリヴァイに似た幼児が、いた。
「……兵長?」
 思わず、そう呼びかけた。
「……へいちょじゃない。りばい」
 怯えているせいか、自分の名前もきちんと言えていない幼児は、犬のぬいぐるみを更にきつく抱き締めてそう言った。




***




「えっと……ここは、お前の部屋?」
「……」
「こ、怖くない……ですよ?」
「……」
「……あー……」
 困った。エレンがこの部屋で出会ってしまった小さなリヴァイ似の幼児は、近寄っても泣かなかった代わりに、何を尋ねても固まったままである。ただ、じぃ。と、エレンを見上げるのみであった。しかし、この幼児は本当にリヴァイに似ていた。髪型から表情が乏しいところから何もかも。ただ、違うのはそのサイズと恐ろしい程にかわいいということだろうか。まだまだお尻が重そうな幼児体型だった。その子どもが床にぺたりと座り込んでエレンを見上げている。心なしか、興奮しているようにも見えなくはない。だが、この幼児は先ほどから何を聞いても黙ったままなのである。エレンが困惑しながら、幼児の前に座り込むこと数分。ようやく幼児は、エレンに向かって口を開いた。
「……しさん」
「?」
 よく聴こえなかった。更によく聴こうと、近寄るとミニ兵長は少しモジモジした。非常にかわいい。
(小さい兵長、すげぇかわいいんですけど! 表情乏しいけど、目がキラキラしてるし、なんか照れてるし!)
 エレンが、幼児リヴァイに内心興奮していることなど知らない小さなリヴァイは、エレンに向かってその小さなお口を再び動かした。
「てんしさんなの?」
「!」
 なんて。なんてかわいいことを言うんだ、この子は! エレンは目眩がした。恥ずかしそうに柔らかそうな頬を染めつつ、目をキラキラさせて天使さんなのかと訊いてきた。天使は、お前だ。と、エレンは叫びたかった。どうしよう、リヴァイ似のリヴァイがかわいすぎて倒れそう。エレンは興奮でクラクラしながらも、幼児に向き直った。
「てんしさん?」
「っっ」
 こてん。と、首を傾げた。もう駄目だ、この子が例え将来リヴァイ兵長のように掃除大好きな人類最強になるのだとしても、今は天使だ。かわいいは正義。そうだ。俺は今日から天使に転職しようとエレンが思ったのも仕方がない。だから、自然と。
「はい、天使です!」
 と、言ってしまったエレンを誰が責められようか。いや、責められはしない。ニコニコとそう答えると、リヴァイは、嬉しそうに顔を明るくした。そして、顔を少し興奮で赤らめたまま。
「てんしさん、リヴァイのおうちにきてくれた」
 と、小さな声で言った。
(お前が天使!)
 エレンは心の中で悶えた。恐ろしい子どもである。何がって、可愛さが異常である。エレンは、思わず子どもに手を伸ばしぎゅう。と、抱きしめた。子どもはびっくりしたように息を飲んだ。目をまた丸くして固まっている。かわいそうになっておろしてやると、リヴァイはすぐに犬のぬいぐるみのそばに寄った。
「天使さんに来てほしかったのか?」
 エレンの問いにこくり。と、子どもは頷く。
「ほんにでてきたてんしさんにきてほしくて、おつきさまにおねがいした」
「本ですか?」
 コクリ。と、またリヴァイは頷いた。そしてリヴァイは恥ずかしそうにモジモジしてちらりとエレンを見、ぬいぐるみに顔を埋めた。それから、少しだけ顔を覗かしてエレンを窺って来る。
「てんしさん、リヴァイのおねがいきいてくれる?」
 言ってから、サッと顔を隠された。
(あああああ!!!!!)
 エレンの理性は崩壊した。なんでもお願いはきく。そうに決まっているではないか。コクコクと頷くと、ぱぁぁぁ。と、リヴァイの顔が輝いた。
「ほんとうに?」
「はいっ、本当です!」
「……」
 リヴァイはお友達らしき犬のぬいぐるみをそっと横に置いて、その犬に向かって、お静かにね。と、いうように人差し指を口に当てて言い聞かせてから、エレンに向き直った。心なしか、緊張しているように思えた。
「リヴァイのおともだちになってください、てんしさん」
 よろしくお願いします。と、いうようにぺこり。と、頭を下げられた。
(クソかわいい)
 もう、犬のぬいぐるみに話しかけている時点で駄目だった。だって、真剣なのである。真剣に、ぬいぐるみに言い聞かせてのお願いだ。これを無視するなんてできるか。できるわけはない。まだ、全体的に丸いリヴァイは、必死そうであった。めでたくリヴァイによって天使に任命されたエレンがうんと言ってくれるかどうかで彼の人生がどう変わるのか、エレンは知らないが、とにかくこの本物の天使が悲しむところなど見たくはない。よろしい、友達になろう。むしろ、大歓迎だ。エレンはニコリ。と、笑った。
「いいですよ。じゃぁ、お友達の握手」
 エレンが手を差し出すと、リヴァイは戸惑った表情をした。うろうろと視線を彷徨わせて、犬を見つめ。小さくひとつ頷いて。おずおずと手を伸ばしてくる。小さくて柔らかくてふくふくとしたリヴァイの手がエレンの手の平にそっと触れた。それを軽く握ってやると、リヴァイがビクリ。と、した。
「はい、これでお友達」
「ともだち」
 にっこりと笑いかけると、リヴァイが嬉しそうに小さく笑った。たまらずエレンは手を伸ばしてエレンの頭を撫でる。すると、リヴァイはまたビクっ。と、してエレンを見た。
「撫でられるの嫌ですか?」
「……はじめてだからわからない」
 はじめて。この言葉にエレンはハッとした。この子はこんな素敵な家に住んでいるけれど、一人ぼっちなのかもしれない。そういえば、これだけ話していて誰も来ない、親が来ないのは何故だろかとは思っていた。
 エレンはリヴァイの様子を見た。少し寂しそうな顔に胸が苦しくなる。この天使はきっと寂しいのだ。犬のお友達は、ぬいぐるみだから喋ったりはしない。なぜ、ここに来たのかわからないが、この小さなリヴァイをエレンは楽しませてあげようと決心した。
「じゃぁ、いっぱい撫でてあげますね!」
 髪の毛をグシャグシャとやるとリヴァイは驚いたようにまた固まった。だが、すぐに少し嬉しそうにするからエレンは嬉しくなってリヴァイを引き寄せてまたぎゅ。と、抱きしめた。
「おともだちのぎゅ、です」
「おともだちの、ぎゅ」
 エレンが言ったことを繰り返して、リヴァイも同じように小さな手でエレンを抱きしめてきた。ぎゅうぎゅうと強めに抱きついてくるその小さな体を抱きしめながら、エレンは本来の疑問が何も解決されていないもかかわらず、幸せだった。
(ミニ兵長、天使過ぎて俺、死ねる)
 この子を一生守ります。と、頼まれてもいなことを決心するエレン・イェーガー一五歳であった。




***




 リヴァイに連れられて、部屋の外に出るとみたこともない世界が広がっていた。小さなリヴァイの説明ではこの世界の詳しいことはわからなかったが、リヴァイの両親は多忙で家にはほとんどいないということ。お手伝いさんがきて、リヴァイのご飯を作ってくれているということ。エレンのことは絶対にリヴァイが守るから大丈夫と言い張っていること。リヴァイの友達の犬はエレンという名前だということ。そして、リヴァイはそのエレンに絶大なる信頼を置いているということだけはわかった。
(俺の名前が、犬)
 犬みてぇだ。とは、元の世界のリヴァイ兵長に何度も言われている。それだけに複雑な心境だ。しかし、リヴァイにエレンが名を告げると、幼児は興奮した。
「エレンといっしょ! エレン、みろ。てんしさんもエレンだ」
 と、いって犬のぬいぐるみに何度も言い聞かせている姿はもう破滅的な可愛さだった。テンションが低めなくせに、目だけがキラキラしているその可愛さはちょっと表現できないとエレンは思う。
「エレンは嬉しいって言ってましたか?」
 コクン。と、リヴァイは大きく首を縦に振った。そして、犬のぬいぐるみをソファに置いて、リヴァイはエレンの方にやってきた。
「どうかしましたか?」
「あのね……エレンもエレンといっしょうれしい?」
 こちらを窺う様にみてくるのが堪らない。エレンはニコニコ笑ったままリヴァイを抱きあげた。
「はい、もちろんですよ。そうだ、リヴァイさん。俺と友達になったらしたいことないんですか?」
「したこと……」
 言ってもいいのだろうか。迷っているように見えた。だから、エレンはニコニコとしてリヴァイが続きを言うのを待っていた。リヴァイは、またも犬のエレンを見てから、うん。と、頷いた。おそらく彼らの間では頑張れ。うん、頑張る。と、いうようなやりとりがあったようである。
「あのね―――  、 」
 リヴァイはエレンの耳元で小さな声で話しかけてくる。小さな子どもの吐息がかかってくすぐったい。だが、それよりもリヴァイのしたいことかわいすぎて、今。リヴァイを抱っこしてしなかったら、エレンは床に崩れ落ち、そのまま床を感情のままに拳で殴りつけ、それから床を転げ回り、最後に神よありがとうポーズを決める自信があった。
「家政婦さんに教えてもらったの?」
「ばぁが、エレンにこれでつくってくれた。エレンおやすみできた」
 リヴァイが取り出したのは、大判のタオルだ。エレンは何となくどうやってそれを作ったか想像ができた。
「エレン、リヴァイがいなくてもおやすみできるようおしえてあげるの」
「そっか。じゃぁ、する?」
「うん」
 これでエレン、一人で寝られるね。よかったね。と、リヴァイは犬のぬいぐるみに話しかけている。
 これから、大きなタオルをつかって一生懸命小さなリヴァイが犬のぬいぐるみに教えながら、寝床を作るなどというかわいいイベントが発生するのかと思うとエレンはクラクラした。
 いつから、己は幼児がこんなに大好きになったのだろうか。謎ではあるが、これから起こるであろう全イベントを一瞬たりとも見逃さず網膜に焼きつけて、一生の思い出にしようとエレンは考えた。
 この世界がどんなところでもいい。兵長がかわいいとか兵長に似てるこの子どもがいる世界というだけで問題ない。

(今は、このかわいいミニ兵長を俺は愛でる!)

 やはり、ここがどこで自分がどうなってしまったのかわからないまま、エレンは何度か目の決心をしたのであった。



終 




※2014/10/5開催の壁博4にて無料配布しました。
新刊だった『ちびたんとへいちょ。』の中にでてくる、チビリヴァイとエレンの話になります。