その日は、なんとなくシンドバッドは寝つけずにいた。何となくなどというあやふやものではない。正直に言おう。大きな意味では同じ屋根の下にいるアリババのことが気になって眠れずにいた。
煌帝国からようやく戻ることができ、やっとバルバッドを救った若い英雄たちに会えると喜んだシンドバッドだが、あまりの変わりように呆然としたのは、つい最近のことだ。
それほどに甘やかしたジャーファルにも驚いたが、それほどに子どもたちの心の傷は深かったようだ。だが、これではいけないとダイエットを命じ、少しずつではあるが元気を取り戻しているようにみえた。


「アリババくん、か」


初めはなんと頼りない少年だと思った。だが、アリババは違った。一見頼りなさそうに見えるのに、彼は人の心の奥底まで容易く入り込むことができる少年だった。
アリババは、周囲をよい方向へ変える力を持っていた。それは、アリババ自身のひたむきで諦めない心が周囲を変えさせるのかもしれない。
なによりも、彼はたぶんアリババ自身が思っている以上に素晴らしい人間であった。あのような生活環境で、育ったにしてはアリババの気性は非常にまっすぐだ。そんなアリババだからこそ、マギであるアラジンは彼を王と認め傍にいるのだろう。
おそらく、アラジンはアリババが王になる器だから傍にいるのではなく、アリババがアリババだから傍にいるのだ。
要するに、アラジンはアリババが大好きということになる。
まさに相思相愛。そこに、ファナリスの娘であるモルジアナが加わって、あの三人は本当に仲が良かった。彼らはまだまだ純粋であり、シンドバッドには少しだけ眩しすぎるぐらいだ。ジャーファルやマスルールが可愛がるのも無理はない。
彼らは、まだ世の中の怖さや汚さに対抗しうる強さはない。だから、シンドバッドが保護する必要があった。
いや、自分にまで嘘をつく必要はないか。保護するべきだったのは、本当だ。だが、マギと迷宮攻略者を手元に囲いこんでおきたかったのも本当だ。今は利用することは考えていない。だが、それは今は。と、いうことだ。いつかは、シンドリアのためシンドバッドと共に闘ってもらおうと目論んでいることは否定しない。
それでも、本当に彼らを心配しているのも本当だ。それだけは分かってほしかった。
シンドバッドはアリババが思うような偉大な男ではない。
少し考えただけでも、自己矛盾を抱えているただの男なのだ。
王である以上、誰かを利用することは仕方のないことだと思ってはいるのだが、どうしてもアリババを前にするとシンドバッドが思っている以上に、自分はずるくて酷い大人なのではないかと思ってしまう。他の人間相手にはあまり思わないというのに。いつも笑顔でそれをやってのけるというのに、アリババにはそれが難しかった。
それはどうしてか。
なるべく気づかないように、シンドバッドはしていた。




「眠れん」
シンドバッドはベッドから起き出した。ナイトガウンを手に取りそれを羽織る。ゆっくりとした足取りでランプに近づき火を灯した。
ぼんやりと浮かび上がったのは、自分の影だ。それに視線を落したまま、ベッドに腰を下ろす。
両手で顔を覆い、息を吐く。
目を閉じると、浮かぶのは日中。元気よくアラジンと走り回っていたアリババの姿だ。最近はずいぶんと元気になったようだ。太っていた体は、元の体型に戻り、線の細い少年となった。そのことにシンドバッドは心から安堵したが果たして心まで完全に戻ったのだろうか。
そう簡単に人は元気を取り戻せるものではないと思う。アリババにとっては、いい思い出がなかったかもしれないが自分の父が作った国と幼少期から共にあった無二の友を失ったのだ。
それらに終焉をもたらしたのは、アリババ自身だ。だが、彼にそうさせたのは大いなる運命というものであって、アリババのせいではない。
だが、アリババ自身はどう思うだろうか。友の死については、ずっと心を痛めているに決まっている。
空元気ではないのか。
不意に、そう思いシンドバッドは落ち着きを失くした。
もし、空元気だとしたらアリババは悲しい気持ちをどこで吐露しているのだろうか。アラジンやモルジアナの前ではないはずだ。いくら、ジャーファルが心を砕いているといっても、彼ではないだろう。
アリババは、一人でその気持ちを抱え込んでいるのではないだろうか。
ここまで考えて、シンドバッドはいてもたってもいられなくなった。そうなってしまうのは、どんな感情から起因するのか。それを考えないようにしながら、シンドバッドは部屋を抜け出した。



アリババの部屋に向かいながら、そういえばどうやって尋ねればいいのだろうとシンドバッドはようやく気が付いた。いきなり、こんな時間に尋ねていけるほどまだ親しいわけではない。
どうしたものかと思っていると、視線の先に白いものがふらふらと動いているのが見えた。
「アリババくん?」
アリババだった。アリババは、ふわふわとした足取りで廊下を歩いてゆく。その足取りが妙に危なっかしくてシンドバッドは胸騒ぎがした。後を追っていくと、アリババは窓から身を乗り出し。思いのほかしっかりとした動きで、窓から屋根へと登ってしまった。
慌てて窓辺により、上を見上げた。すぐ上にアリババはいるようだ。
どうやら、飛び降りるなど物騒なつもりは毛頭ないらしい。彼は、そこに寝転んで何やら考え事に耽っているようだった。
その横顔は、寂しげで。
やはり、心の傷は未だに癒えていないとシンドバッドは感じた。
感じたと同時に、どうにかして彼を慰めたいと思った。どうすればいい。傍によって抱きしめてやればいいのか。
いや、おそらくアリババは一人になりたかったのだろう。そっとしておいた方がいいのかもしれない。
だが、どうしてもその場を去ることができずにいた。
シンドバッドは、窓に寄りかかり天を仰いだ。
(俺は、アリババくんに必要とされたいんだ)
マギであるアラジンとは違う意味で、アリババに必要とされたい。それは心が弱っているときに頼ってくれる存在でも、何かを成し遂げるために必要とされるのでもいい。とにかく、アリババの心の中にシンドバッドという存在を根付かせたかった。
気持ちなんてものは、気づかないふりをしようとしている時点でとっくに手遅れで、それをわかっていながらも上手に隠すのが大人であるが、生憎とシンドバッドはそこまで大人にはなれそうになかった。
だから。


「マギであるアラジン。だよなぁ、やっぱり」


悲しげに呟いたアリババに、思わず出ていって違うよと抱きしめたくなった。ぐっと拳を作って我慢する。
違う。そうだけど、違うんだ。マギであるアラジンは貴重だ。アラジン自身もシンドバッドは好きである。だが、それ以上に、彼はマギなのだ。マギが導く国は繁栄する。それが頭にあるからアラジンは特別ではある。だが、同じようにシンドバッドにとってはアリババも大事なのだ。
どうして、それがわからない。どうして、アリババは自分を過小評価するのだろうか。
出ていって、それを説いてやりたくなるがシンドバッドは躊躇った。


「俺は、オマケなのかな」



出て行くのを躊躇っているうちに、とんでもない間違った発言が聞こえた。
シンドバッドは今度は窓の上に飛び出した。そうして、音もなく屋根にあがり、まだシンドバッドに気が付いていないアリババの傍に寄って行った。
「君は、オマケなんかじゃないよ」
「!!」
驚いて飛び起きようとしたアリババの目を塞ぎ、シンドバッドはアリババを横にさせたままにする。
「大丈夫、君はオマケではない。俺は、君だから。アリババくんだから、傍にいるんだ」
アリババが息を飲んだ気配がした。僅かに唇が震えている。この唇を塞ぎたいと言ったら、君はどんな反応をするだろうか。それは、許されない。まだ、許されてはいない。
ゆっくりと手を避けた。覗き込むようにアリババを見つめると、アリババは驚いた顔のままシンドバッドを見上げていた。いつからいたのか。何故、ここにいるのか不思議なのだろう。シンドバッドは、アリババを怖がらせないように隣に寝転んで同じように星空を見上げて言った。
「アリババくん。自分の価値なんてものは、大概わからぬものさ」
「シンドバッドさんも?」
「ああ、わからない。だが、俺には俺の価値をわからせてくれる存在がいるからな」
シンドバッドの脳裏には自分につき従ってくれる皆が浮んでは消える。
シンドバッドは続けた。
「君にとって、自分自身は取るに足らないものかもしれない。だからといって、他人にとって君が取るに足らないなどとは思ってはいけない……たとえば、俺にとって君は……」
シンドバッドは身を起こし、アリババに覆いかぶさるようにして顔を近づけた。アリババは驚いて目を見開いた。このまま身を沈めれば、いともたやすくアリババを奪うことができるかもしれない。
この少年が好きだ。シンドバッドはなんお躊躇いもなく思った。この優しくて不器用な少年が堪らなく愛おしい。
欲しい、と思った。
「こんなにも、目を離せない存在だ」
アリババの髪を優しく撫でながら、睦事を囁くような低めの甘い声でシンドバッドは言った。
アリババの頬がほんのりと赤くなった。その変化にシンドバッドは満足する。



「ねぇ、アリババくん。考えてみたことはないかい。俺が、夜ベッドを抜け出した君を探し出し、君にこんな風に話しかけている理由を」
「わ、わかりません……」
アリババの声が擦れた。緊張していることが、嬉しかった。アリババは、混乱しているようだ。混乱しながらも、シンドバッドをそういう対象として意識している。
(流石に、これ以上はかわいそうか)
シンドバッドは、気持ちを切り替えるように息を吐いた。
ゆっくりと身を離すと、少しだけアリババが寂しげな顔をした。無意識かな、そうだろう。
アリババは、顔を赤くしたまま目を瞑った。その姿があまりにもかわいらしく、シンドバッドの微笑を誘った。
「アリババくん。少し、俺と距離を縮めようか」
するりと出た言葉に、アリババが目を開く。
「そうだな、まずは君が大好きな冒険の話をして長い夜を過ごすというのはどうかな?」
アリババの大好きなものを利用して、君を手に入れる。ずるい考えだとは思うけけれど、警戒することを知らない少年は、素直にそれに飛びついてくれた。
差し出した手にアリババの手が触れる。シンドバッドの手よりも小さく細いその手をしっかりと握って、シンドバッドは立ち上がった。


「アリババくん、星が綺麗だね。砂漠の星空はもっと綺麗だったよ。それは、君も知っているか……。そうだ、まず始めに俺が砂漠のど真ん中で迷子になった話をしてあげよう」
「迷子ですか」
「ああ、そうだ。さぁ、行こう。こんなところではくつろげない。部屋でゆっくりと話をしよう」
廊下にアリババを下ろし、再び手を引く。
シンドバッドは語りだした。その隣で、アリババがあからさまにほっとしている。


(まだ、早い。でもね、アリババくん)


君を逃がしてあげるという気持ちは。
全くなくなってしまったよ。と、シンドバッドはアリババの顔を見つめながら考えていた。




END



2012.10.22.サイト掲載