眠れない。
アリババは、そっとあてがわれた部屋のベッドから抜け出した。
ひたひたと裸足のまま、廊下を歩く。
南国の島国シンドリアは夜であっても、暖かい。南国特有の湿った生温かい空気がアリババを包み、ここは異国なのだということを感じる。
裸足の足から伝わる石でできた床のひんやり感が気持ちがよい。寝そべったら大層気持ちがいいだろうが、他所様の王宮でそんなはことはできなかった。
アリババは目的もなく歩いた。王宮を警護する兵士に面倒をかけさせたくはなかったので、食客が部屋を与えられている辺りから離れるつもりはない。ただ、なんとなくどこか一人になれる場所に行きたかった。
ぼんやりと歩き続けて、辿りついたのは王宮の屋根の上だった。そこへよじ登り、アリババは寝転がった。
満天の星空を眺めながら、そっと息を吐く。


(俺は何をしていたんだろうな)


友を亡くした。大事な友人だった。友人なんて軽い言葉では言い表せない程に大切だった。父を失う原因ともなった友だったが、それでもやっぱりアリババにとってはかけがえのない友であった。
あいつが、あんなふうに思っていたなんて知らなかった。
アラジンのおかげで、最後にきちんと友と話をできたことはありがたかった。だが、それで知り得たことは嬉しいだけでは片づけられないほどにアリババの胸に傷を残した。
友は、あれで救われたのだろうとは思うけれど、やっぱり失ったという事実は、ひどく寂しい。
その心のまま、このシンドリアに来てアリババは無為な日々を過ごしてきた。ようやく時間が流れ出したと感じたのは、シンドバッドが戻って来てからだ。


(シンドバッドさん、か)


アリババは、ごろりと寝返りを打った。思えば、ずいぶんと物凄い人物と知り合ったものだ。
子どもの頃から、憧れ続けたシンドバッド。愛読書の彼の手による物語は、それこそ擦り切れるほど読み込んでいる。そのシンドバッドがこの王宮にいる。いや、シンドバッドの王宮にアリババがいるが正しい。
シンドバッドは思った通りの人物だった。誰にでも気さくで、強くて、立派な王様だった。シンドバッドがすること決めること、全てがアリババを魅了する。彼は、本当にすごい。すごいだけではなく、彼はとても親切だった。
なぜ、親切なのだろうか。と、思わないわけではない。アリババは、王宮に連れて行かれ教育を受けさせられた幼き日のアリババではなかったから、多少は世間というものを知っている。
自分のような子どもに何も価値がないこともアリババはわかっていた。
アリババに親切なのは何故か。それも、気づいていないわけではないのだ。


「マギであるアラジン。だよなぁ、やっぱり」


アリババは、大の字になって天を見上げた。空に散らばる満天の星は空から零れ落ちそうで、手が届きそうなほど近く見えるのに実際に手が届く距離にはなくずっと遠く遥か向こうにある。
シンドバッドもそうだ。近くにあってひどく遠い。幼きころからの憧れの人は、傍にあっても結局は憧れの人なのだろう。
シンドバッドの目には、マギであるアラジンが映っている。それは、アラジンの友人として嬉しいことだ。憧れのシンドバッドに認められているアラジンを誇らしく思う。
だが、もし。二人の距離がもっと狭まっていつか、アラジンにアリババが不要だと言われたら。
シンドバッドにアラジンを置いて出て行って欲しいと言われでもしたら。
その時が来るのが怖かった。怖いけれど、たぶん自分は、きっと笑ってここを去るだろうなとアリババは思った。それに、もう一人の大事な友達、モルジアナだってアリババよりもずっと強く彼女も特別だ。皆、特別な人間がここには集まっている。
ただの人は、アリババだけだ。
いつになく弱気なことを思った。特別なことはなにもない。迷宮攻略者というのが特別だと皆は言うが、あれはほとんどアラジンの力によるものだとアリババは思っている。アリババ一人ではたぶん命を落としていた。アラジンがいたから可能だったのだ。
友も救えない。
友の気持ちさえも理解できなかった。
そんなアリババを必要とする場所があるのだろうか。
シンドバッドがいない間、鬱々と考えていたことはこれだった。
こんな後ろ向きの自分が嫌だった。シンドバッドが戻って、流れ出した時間とともに押し流したつもりだったのだが、何故か今日はそれが甦ってきたようだ。



「俺は、オマケなのかな」


自分で言って、自分で傷ついた。誤魔化すようにアリババは目を瞑った。
「君は、オマケなんかじゃないよ」
「!!」
気配はしなかったのに。驚いて飛び起きようとしたアリババの目を誰かの暖かな手が遮り、そのまま寝かされる。
「大丈夫、君はオマケではない。俺は、君だから。アリババくんだから、傍にいるんだ」
優しげな声にアリババは声を失った。
ゆっくりと手が避けられる。覗き込むようにアリババを見つめるのは、シンドバッドだった。いつの間に、この場所にやってきたのだろうか。
アリババの疑問に気が付いたのだろう、シンドバッドはアリババの隣に寝転んで同じように星空を見上げて言った。
「アリババくん。自分の価値なんてものは、大概わからぬものさ」
「シンドバッドさんも?」
「ああ、わからない。だが、俺には俺の価値をわからせてくれる存在がいるからな」
シンドバッドは続ける。
「君にとって、自分自身は取るに足らないものかもしれない。だからといって、他人にとって君が取るに足らないなどとは思ってはいけない……たとえば、俺にとって君は……」
シンドバッドは身を起こし、アリババに覆いかぶさるようにして顔を近づけてきた。シンドバッドが纏う香の匂いがふわりと香る。それほどに近い。
シンドバッドの整った顔がアリババの顔のすぐ上にあった。彼は、ひどく真剣な目をして、アリババを見つめている。
「こんなにも、目を離せない存在だ」
アリババの髪を優しく撫でながら、睦事を囁くような低めの甘い声でシンドバッドは言った。その瞬間、ドクンと、アリババの心臓が大きく跳ねた。
何だろうと思った。息がなんとなく苦しい。



「ねぇ、アリババくん。考えてみたことはないかい。俺が、夜ベッドを抜け出した君を探し出し、君にこんな風に話しかけている理由を」
「わ、わかりません……」
喉がひどく渇く。目が逸らせない。だけど、どこか怖い。
アリババは戸惑った。シンドバッドが何となくいつもと違うのがわかる。
ただひたすらに固まっていると、ふっとシンドバッドが息を吐いた。
その吐息が頬に当たって、また心臓がドクンといった。
シンドバッドが体を起こした。出来た距離がなんとなく寂しい気がして、アリババは一人混乱していた。
顔が熱い。きっと自分は今真っ赤だろう。戸惑いと羞恥からアリババは目を瞑った。すると、隣でシンドバッドが少しだけ笑った気配があった。
「アリババくん。少し、俺と距離を縮めようか」
アリババは、シンドバッドの声に目を開けた。
ゆっくりと起き上ると、シンドバッドが悪戯っぽく笑った。


「そうだな、まずは君が大好きな冒険の話をして長い夜を過ごすというのはどうかな?」


シンドバッドが手を差し伸べてくる。
その手に半ば無意識に手を伸ばしながら、アリババは気づく。
(もう、変な気持ちはおさまっている)
何だったんだろうかと思いながら、シンドバッドに手を引かれて立ち上がった。隣を見上げるとシンドバッドはアリババを見つめていた。
「アリババくん、星が綺麗だね。砂漠の星空はもっと綺麗だったよ。それは、君も知っているか……。そうだ、まず始めに俺が砂漠のど真ん中で迷子になった話をしてあげよう」
「迷子ですか」
「ああ、そうだ。さぁ、行こう。こんなところではくつろげない。部屋でゆっくりと話をしよう」
廊下に下ろされて、手を引かれる。
シンドバッドは楽しそうに話しだし、アリババは少しだけほっとしていた。


廊下から見える星空は、相変わらず綺麗で。
シンドバッドの寝所に辿りつくまで、アリババはずっと星空を眺めながらシンドバッドの冒険譚に耳を傾けたのであった。



END



2012.10.17.サイト掲載